なぜ著名人が高学歴偏重になっているのか

 先程、こんなツイートを発見した。

 確かに、有名人が有名大学を出ている割合は増えているのかもしれない。ただ、そこにはある必然性があり、必ずしも世の中が階層化しているとは言えないのではないかと思う。

 最近、スポーツや芸能といった業界にも慶応や早稲田出身の人間が増えた理由は2つだ。1つは私立大学がAO入試を拡大したこと、もう一つは少子高齢化の影響である。

 芸能人を見ていれば良く分かる。乃木坂の山崎玲奈とかハロプロの鈴木愛理とか、若い頃から芸能活動で忙殺されていた人間でも慶応大学はAO入試で合格出来ることが多い。学歴厨はこうした入試方式に批判的だが、それは大学の勝手だろう。AO入試を拡大することによって早慶は受験勉強をやるキャパはないが他の分野で顕著な功績を出している人物を拾い集めることができある。大学側にとっては大変合理的であるとも言える。早稲田は羽生結弦とか本田望結とか、少し古いけど広末涼子辺りが該当するだろうか。

 もう一つの理由もある。それは少子化だ。最近の一学年の人数は100万人となっていて、現在の50代と比べると半分になっている。当然、難関大に入る難易度も大幅に下がっているだろう。団塊ジュニアの時代はものすごく頭のいい人でも大学入試に弾かれる危険があったが、現在は優秀な人間は労せず難関大学に合格するようになっている。この傾向は今後ますます加速するものと思われる。ここら辺の予測記事を今度書いてみよう。

 なお、有名人が昔は低学歴だったかと言うと、それは微妙だ。タモリは早稲田卒、ビートたけしは明大卒である。昔の文筆家を見ていると、現在よりも遥かに高学歴偏重が激しい。昔の大蔵省は東大法学部ばかりだった。必ずしも現代が高学歴偏重になっているとは言えないのではないか。

 筆者は最近の高学歴=金持ち、という風潮は昔から懐疑的だったし、論点がズレているようにも感じられる。例えるならば「官僚が金持ちでムカつく」という議論に近しいものを感じるのだ。確かに世の中の平均に比べれば高収入かもしれないが、そこじゃないだろという感想である。

 才能も環境もぶっちゃけ運であり、両者に道徳的な差異は無いと思うのだが、なぜか格差社会を論じる文脈では環境はアンフェアで才能はフェアという議論がされやすい。不思議でならない。こうした発想の行き着く先はDNAランクで人間が階層化されるディストピアでしかないだろう。こうしたフラストレーションの是正に必要なのは「逆転」ではなく、格差是正以外に考えられないし、ゲームのルールが変わっても競争社会が続く以上は誰かが勝って誰かが負けて、同じ構図が繰り返されるだけである。

 要するに、格差と流動性の区別が着いていない人間があまりにも多すぎるということだ。


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