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史上4組しかいない、親子でメダリストの日本人選手まとめ

 メダルラッシュの続いているパリ五輪だが、世界の大舞台でメダルを取るというのは本当にすごいことである。頂点の中の頂点の中の頂点と言っても良い。さらにすごいのは、そのメダルを親子に渡って獲得する人がいることだ。遺伝なのか、環境なのか、おそらくその両方に加えて運も味方した、本当に稀有なパターンである。

 日本には史上親子メダリストが4組存在する(筆者の確認した範囲内。他のパターンがあったらコメントしてください)。今回はその4組しかいない親子メダリストを解説して以降と思う。

斉藤仁・斉藤立

斉藤仁

 まず挙げられるのが斉藤仁・斉藤立親子である。斉藤仁はロサンゼルス五輪とソウル五輪の二大会で連覇を達成し、日本人初の連覇達成者となった。北京五輪で金メダルを獲得した石井慧の師匠としても知られている。

斉藤立

 斉藤立は今回のパリ五輪に出場したことで話題となった。個人でのメダル獲得が期待されていたが、惜しくも4位となった。しかし、その後の柔道団体で銀メダルを獲得し、史上4組目の親子メダリストとなった。(それにしてもこの親子、顔がそっくりである)

三宅義行・三宅宏実

 三宅義行は1964年の東京五輪でウェイトリフティングの銅メダルを獲得した。同じ競技で兄の三宅義信も金メダルを獲得しており、日本史上唯一兄弟で表彰台に登った例である。

 娘の三宅宏実はロンドン五輪で銀メダルを、リオ五輪で銅メダルを獲得し、今のところ唯一の個人競技の親子メダリストとなっている。

 三宅一族はなんと3人も個人競技でメダリストを輩出しており、これは例が無い。(それにしても全員顔がそっくりである。)

塚原光男・塚原直也

塚原光男

 塚原光男はメキシコシティ・ミュンヘン・モントリオールの3大会に渡って君臨した体操王国ニッポンの時代の第一人者である。なんと金メダル5個・銀メダル1個・銅メダル3個を獲得している。この時代の体操選手はこのように大量にメダルを獲得している人間が多かった。体操王国ニッポンが終焉を迎えた1980年代以降はこのような選手は少なくなる。6個以上のメダルを獲得したのは北島康介・内村航平・高木美帆の三名だけである。

塚原直也

息子の塚原直也は2004年のアテネ五輪で団体金メダルを取っている。今のところ(団体ではあるが)親子で金メダルは塚原親子のみである。

相原信行・相原豊

相原信行

 相原信行もまた、体操王国ニッポンの時代の猛者である。メルボルン五輪とローマ五輪で金メダル2個と銀メダル2個を獲得している。妻の相原俊子も東京五輪で団体銅メダルを獲得しているので、夫婦でメダリストということになる。(女子体操がメダルを取ったのは史上2例のみである)

 息子の相原豊もバルセロナ五輪で銅メダルを獲得しており、日本史上初の親子メダリストとなった。夫・妻・息子の3人がメダリストになったことになる。

まとめ

 今回は日本史上4組しかいない親子メダリストについてまとめてみた。ただでさえ難しいメダルを親子に渡って獲得するとは本当にすごいことである。パリ五輪で斉藤立は残念なことになったが、もし次の機会で金メダルを獲得できたら史上初の親子個人金メダルとなる。柔道界からも期待は高そうだ。ただし、まさにその理由でプレッシャーも半端ないだろう。是非頑張ってほしい。

 ちなみに今回はメダリストに限ったが、親子で五輪出場であれば、かなりの人数存在する。パリ五輪であれば江村美咲とか、他にも思いつくだけで鍵山優真や室伏広治など、結構多い。パリ五輪の馬術競技に出場した杉谷泰造はなんと3代で五輪代表である。やはり遺伝と環境の力は大きいようだ。

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