見出し画像

モンティ・ホール問題が腑に落ちないのは、これが国語の問題だからではないか

 数学的な事実を逆手に取ったパラドックスの代表格として存在するのが「モンティ・ホール問題」だろう。この問題は非常に有名であり、長年議論されてきた。数学的な理屈は解っていても騙された気分になる人は多いはずだ。

 モンティ・ホール問題とはこんな問題だ。

 あなたはテレビの番組に出ている。司会者はあなたの前にA・B・Cの3つの箱を用意する。この中の1つには100万円が入っている。賞金の当たった箱を当てれば賞金獲得となる。あなたはAを選んだところ、司会者はCの箱を開いて中身が空であることを示した。はたしてあなたは箱を変更するべきだろうか?

 直感的には賞金がAに入っている確率もBに入っている確率も等しいから確立は2分の1だ。従って10万円を払って箱を変更する意味はない。単にCの箱が空と示されたことで3分の1だった確率が2分の1に上がっただけだ。しかし、この回答は間違っている。

 本当はAの箱に賞金が入っている確率は3分の1のままで、Bの箱に賞金が入っている確率は3分の2だ。したがって選択を変更するというのが正答である。そんなバカなことがあるだろうか?Aに入っている確立もBに入っている確率も同じのはずではないのだろうか?司会者がどう行動しても箱の中に賞金が入っているという事実は変更されないのではないだろうか?

 だいたいの説明はこのようなものだ。初期段階で賞金がAに入っている確率とBに入っている確率とCに入っている確率は等しい。Aに入っている場合はそのまま変更しなくても賞金を手にすることができる。Bに入っている場合は司会者はCを開け、変更しないと賞金を手にすることができない。Cに入っている場合は司会者は今度はBを開けるので、やはり変更しないと賞金を手にすることができない。結果としてAに賞金が入っている確率は3分の1、BとCのうち司会者が開けなかった方に賞金が入っている確率は3分の2だ。

 やっぱり論理では理解できても腹落ちしない人が多いのではないだろうか。私も未だに腹の底では納得していない。この問題の真髄はテレビ番組の企画という特殊な状況にあり、司会者の振る舞いが実は問題が成立する重要な前提になっているのである。

 あなたがAを選択したとしよう。司会者が話を続ける前に1人の酔っ払いがスタジオに乱入し、Cの箱を開けてしまったとする。中身は空だった。この場合は実はモンティ・ホール問題は成立しない。大変奇妙だが、開けた人間の意図によって確率が変更されてしまうのである。

 この場合も賞金がA・B・Cに入っている確率はそれぞれ3分の1だ。賞金がAに入っている場合はあなたは賞金を手にし、賞金がBに入っている場合は変更しないと賞金を手にできず、Cに入っている場合は酔っ払いが賞金を床にぶちまけて終わるだろう。このシチュエーションの場合、賞金がCに入っている選択肢は消えるので、AとBの二択となり、あなたが選んだAに賞金が入っている確率は2分の1である。

 両者の違いはどこに存在するだろうか。酔っ払いは何も考えずに箱を開けただけだ。だから、箱に賞金が入っている確率は一切変動しない。単にAかBかの二択に絞られただけである。ところが司会者は番組を盛り上げるためにわざと賞金の入っていない箱を開けるだろうという前提が隠れている。司会者BとCのうち賞金が入っている箱を開けてしまうと、番組としては面白くないからだ。「賞金の入ったCの箱を開ける」という選択肢は酔っ払いの場合と異なり存在しない。これはバラエティ番組という特殊なシチュエーションで発生しうる状況であり、実生活に意外にこうした場面はない。だからこそ人間は感覚的にモンティ・ホール問題を理解できないのではないだろうか。

 モンティ・ホール問題は数を増やすとわかりやすくなる時がある。例えばあなたが国境検問所の兵士であり、相棒と2人で難民を選別する任務に従事していたとしよう。検問所には1000人の難民が押し寄せており、この中に1人だけテロリストが紛れていることが分かっている。

 あなたは近くにいた1人目の人物に話しかけてチェックしようとした。しかし、彼は質問中に突然体調不良で倒れ、あなたはその人物を医務室に運ぶために時間がかかってしまった。その間に相棒はチェックを進め、998人がテロリストでないことが分かった。体調不良で倒れた最初の人物と、まだチェックされていない最後の人物のうち、どちらがテロリストである確率が高いだろう。

 相棒があなたと同様に真面目にテロリストをチェックしていたとする。この場合は両者がテロリストである確率は等しく2分の1だ。たまたまチェックした998人が揃いも揃ってテロリストではないという奇跡的な偶然が起こった日ということになる。「998人もチェックしたのにまだテロリストは見つからないのかよ〜」という相棒の愚痴を聞かされながら、残る2人にテロリストの候補を絞り、チェックをするはずだ。

 別の世界線を考えよう。あなたが医務室にいる間に諜報機関から不穏な情報が入ってきた。あなたの相棒は実はテロ組織に内通しており、「テロリストが隙を伺って逃げられるようにテロリストでない人物を優先的にチェックしている」というのである。急いで検問所に戻ると相棒は既に998人のチェックを終えていた。この時点で残っているのは1人だ。この場合、パターンは2つだ。1つは最後まで残っていた人物がテロリストで、これから逃亡しようとしていた可能性、もう1つはあなたが最初にチェックした人物が偶然にもテロリストで、体調不良で倒れてしまった可能性だ。

 どちらの確率が高いかは明白だろう。大抵の場合は後者の人物がテロリストだと考えるはずだ。その確率たるや1000分の999だ。相棒はわざと違う人間をチェックして時間を稼ぎ、テロリストに逃げる時間を与えていたのだ。しかし、テロリストはなかなか逃げるチャンスが見つけられず、相棒は998人のチェックを終えてしまっていた。相棒はなかなか逃げられないテロリストにハラハラし、最後の1人としてチェックせず残さざるを得なかった。あなたは最後の1人をチェックし、相棒とセットで憲兵に突き出す。トボトボと連行されていく相棒に対して「998人も連続してシロなんて、偶然にしてはできすぎている。お前は最初からテロリストの顔が分かっていたんだな」と吐き捨てるに違いない。

 最初の人物がテロリストだった場合、極めてテロリストは運が悪い。何しろあなたが最初の一発でテロリストを当ててしまったからだ。なんと確率は1000分の1である。テロリストも相棒もいくらなんでも50人分は時間を稼げると思っただけに、あなたの運の良さを心から呪うだろう。テロリストは「なんで一発目でオレに来るんだよ〜」と心のなかで叫んでいるだろう。きっと彼の体調不良は詐病か、よほどのショックが原因に違いない。

 モンティ・ホール問題が成立するのはこのように相手に特殊なインセンティブが存在している場合だ。司会者はバラエティ番組を盛り上げるために空箱を意図的に開け、相棒はテロリストの時間を稼ぐためにシロの難民ばかりをチェックする。どちらも「正解」を知っており、何らかの理由でその正解を引き当てないように行動しているのである。このようなシチュエーションはなかなか実生活には存在せず、直感的な理解を妨げている原因だ。

 より実生活にありがちなシチュエーションはこっちだ。例えば8歳の息子に同様のゲームを仕掛けられたとする。あなたがAの箱を選択したら、急に慌てた顔をした息子が箱の変更を申し出て来た。普通は自分が賞金の箱を引き当てたのを見て、焦って変更を誘ってきたものと思うだろう。子供らしくなんと素直だろう。こうした前提の場合、箱に賞金が入っている可能性は100%だ。ゲームの仕掛け人の行動原理によって簡単に結果は変わってしまう。普通の人間は司会者から変更を持ちかけられたら自分を動揺させる罠だと判断し、むしろ変更しないことを選ぶだろう。

 モンティ・ホール問題はしばしば条件付き確率の問題とされているが、難しさの本質は確率それ自体ではない。この問題の理解に必要なのは司会者の特殊なインセンティブを見抜くことであり、初見ではなかなか困難だ。ゲームの仕掛け人の気持ちを考えることが正解には必須である。相手がプロの司会者なのか、幼気ない子供なのか、酔っぱらいなのかで確率は全く違うものになる。モンティ・ホール問題の本質は数学ではなく、国語だったのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?