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ガザの戦争が「新世界より」に酷似しているという話

 ガザでの戦争が始まって一ヶ月を超えたが、未だに戦争は続いている。イスラエルへの批判は高まるばかりだ。先に手を出したのはハマスであり、その責任は減じられるべきではないが、イスラエルの報復はやり過ぎではないかというものだ。ガザでの死者は1万人を超え、まだまだ増え続けるだろう。

 2年近く続いているウクライナ戦争の民間人犠牲者は1万人ほどなので、ガザの戦争の方が民間人犠牲者という点で上回る可能性が高い。原因としてはガザの戦場が人口密集地であること、ハマスが人間の盾を使用していること、避難者が少ないことなどが挙げられるが、イスラエル側の憎悪も影響しているのかもしれない。ロシアの政権はウクライナの一般人を全く敵視していなかったが、現在のイスラエルは国家規模でガザ住民を敵視している。侵攻当初のロシアのように「住民の反感を買わないように穏便にすませよう」というインセンティブはなさそうだ。
 
 さて、以前の記事でパレスチナ紛争と進撃の巨人の類似性について語ったのだが、今回は別の作品で論じてみたいと思う。私が挙げるのは「新世界より」だ。貴志祐介のSF長編であり、日本SF史上最高傑作との評価も名高い。少なくとも、この作品をつまらないと評論している人物を見たことがない。10年ほど前にはアニメ化もされていた。

 新世界よりの世界は1000年後の日本だ。日本の人口は5万人ほどで、国土の殆どは野山だ。人々はいくつかの町にまとまって住んでいる。主人公たちの住む神栖66町は人口3000人ほどであり、人々は「呪力」と呼ばれる超能力で豊かな暮らしを送っている。

 町の周囲にはバケネズミというハダカデバネズミに似た動物が住んでいる。バケネズミの知能は高く、人間と同等とのことだ。バケネズミは町の人間によって登録されており、コロニーごとに入れ墨がなされている。バケネズミは清掃等の労働によって人間に奉仕し、見返りに製品を受け取っている。バケネズミは普段は自治が認められるが、町が問題行動だと考えた場合は鳥獣保護官によってコロニーごと根絶やしにされる。

 この人間とバケネズミの関係は現在のイスラエルとパレスチナの関係にソックリだ。イスラエル側はパレスチナに一応自治を認めている。イスラエルへ出稼ぎに行くパレスチナ人は非常に多いし、貴重な収入源になっている。しかし、イスラエル側の気が変わればいつでもパレスチナ人の自由は制約される。イスラエルが問題だと感じれば容赦なく爆弾の雨が降り注ぐし、場合によっては選挙にまで干渉することもある。パレスチナ人が自分たちが支配を受けていると感じても仕方はないだろう。

 作品の後半でバケネズミはスクイーラという個体に率いられ、反乱を起こす。このスクイーラの言い分がまさにこの不安定な立場だ。バケネズミは自由を認められているかのように見えるが、それは人間の機嫌がいい時だけだ。人間の気が変わればコロニーごと抹殺されることも珍しくない。スクイーラにとってはこの状態は「奴隷よりも酷い」と述べている。確かに、イスラエル側の都合がいい時だけパレスチナに干渉し、普段は放置するという方針は、「新世界より」を彷彿とさせるものがある。反乱によって人間側は多くの犠牲を出したが、バケネズミは報復として遥かに多くの数が犠牲となった。この犠牲の非対称性もまた、イスラエルとパレスチナを彷彿とさせるものがある。人間の若者は同胞が殺されたことを心から悲しみ、バケネズミを断固とした決意で殺すようになったのだ。

 バケネズミが決して一枚岩で無かったことも重要だ。バケネズミは常にコロニーごとに争っており、敗北したコロニーは皆殺しか奴隷化されることが多い。普段のバケネズミにとっては人間よりも遥かに問題だ。作中後半の反乱でも、スクイーラは最初に対立するコロニーを虐殺している。人間側は忘れているのだが、犠牲となったのは人間だけではなく、バケネズミの一部もそうだった。最終的に人間が勝利したのも虐殺を生き延びた対立コロニーの奇狼丸が協力したからだった。これまたパレスチナの現状に近い。ガザ地区を支配するハマスと西岸地区を支配するファタハは激しく分裂しており、和解の可能性は殆ど存在しない。パレスチナ自治政府は民間人の殺戮にこそ反対するが、ハマスの壊滅自体には賛成しているだろう。

 最後に、最も核心的な部分がある。新世界よりのオチとして、実はバケネズミが呪力を持たない人間の成れの果てだったというものがある。色々理由はあるのだが、彼らは1000年の時を経て、人間ではない別の生物へと変化してしまったのだ。これはパレスチナも同様である。ヘブライ王国が滅亡した後、ユダヤ人はローマ帝国の各地に離散したが、多くは現地に留まった。彼らはローマ帝国の滅亡後に地域のイスラム化の波に従い、イスラム教徒となった。今もパレスチナの地に住むアラブ系住民はイスラム化した古代ヘブライ王国の子孫だったのだ。イスラエルが踏みつけている相手は、かつての同胞の成れの果てだったことになる。

 小説の終盤で主人公は世界の真実に驚愕し、強く動揺する。自分たちが害虫のように殺していたバケネズミはかつての同胞だった。そのことに戦慄するも、ついに主人公に人を殺したという罪悪感は湧いてこなかった。もはやお互いを同胞とは思えなくなっているのだ。見た目も全く違う。パレスチナにも同様のことが当てはまるだろう。ユダヤ人だちはアラブ人を同胞とは思えないし、仮に繋がりが認められたとしても、現実のものとは認識しないだろう。宗教は原則的に本人が選択するものであり、アラブ人がイスラム教を信じ続ける以上、彼らはユダヤ人の同胞ではない。2000年前はいざ知れず、現在においては両者は敵同士であり、そこに和解の余地は無いのだろう。

 「新世界より」でスクイーラは自らをバケネズミに自由をもたらす解放の英雄と称していた。しかし、作中においては先に手を出したのはスクイーラであり、彼は人間のみならず、バケネズミも容赦なく虐殺していた。仮に「解放」が成し遂げられたとしても、結末が動物農場となることは目に見えている。現実の紛争は様々な大人の事情が入り乱れており、パレスチナも「新世界より」もそこは共通だ。一方的にどちらか一方を善だ悪だと決めつける論調はあまり好ましいものではないだろう。

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