今まで書いた記事は全て防衛機制の産物だったらしい

 興味深い記事を拝読した。

 防衛機制には「知性化」というパターンがあるらしい。身の回りの問題を一般的な立場で分析・考察することでストレスを解消することのようだ。例えばこんな例があるらしい。

・振られてしまったときに、日本の成人男性の未婚率は○○%だから仕方のないことだ、と自分を納得させる

・就職活動に失敗してしまったとき、最近は大企業に就職することだけが成功とは言えない世の中だから大丈夫、と考える

・可愛がっていたペットが死んでしまったとき、この子は平均寿命より長生きしたんだから、と自分に言い聞かせる

 なるほどなあと思った。というか、これは筆者そのものではないか!

 親戚が死んだ時、「最近の日本人の寿命からすると長いとは言えなかったけど、心臓発作から20年に渡って特に制限もなく元気に暮らせたことを考えると、むしろ運が良かった方に違いない」と即座に述べて困惑されたこともあった。

 末期がんの別の親戚が唐突な脳卒中で死んだ時は「ガンの進行を遅らせた結果、寿命が来るまで逃げ切れたんだから、良かったと思う」と言って、やはり困惑されたことがある。筆者は昔から葬式の類が苦手である。物心付いた時から病的に死を恐れているからだ。

 筆者が今まで投稿した合計300万字の記事はほぼ全てが「知性化」と言っても良い。このブログはサラリーマン社会で不適合を起こした筆者が見出した防衛機制そのものだったと言えるだろう。考察の数々は「どうして自分は生きづらいのか」という当分の間解決しない問に対する自問自答の結果である。自分の感情を出して共感を求めると言ったことが苦手なので、どうしても理屈っぽい方向に向かってしまう。

 筆者の記事には現実の問題の解決法はあんまり書いていないことが多いのだが、その点も防衛機制という性質から派生するものだろう。知性化の場合は客観的な観点から論理を展開していくので、傍観者的な立場になりがちである。これはあたかも自分が蚊帳のような立場にすることで、苦しみを自分の心から切り離す効果があると思う。

 書いても書いてもネタが尽きないあたり、筆者は無尽蔵のストレスを溜め込んでいるのかもしれない。実際、職場でやらされるストレスチェッカー系のアンケートは大体が危険水域になっていた。精神状態によって書く記事のジャンルも変わるのだが、キャリア論や学歴ネタについて書いている時は大体が鬱状態の時である。MBTI考察もほぼすべてが現実の生きづらさに対する防衛機制から生まれたものだ。筆者は北朝鮮等について論じている時が一番機嫌が良いのだが、それすらも法律の類が嫌いという防衛機制から派生している。嫌なものがあると「なぜ?どうして?」と思考が拡散していってしまうのだ。

 もしかしたら飲み屋で「会社は駄目だ」などと管を巻いているオジサンも知性化の一種なのかもしれない。会社の方針に関するあれこれの文句も末端の社員が論じても無意味だろうから、やはり知性化の一環だろう。そもそも社会人は本来仕事と生活以外のことを考えるべきではない訳で、いい歳して社会やら哲学やらを論じている人間はたぶんみんな防衛機制なのだ。不適切な方向に行くとテロリストやヘイトスピーチになるのかもしれない。

 本当は人事の話、不動産の話、節税の話、グルメの話、インテリアの話、温泉の話、ジョギングの話、そういった話をしないといけないはずなのだ。筆者の記事の数々は社会不適合者の生んだ長大な妄想なのだろう。ただ、そうした妄想を読んでくれた人が述べ333万人ほどいるらしいので、妄想は妄想でも他人から見て面白い妄想ではあるのかもしれない。

 今まで投稿した記事の文字数の合計は300万字になると思われるが、これらを最小文字数で要約すると「辛い」になるだろうか。たった2文字で済むところを膨大な記事にして流しているのである。

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