内申点制度の弊害について語る

 高校入試には他の入試形態には存在しない特有の制度が存在する。それは内申点制度である。中学校の評定を点数化して本番の点数に足すという制度だ。このために公立高校の入試制度は一般入試と推薦入試がミックスされたような形になっている。内申点制度には問題が多く、一説には中学受験激化の遠因となっているとも言われる。
 私が中学受験の激化に悪い印象を持ちながらも、中学受験を否定できないのは高校受験の内申点制度が理由である。今回はそんな内申点制度について語りたいと思う。

内申点制度は問題が多い

 内申点制度は一部の生徒や受験関係者から評判が悪い。学校の評定が受験にダイレクトに影響するためにどうしても学校の成績を普段から意識せざるを得ないのだ。もちろん受験勉強も成績稼ぎも変わらないのではないか、という意見もあるが、両者には明確な違いが存在する。

 1つ目は内申点制度が公平性に欠くことだ。難関大の入試は共通の基準で採点され、そこには完全な実力主義が存在する。これは効率性以外にも理念として正統性が高いということだ。
 一方で内申点は学校によって付け方がまちまちで、担当教師の気分にも左右される。これでは到底一般入試と同等の正統性は得られないだろう。どうしても「えこひいき」が入るのではないかという感覚を抱いてしまうはずだ。

 2つ目は難関大学を志望する者との相性が悪いことだ。大学入試と中学入試は同じ一般入試で行われることが多く、両者の感覚は近い。中学受験を頑張ったことは必ずその後の勉強で役に立つ。中学受験で優秀な成績を叩き出した生徒が中高一貫校で塾に通って勉強し、大学受験でも優秀な実績を修めるのである。
 一方で、内申点はあまりレベルの高くない公立中学のカリキュラムで成績が付けられるし、しばしば副教科が倍の配点だったりする。中高一貫校の生徒が鉄緑会に通っている間に公立中の生徒は家庭科の提出物で疲弊しているのだ。これでは難関大学受験の際に埋められない差が付くことは間違いない。

 3つ目は選択の余地が少ないことだ。大学受験は推薦入試やAO入試を受けなければ評定を気にする必要はない。高校受験も私立進学校は内申点を見ないことが多い。
 しかし、こうした選択肢を取る余地は高校受験ではあまり多くない。地方では名門校が軒並み公立だったりするし、首都圏でも高校から入れる私立が減少している。したがって高校受験で良い高校に進もうとすると、内申点制度を回避することができないという問題がある。

高校受験にしか見られない内申点制度

 内申点が必須となるのは高校受験のみである。これが他の受験制度と違った特徴を生み出している。中学受験は公立中高一貫校であってもペーパーテスト勝負であり、大学受験もそうだ。最近は推薦・AOが増加しているとはいえ、大学受験の基本が一般入試にあることは間違いない。

 なぜこうした特殊な制度が存在するのか。それは高校受験が「全入型」の受験であることが大きいだろう。中学受験を行うのは首都圏ですら15%ほどで、事実上エリート層のための受験と言える。大学教育はマス化しているとはいえ、原理原則は選抜制であり、大学側が実力に満たないと判断した生徒はふるい落とすことが可能である。一方で高校入試は公立の場合、全入が前提として存在する。トップ層から底辺層までを対象とするため、自然と齟齬が生じてしまうのだ。

 公立高校は全入型であり、公教育としての平等制が求められる。したがってエリート教育との相性が非常に悪い。現にエリート教育に反発する政治的圧力で、数えきれない公立名門校が破壊されてきた。理不尽な学校群制度や二転三転する制度のお陰で嫌な思いをした受験生は多かっただろう。学校のOBOGが軒並み反対しても、教育委員会の制度改悪によって足を引っ張られてしまうのだ。公立進学校は常に不安定な立場にあり、私立のように建学の理念を安定して守れるわけではないのである。

 内申点制度が存在するのは塾に通えない貧困層の生徒に公立高校への門を開くためでもあり、公立中の荒廃を成績を盾に防ぐためでもある。ただ、これは下位層にフォーカスした制度であるため、富裕層や成績上位層との相性は極めて悪い。彼らは近年、公立の内申点制度に不信を募らせ、中学受験にシフトしている。これが中学受験の異常な激化に繋がっている。

公立高校の入試は「内部推薦化」するかもしれない

 内申点制度は公的機関としての公立学校の特徴を如実に表すものだ。公的制度は常に下位層に焦点が当てられているため、上位層は足を引っ張られる事が多い。格差の大きい国では公立学校が貧困層の受け皿となっており、富裕層は軒並み私立に学校に子供をやっていることが多い。日本でもその状態に近づいていく可能性がある。

 近年、私立学校は中高一貫化する傾向が強くなっており、高校受験では苦戦を強いられている。この傾向が続くと私立中高一貫校と公立中⇒公立高校に進路が二分されていくだろう。

 私立中高に進みたいものは中学受験をし、公立中高に進みたい生徒とは進路が交わらなくなる。こうなると、高校入試は事実上、公立中の生徒を公立高校に振り分ける役割しか果たさなくなるだろう。東大の進振りや早慶附属の内部推薦に近い状態になるのである。学芸大附属中高の内部入試が一番近いかもしれない。要するに、中学と高校がセットで考えられる傾向が強くなるということだ。

結局中高一貫校がベストという結論になってしまう?

 こうした公立中高の問題点が原因で、多くの上位層は中学受験で中高一貫校に流れている。公立中高はエリート教育に適していないので、子供に良い教育を与えたければ金を払って私立の学校に通わせるしかない。名門校云々ではなく、中高一貫校に通わせること自体が目的になっているのが最近の特徴だ。昔の受験生は開成や麻布に行きたかったのだが、今の受験生はどこでもいいから中高一貫校に行きたいのだ。
 
 実際に中高一貫校の教育が優れていることは疑いようがない。公立中の内申点にエネルギーを吸われることがなく、先取り学習なり、受験勉強の域を超えた学習になりにチャレンジできる。中高一貫校の生徒は一芸に秀でていることが多いし、科学オリンピックの代表になる生徒もほぼ全てが中高一貫校に通っている。頭の良いギフテッド的な生徒が内申点で疲弊するのはもったいないとしか言いようがない。

 ただ、こうした傾向に問題がないとは言えない。

 最大の問題点は中学受験が加熱することだ。かつての教育委員会は「15の春は泣かせない」のスローガンのもとに公立高校の平準化を進めたが、その結果「12の春を泣かせる」結果となってしまった。現在の首都圏の小学生はあまりにも幼い時期に苛烈なプレッシャーをかけられ、精神に悪影響が及んでいる。

 また、中高がセットで考えられる結果、学校が合わない生徒にとっては困った事態になっている。仕切り直す機会が減っているのだ。高校から募集すう私立高校が減少し、内申点制度のせいで公立高校が受験できないとなれば、必然的に学校が合わない生徒にとっては苦痛が倍増する。以前は中学受験で不本意でも高校で同じ学校にリベンジするというチャンスがあった。一貫教育が重視されるとこうした機会は減少することになる。

 教育格差の拡大も問題となるだろう。公教育が衰退した結果、中高一貫校に通える生徒と通えない生徒の格差は拡大する。余裕のない家庭の生徒はトップ校に入ることができず、大学入試でも勝つことができない。学費の高騰により少子化が助長される危険性もあるだろう。また、地方の場合は有力な中高一貫校がないことが多く、公立高校が依然として優秀層の受け皿になっている。地方の受験生が首都圏の中高一貫校出身者との格差に苦しむ構図が助長されることになる。

結論:公立学校は問題が多い

 公立学校への不信から子供を私立の学校に通わせたがる親は多い。こうした傾向はヒステリックな側面があるにせよ、完全な杞憂とも言えない。私立高校はわざわざ学費を払って通う学校であるため、公立よりも優れた教育が受けられるのはある意味で当然とも言える。

 公立高校は内申点制度や学校制度改悪などの影響をモロに被る。有名大学への進学を前提とする生徒からすると、こうした公立学校の性質は有害だろう。公立信仰が強い都道府県の優秀層からすると、首都圏のエリート校との格差を感じやすいと言える。

 制度的な理由により、中高一貫校の優位は揺るぎないものとなっている。近年では公立学校自体が中高一貫化を推し進めている。こうした理由により、高校受験のオワコン化は進んでいる。ますます今後は中学受験が活発となるだろう。

 

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