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2023年版・世界最悪の独裁者ランキングを考えてみる

 以前はフォーリンポリシー誌から「世界最悪の独裁者ランキング」というものが刊行されていた。世界の権威主義政権のリーダーを腐敗度や残虐度などでランク付けし、並べていくものである。残念なことにこのランキングは2010年以降発表されていないようだ。2010年の最後のランキングではトップ3は金正日(北朝鮮)、ムガベ(ジンバブエ)、タン・シュエ(ミャンマー)となっている。
 世界の情勢は絶えず変化しており、このランキングも大きく変化しているだろう。2010年のランキングに乗っている人物のうち、現在も政権にとどまっているのは一握りだ。2011年のアラブの春だけで4人の人物が消え去っている。一方でこの13年の間に勃発した戦争や新たに生まれた権威主義政権も多数ある。それらを総合して2023年版のランキングを作ってみたらどうなるだろうというのが今回の試みである。

第10位 アレクサンドル・ルカシェンコ(ベラルーシ)


 第10位にランクインするのはベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領である。
 ルカシェンコは「欧州最後の独裁者」とも言われるように、以前から強権的な統治が目立っていた。2021年の反政府抗議運動もルカシェンコは治安機関を動員して弾圧し、現在も政権に留まっている。
 ルカシェンコの30年近い統治はそこまで劣悪だったわけではない。ルカシェンコはもともとソ連共産党の下級幹部だったが、ソ連崩壊の混乱の最中の1994年に大統領に当選する。ルカシェンコはロシアの混乱とは裏腹にソ連時代の遺産をなるべく温存する政策を取った。ロシアとの密接な関係を維持し、ソフトランディングを目指したのである。
 その方針が功を奏し、ベラルーシはソ連崩壊後の経済難が比較的穏やかだった。民族紛争や目立った政情不安に苦しむこともなく、30年間平穏な統治を行われた。隣国のウクライナとは大違いだ。ベラルーシの農村や高齢者にルカシェンコ支持者が多いのはこれが大きな理由だろう。

 ベラルーシが国際社会で批判にさらされる理由は2022年のロシアのウクライナ侵攻に手を貸したことだ。首都キエフを攻撃するためにロシア軍はウクライナの真北に位置するベラルーシの通行を要求してきたのだ。ルカシェンコは侵攻が成功すると思ったのだろう。多少の政治的リスクを承知でかねての友好国ロシアに協力することにした。
 結果は破滅的失敗に終わり、ロシアは泥沼の戦況にはまり込んだ。現在の戦線は東部に限られており、もはや首都キエフを含む北部はロシア軍の活動地域にはなっていない。ベラルーシは領地を貸しただけ損したのである。
 現在も国際社会でベラルーシはロシアと共に批判される立場にあり、スポーツの国際大会でも度々締め出されてしまう。ルカシェンコは政治的な賭けに負けてしまったと言えるだろう。

第9位 セルダム・ベルディムハメドフ(トルクメニスタン)

 トルクメニスタンはソ連崩壊で生まれた中央アジアの国の一つだ。この国は旧ソ連諸国の中で最も権威主義的であることで悪名高かった。2000年代の世界最悪の独裁者ランキングでもトルクメニスタンは必ず上位にランクインしていた。それは現在でも変わらない。報道の自由度の指標では必ずワースト3に入っている。世界でも有数の全体主義的統治が行われている国と言えるだろう。 
 現在の政権の座にあるセルダム氏は前大統領のグルバングル・ベルディムハメドフの息子だ。旧ソ連で二回目の独裁者の世襲が行われたことになる。セルダムは特に改革を行ったような形跡はなく(でなければ世襲をする意味があるだろうか)トルクメニスタンは現在でも「中央アジアの北朝鮮」のままである。 
 トルクメニスタンにこのような閉鎖的で独裁的な統治が誕生した理由の一つは天然ガスだ。トルクメニスタンは世界第4位の天然ガス埋蔵量を誇る資源大国であり、産業の殆どが天然ガスの輸出で賄われているレンティア国家なのだ。 このような資源国はなかなか民主化されないし、腐敗も凄まじい。統治体制の刷新を行わなくても自動的に収入が入ってくるからだ。政府は資源で得た収入を政権関係者にばらまくことによって歓心を買うことができる。中東の権威主義政権の大半も同様の構図だ。
 トルクメニスタンの統治が円滑に行われているかはわからない。トルクメニスタンは極めて秘密主義的な国家だからだ。人口統計が正しいかもわからない。人口は600万とされているが、実際には国民の多くが生活苦から逃げ出し、300万しか居住していないのではないかという説もある。トルクメニスタンの貧困率は一人あたりのGDPから推計されるよりも遥かに高いとも言われる。現体制の安寧が続くかは当人たちにも予測できないのである。

第8位 習近平(中華人民共和国)

 2022年、一つの映像が世界に衝撃を与えた。中国共産党の党大会で胡錦濤前国家主席が無理やり退場させたられたのである。もはや中国共産党に習近平に意見できる「長老」が存在しないことが明らかになった。
 毛沢東時代の個人崇拝の反省を受けて、鄧小平は自発的に最高指導者の座を引退し、10年おきに指導部が刷新される体制を作り上げた。中国共産党が安定して中国の経済成長をもたらせたのはこの鄧小平体制の有能さが要因の一つとしてあるだろう。
 しかし、習近平はこの慣例を破り、異例の3期目に突入した。習近平はおそらく終身独裁制を目論んでいるのだろう。集団指導体制は完全に崩壊し、中国共産党は鄧小平の党から習近平の党になったのだ。
 
 2000年代、前任者の胡錦濤はチベット弾圧問題で国際的批判を受け、独裁者ランキングの上位に必ずランクインしていた。習近平も同様の行為を行っている。2019年ごろからウイグルの大量弾圧が問題になったからだ。ウイグル人は人口増加率が高く、イスラム教を信じているため中国共産党にとっては信用できない存在と見做されたらしい。一説には100万ものウイグル人が中国の収容所に入れられたと言われる。これは大変な数だ。仙台市の人口に匹敵する人数が新疆ウイグル自治区のあちこちに収監されたのである。この大量弾圧は中国が結局のところ共産党一党独裁の専制国家であることを裏付けた。香港の弾圧も記憶に新しい。
 21世紀は日に日に国力を増していく中国と西側が対決することになると言われる。その時がいつになるかはわからない。しかし、その時西側にとって敵となるのは、個人独裁を更に推し進めた習近平かもしれない。

第7位 イサイアス・アフェウェルキ(エリトリア)

 エリトリアはアフリカ北東部に位置する小国だ。アフリカの国でも特にマイナーだろう。この国は90年代にエチオピアから独立したばかりの若い国だ。
 エリトリアが話題にされる時のネタは一つだけだ。エリトリアは「アフリカの北朝鮮」と呼ばれる全体主義国家なのである。

 エリトリアは建国以来一度も選挙が行われておらず、独立戦争を率いたイサイアス書記長が未だに全権を掌握している。報道の自由度ランキングでは毎回北朝鮮とワースト争いをしており、その他の政治的ランキングでも決まって最下位クラスだ。2000年代の世界最悪の独裁者ランキングでもイサイアスは上位にランクインしていた。

 エリトリアの全体主義政権で悪名高いのは徴兵制だ。エリトリアは男女皆兵で、徴兵年齢に達すると強制的に軍に入れられる。恐ろしいことに、エリトリアの徴兵年数は無期限である。実際に軍務につかなくとも国家の命令でいつでも無償労働力を提供させられる。職業選択も国家の命令で行われ、国家全体が軍隊のようになっている。北朝鮮と非常によく似た国家だ。
 エリトリアの体制が生まれた原因の一つは1998年に勃発したエチオピア・エリトリア戦争だろう。戦争は3年間続き、10万人が戦死したと言われている。アフリカの国家間戦争としては最大規模だ。長らくエリトリアとエチオピアは激しい緊張状態にあったが、2018年に和平合意が結ばれ、両国は現在友好関係にある。軍事的緊張関係が緩和したとなればエリトリアの現体制もいつかは柔軟になるかもしれない。

第6位 ミン・アウン・フライン(ミャンマー)

 ミャンマーは長らく世界でも有数の閉鎖的な軍事独裁政権が続いていた。この独裁体制は2011年に民主化が行われたことで廃止され、アウンサンスーチー率いる民主政治が行われていた。 しかし、ようやくミャンマーに生まれた民主主義は2021年のクーデターで転覆する。ミャンマーは再び旧体制に戻ることとなった。 
  ミャンマーに軍事政権が復活した理由の一つとして、そもそもミャンマーが完全には民主化していなかったことが挙げられる。軍部は常に議会での一定の議席を保証され、政策に拒否権を持てる立場にあった。また軍部の数々の利権は保持されたままであり、アウンサンスーチー政権も手を出せない状態だった。 
 国際社会で悪名高いのはロヒンギャ問題だろう。当時のミャンマーはまだ民主体制のままだったが、それとは関係なく国軍は少数民族の虐殺を行っていた。これはかなり異常な状態である。アウンサンスーチー政権は軍部に統制を及ぼそうとしたが反発を買い、2021年のクーデターでミャンマーは名実共に国軍の独裁体制に戻ってしまった。
  ミャンマーは建国以来山岳地帯で少数民族の武装蜂起が続いている。現在もそれは同様だ。2021年のクーデターで民主派が抵抗を始めたことにより、ミャンマーは再び不安定化の道を辿っている。現在のミャンマーは低強度紛争の状態だ。国軍は農村部に爆撃を行い、多くの村人が殺されている。この国の先行きは明るくない。

第5位 金正恩(北朝鮮)

 第5位にランクインするには日本でも度々話題になる将軍様の国である。北朝鮮は過去半世紀、世界で最も非民主的な国であり、異常な全体主義体制が続いてきた。スターリン時代のソ連を更に上回る個人崇拝と専制政治は現在も続行している。

 北朝鮮は完全に失敗した国だ。高度に発達した東アジアの中心で北朝鮮だけがサハラ砂漠以南のアフリカよりも貧しい暮らしを強いられている。東アジアの夜景を上空から撮影すると北朝鮮の部分だけ完全に暗闇に包まれているのが分かるだろう。1990年代には100万人が餓死した大飢饉が発生した。いまも北朝鮮の人民は貧困に苦しんでいる。
 北朝鮮の独裁政権の害悪が際立つ理由の一つが韓国だろう。北朝鮮はもともと韓国と一つの国であり、民族的・社会的な均質性も高かった。それが政治体制の違いによってここまでの格差が開いてしまった。韓国が世界でも有数の先進国なのにたいして北朝鮮は飢餓が蔓延している。これが北朝鮮の政権の責任でないとは多くの人間は考えないだろう。

 北朝鮮の特徴として政権が三代に渡って世襲されていることにある。貴族制度に反対しているはずの社会主義国にしては異様である。現在北朝鮮を統治しているのは三代目の金正恩だ。 金正恩が就任してからすぐの時は北朝鮮の政権に改革が行われ、自由な国へと変わるのではないかと期待があった。しかし2013年の張成沢粛清事件でやはり北朝鮮が異常な共産主義独裁国家であったことが示された。極端な貧困・残虐な粛清・全く自由のない全体主義・・・北朝鮮はおそらくポスト冷戦期に存在していた政権の中では最も邪悪な政権だろう。
 ただしこの5年、北朝鮮は目立った動きを見せていないので2023年のトレンドとしては第5位とした。

第4位 ニコラス・マドゥロ(ベネズエラ)

 第4位に入るのはベネズエラの社会主義独裁政権である。この政権が誕生したのは1999年だ。ポピュリストのウゴ・チャベスがカリスマ的人気で大統領に当選したことが悲劇の原因である。

  チャベスは21世紀の社会主義を標榜し、ベネズエラにバラマキ政権を誕生させた。その原資となったのはこの国に眠る膨大な石油資源だ。トルクメニスタンと同様に資源の富が独裁政権の手助けとなった。 
 ベネズエラの政権の悪名高さは腐敗の蔓延にある。通常社会主義政権は治安維持に関して強みを持つことが多い。社会全体を統制したがるからだ。 しかしベネズエラの治安はチャベスが当選してから急速に悪化した。政権は軍と警察にオイルマネーをバラマき、機能不全を引き起こした。
 ベネズエラの殺人発生率は世界最悪で、人口1000万人以上の国の中では決まって一位である。首都のカラカスは世界で一番治安の悪い大都市として知られ、殺人事件の発生率は日本の600倍である。
 ベネズエラのあらゆる行政機構は機能を停止し、国は崩壊へと突き進んでいった。ベネズエラ経済の根本である石油公社も蔓延する腐敗によって機能不全を起こし、ベネズエラの産油量は半分以下に低下した。かくして2014年以降のベネズエラの経済危機が引き起こされる。
 ベネズエラではハイパーインフレが発生し、GDPは以前の3割にまで縮小した。ソ連崩壊後のロシアよりも更に深刻な値である。戦争と革命がない状態でここまでの経済危機を引き起こした国は存在しないと言われている。経済危機を受けて暴動が発生したが、チャベスの後継者となったマドゥロは国会を廃止し、完全な権威主義政権として開き直りを始めた。

 2019年、ベネズエラではクーデター未遂が発生した。国家の危機的状況を考えれば当然だろう。しかしクーデターは失敗し、マドゥロは現在も政権の座にある。政権は軍の上層部に金をバラまいて懐柔しているため、軍は反乱を起こしにくい。キューバの諜報機関の助けも借りているようだ。
 政権は体制維持のためのオイルマネーが尽きると今度は麻薬取引を資金源とするようになった。現にマドゥロの親族の何人かもアメリカ当局に逮捕されている。ベネズエラの国内では政権と癒着したギャング集団が「統治」を行い、コロンビアに替わって麻薬取引の中継地点となっている。治安の悪化と経済崩壊に困り果てた国民は国外脱出を図り、現在ベネズエラは国民の1割が難民となっている。堕落したポピュリスト政権によってベネズエラは破綻国家と成り果てたのだ。


第3位 バッシャール・アル=アサド(シリア)

 三位にランクインするのは悪名高いシリアのアサド大統領である。

 2011年にアラブの春を受けてシリアでは大規模な民主化デモが発生した。アサドはエジプトやチュニジアと異なり政権の座を譲り渡す気は毛頭なく、徹底的な弾圧で応えた。反乱は一気に拡大し、シリアでは21世紀最大の戦闘が発生し、国民の3割が難民となり、ISISが跳梁跋扈するようになった。
 シリア内戦で特に指摘されるのはアサド政権軍による残虐行為である。シリア内戦で発生した30万の民間人犠牲者の殆どはアサド政権側の攻撃に起因するものといわれる。市街地への空爆で多数の市民が命を落とし、政権の運営する軍事刑務所では何万という人が拷問死していった。現在権力の座に就いている独裁者の中でも最も人道に対する罪で起訴される可能性が高い人物だ。

 バッシャール・アル=アサドは権力闘争に勝ち抜いて独裁者の座に就いたわけではない。彼の父はシリアを30年にわたって支配した独裁者のハーフェズ・アル=アサドだ。シリアはアサド一族によって半世紀以上支配されている王朝独裁国家なのだ。
 バッシャールは次男であり、もともと大統領を継承する予定はなかった。医師免許を取得し、ロンドンで眼科医を営み、美貌の妻と結婚生活を楽しんでいた。バッシャールはどこにでもいる物静かな青年だったようだ。
 しかし、兄のバシールが事故死すると急遽母国に呼び戻されて恐ろしい父親の後継者となった。本人にそこまで意欲はなかったようだが、指名された以上は仕方がない。2000年に34歳の若さで父の後を継ぎ、現在に至るまで独裁者として君臨している。

 2020年代に入るとシリア内戦は政権側の優勢で小康状態になり、もはやアサド政権が倒れる可能性は亡くなった。しかし現在でも国土の北部は政府の統治下になく、国民の多くは依然として難民のままだ。内戦で破壊された国土の復興は困難を極め、シリアに対する経済制裁も解除されないままになっている。
 今年になってシリアはアラブ連盟に復帰し、国際社会での孤立は解消されつつあるようだ。しかし、アサド政権が世界の独裁政権の中でも際立った暴力性を見せていることには変わりがなく、西側世界はアサド政権の人権侵害を水に流すことは無いだろう。

第2位 ウラジーミル・プーチン(ロシア)

 第二位にランクインしたのは現在「世界の敵」として扱われているロシアのプーチン大統領である。2022年にロシアはウクライナに全面攻撃を行い、国際社会に大きな衝撃を与えた。戦争は現在も継続中で、ウクライナ東部戦線では激烈な戦闘が続いている。

 北朝鮮やシリアの政権と比べるとロシアの現政権は比較的開明的に見えるかもしれない。一応民主主義の体を取っているし、国民への締め付けもそこまで厳しくないからだ。しかしロシアは世界大国であり、世界最大の核保有国である。そして国内や周辺には多種多様な民族を抱える。専制帝国を統治するのは並大抵の権力では不可能だ。
 
 プーチン政権の門出は大量殺戮から始まる。1999年、ロシアで高層アパートの連続爆破事件が発生し、当時のプーチン首相はこれをチェチェン過激派の仕業と断定した。事件には自作自演を疑わせるいくつかの証拠があったが、ロシアの国民はチェチェン独立派に手を焼いていたため、プーチンの果断な対処に拍手喝采した。第二次チェチェン戦争の始まりである。
 プーチンはチェチェン共和国に無制限の暴力を行使し、多くの人が容赦なく殺されていった。分離独立派のリーダーは全員が暗殺されている。

 また政権の暴力はチェチェンにとどまらない。2006年、プーチン政権の秘密をリークした元諜報機関職員のリトビネンコがロンドンで暗殺された。暗殺には放射性物質が使われた。ロシアの仕業と見せつけんとばかりの犯行だった。リトビネンコは裏切り者への見せしめだったのだ。
 同様な暗殺事件は他にも多数ある。100人以上が暗殺されたとも言われる。現在でもウクライナ侵攻を批判した有力者が不審な死を遂げることはおい。プーチン政権の特徴はピンポイントな暴力性とも解釈することができる。

 ロシアの悪行は国内にとどまらない。世界の様々な独裁政権はアメリカと仲が悪いので、決まってロシアを頼る。シリア内戦でアサド政権側が勝利した最大の理由はロシア空軍が2015年に参戦したからだ。ロシア軍の圧倒的な火力によって反体制派の根拠地は破壊され、もはや抵抗する気力は残らなかった。
 他にもロシアの支援を受けた権威主義政権はたくさんある。ここに登場する独裁政権は一つを除いて全てロシアと密接な友好関係にある。ベラルーシ・北朝鮮・シリア・エリトリアといった国々は全てロシアのウクライナ侵攻の非難決議に反対しているのだ。西側という共通の敵を抱えるがゆえの団結である。

 悪の枢軸のボスといえるロシアだが、そのロシアにすら忌み嫌われる超独裁政権が世界には一つだけ存在する。あらゆる国との関係を絶ち、暗黒政治に邁進する恐ろしい国が存在するのだ。その国が今回のランキングの第一位である。

第1位 ハイバドゥッラー・アクンザダ師(アフガニスタン)

 2021年、アメリカのバイデン大統領はアフガニスタンからの撤退を発表し、20年間続いたアフガニスタン戦争はアメリカの敗北という形で終結した。元々欠陥だらけだったアフガニスタンの共和国政府は米軍撤退を待たずして崩壊し、20年ぶりにタリバン政権が復活することになった。新たな全体主義政権の誕生である。

 ここ半世紀のアフガニスタンの歴史は悲惨極まる。1973年の王政廃止の後、政情不安が相次ぎ、1979年のソ連軍の侵攻では数え切れない国民が命を落とすことになった。1992年の共産政権が崩壊すると、今度は軍閥同士の内戦が始まり、再び国土は引き裂かれることになる。
 この悲惨な混乱状態の中で勢力を拡大したのがタリバンだ。タリバンは軍閥と違って規律正しく、アフガニスタンの秩序を曲がりなりにも保つ能力があった。内戦状態になると過激派が主導権を握る現象はロシア内戦から現在のシリア内戦でも見られるお決まりの現象だ。1996年にタリバンはカブールを奪取し、国土の9割を支配するに至る。しかしこれは別の問題を孕むことになった。

 タリバン政権は成立当時から大変悪名高かった。タリバンは極端なイスラム原理主義政党だったからである。タリバンは女子教育を禁止し、公共の場から女性を完全に追い払ってしまった。音楽や凧揚げといった娯楽も全て禁止され、アフガニスタンはタリバンが理想とする中世の価値観を押し付けられることになった。
 タリバンの悪評に追い打ちをかけたのはバーミヤンの大仏爆破事件である。タリバンは世界遺産の大仏を「偶像崇拝」だとして爆破してしまった。イスラム世界ではこのような遺産への破壊行為は珍しく、大仏が現在まで保存されたことからもそれは明らかなのだが、タリバンの解釈では大仏の存在は邪悪なのだ。当然国際社会からは強い批判が寄せられ、タリバンは国際的孤立に陥る。
 そして致命傷となったのは国際テロ組織・アルカイダとの友好関係である。アルカイダは元々スーダンを拠点にしていたが、アメリカの強い圧力により追い出され、アフガニスタンに流れ着いた。タリバンはアルカイダの考えに心から賛同し、客人として迎え入れた。アルカイダはアフガニスタンを根拠地として数々のテロ攻撃を準備し、9月11日のテロに繋がる。
 
 911テロの直後にアメリカはタリバンに最後通牒を突きつける。ビンラディン一味を引き渡さなければ武力攻撃を行うと脅しつけた。タリバンは当然拒否をする(タリバンがアメリカに亡命者の引き渡しを要求したとして、アメリカが応じるだろうか)。アメリカは同盟国とともにアフガニスタンに進行し、タリバン政権は崩壊した。

 それから20年、アフガニスタンは戦争が続き、タリバン政権が復活するに至った。何が悪かったのだろうか。

 アフガニスタンの地は勇猛果敢な山岳民族の住まう不毛の地だ。こうした民族は外部の侵略者に強く抵抗することが多い。大英帝国もソ連もアフガニスタンを支配しようとして敗北している。実は日本やタイと並んでアフガニスタンは欧米列強の植民地になったことがない。アフガニスタンは難攻不落の要塞なのだ。
 また、ブッシュ政権がイラク戦争を行ったことで必要なリソースが奪われた上にアメリカがイスラム世界の敵であるという印象が強まってしまった。この状況でアフガニスタンの国民を味方につけるのは難しいだろう。
 パキスタンの支援も決定的だった。タリバン政権は創設時からパキスタン軍統合情報部・通称ISIとの関係が深く、それはアフガニスタン戦争の際も変わらなかった。政権が崩壊するとタリバンはすぐさまパキスタンに逃げ込み、再起を図った。ビンラディンが隠れていたのもパキスタンだった。ISIこそがタリバンのゴッドファーザーであり、今回の悲劇の原因であるという見方もある。
 そしてタリバン復活の最大の原因は共和国政府の腐敗だ。これは他のどの要因よりも大きいだろう。そもそもタリバンのような過激派が民衆から支持を受けるのはタリバンよりも共和国政府が酷いからと考えるのが自然だ。共和国政府の腐敗は世界最悪だった。国際社会の復興援助も大半が横領されてしまった。2021年にタリバンが攻勢をかけると豊富な装備を持っていたはずの共和国軍は数ヶ月と経たずに崩壊した。共和国政府はある意味でタリバンと同じくらい異常な欠陥政権だったのである。

 こうして2023年現在、アフガニスタンは第二次タリバン政権の支配下にある。この政権を承認する国家は一つたりともない。国連にも議席がなく、共和国時代の大使が未だに任命されている。中国やロシアですら見捨てる有様だ。 シリアや北朝鮮と比べてもタリバン政権は国際社会で問題視されていることになる。
 タリバンは依然として女性蔑視政策を継続している。アフガニスタン全土の女子教育は禁止され、女性の社会参加は不可能だ。国連がこの国を承認することは決して無いだろう。現在の国際社会のジェンダー平等に対する考え方からタリバンは完全に逸脱しているのだ。
 また民主主義も廃止された。アフガニスタンには議会が存在しない。近代国家の政治機構も全てタリバンが廃止した。したがって民主主義指数では北朝鮮を破りダントツの最下位である。
 アルカイダとの関係も続いているようだ。彼らが多用する自爆テロはもともとアルカイダから教わったやり方だ。数々のテロ容疑で指名手配中のハッカーニ容疑者は内相に就任した。アフガニスタンは以前のような暗黒統治に戻ってしまった。
 もちろんタリバンに反対する勢力もいる。よりによってアフガニスタン最大の反タリバン勢力はISISである。どうやらアフガニスタンに西側の価値観に賛同する勢力はいなくなってしまったらしい。アフガニスタン人の考えが独特すぎるのか、共和国政府がとてつもなく嫌われているのかはわからない。しかしアフガニスタンのイスラム原理主義統治はこの感覚だと当分は続きそうである。

 現指導者のアクンサダ師は三代目の指導者である。創設者のオマル師は病死し、二代目のマンスール師は米軍の空爆で死亡した。アクンザダ師はほとんど表に現れず、顔写真も長年に渡って不明だった。表舞台で目立って活動しているのはバラダル副指導者やハッカーニ内相といった最高幹部たちだ。最高指導者が表に出てこない秘密主義的な統治体制はかつてのクメール・ルージュを彷彿とさせ、なにやら不気味である。

ランク外の国々

 惜しくもトップテンに漏れた権威主義国家は多数存在する。特に権威主義国家が多いアフリカの独裁者がほとんどランクインしなかったのは意外だった。2023年現在、アフリカの独裁者で目立った動きを見せている人物は少ない。2000年代はジンバブエのムガベやスーダンのバシールのような人物が存在したのだが、両方ともに失脚してしまった。スーダンもジンバブエもその後に別の独裁者が誕生して今に至るのだが、トップテンの国々に比べると目立った悪行は行っていないようだ。
 国際社会から批判を受けるような犯罪行為は行っていないが、長い間独裁的に君臨している独裁者も多い。カンボジアやイランは30年以上も一人の人間による統治が続いている。こうした政権の腐敗と弾圧には反対意見も多いが、トップテンに載るには「力不足」だ。
 

独裁者の末路

 独裁者の末路は様々である。2010年版のトップテンにランクインしていた人々のうち、現在でも政権の座を握っている人物は多くない。彼らのその後について見てみよう。
 
 2010年度版
1 金正日(北朝鮮):2012年に死去し、息子への世襲を成功させる。
2 ムガベ(ジンバブエ):2016年のクーデターで失脚。
3 タン・シュエ(ミャンマー):民主化に伴い平和裏に引退。
4 バシール(スーダン):2019年のクーデターで逮捕。
5 ベルディムハメドフ(トルクメニスタン):存命中に息子に政権を譲る。
6 イサイアス(エリトリア):在任中。
7 カリモフ(ウズベキスタン):2016年に死去。
8 アフマディネジャド(イラン):任期満了で退任。
9 ウォルドゲオルギス(エチオピア):任期満了で退任。
10 胡錦濤(中国):任期満了にて退任後、失脚

 
 惜しくもトップテンに入らなかった独裁者にはもっと劇的な末路を辿った者がいる。リビアのカダフィ大佐は2011年の内戦勃発で最後まで戦い続け、民兵に血祭りにあげられるという最後を遂げた。チャドのデビ大統領は反政府軍との戦闘で戦死している。

 今回取り上げた10人の末路もおそらく様々だろう。死ぬまで権力を握り続ける者、平和裏に引退する者、クーデターで失脚する者、亡命する者、暗殺される者、国際裁判にかけられる者などがいるに違いない。どの人物がどの末路を辿るのかは神のみぞ知るだろう。

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