見出し画像

<MBTI>老害化しやすいタイプとしにくいタイプについて

 ここ数日、麻生太郎副総裁の発言が波紋を呼んでいる。女性に対する物言いが前時代的でハラスメント的だというのである。上川外相を「おばさん」と呼んだことが問題視されているようだ。こうした発言は麻生氏の高度な政治テクニックであるという見方もあるのだが、それ自体が時代に合わなくなっている可能性もある。アメリカよりはマシかもしれないが、とにかくジェンダー絡みのトラブルは増えた。これも時代の流れかもしれない。二階氏の失脚は既定路線だろうが、これに加えて麻生氏もとなると、自民党の高齢大物議員は軒並み姿を消すかもしれない。ネットを中心に高齢者への忌避感は強く、十把一絡げに「老害」と言われることがある。

 ところで、MBTIの観点から考えると、老害化しやすいタイプとしにくいタイプははっきりと分かれるように見える。ストレートな物言いをすると、老害化しやすいのはS型で、老害化しにくいのはN型だ。これはほぼ間違いないと考えている。N型で老害化している人物は老害というよりも、別の要因によってそう見えていることがほとんどだ。その理由はなぜなのか、考えていきたいと思う。

S型とN型の環境の捉え方

 これまでも何度か記事に書いたのだが、S型とN型の環境に対する扱い方は大きく異なっている。S型は環境に順応することが多く、N型は環境を形成することが多い。これが最大の違いだ。N型が革新的だといわれる理由の多くは後者の環境形成能力に依る面が大きい。

 中高のスクールカーストのような状況では圧倒的にS型が有利だ。学校という環境は均質性が非常に高い。まず同級生は全員同じ年だ。居住地も学力も似通っている。こうした環境下でイニシアチブを取れるのはS型だろう。マイルドヤンキーがいい例だ。彼らは自分の育った環境からあまり外に出ようとしない。しかし、自分の馴染んだ環境であれば圧倒的に強みを発揮できる。これがS型なのである。

 サラリーマン社会もS型の方が強いと思う。サラリーマンは年次や肩書によって役割意識が強いし、組織に馴染んで組織の考え方を受け入れるのはS型だからだ。

 一方、N型は環境に馴染むのがそこまで得意ではない。与えられた環境を自明のモノとはあまり思わないからだ。それよりも自分で考えて新しい環境を作る方が楽だと思う。N型にとって裁量の多い状態は生きやすいだろう。

 N型の強みは環境に囚われないことだ。その環境で良しとされる行動以外の行動をとって大成功するのもN型が多い。S型はよくも悪しくも発想が日常生活に結びつきすぎているので、N型のこうしたアイデアは時に有用となりうる。

 一方でS型は環境の変化に弱い可能性がある。同じ組織の中であれば問題ないのだが、外部の人間に対応するような場合は得意でないだろう。

エイジロールにハマりやすいS型

 こうした性質から派生して、S型は社会的な役割にピタリとはまりやすいという傾向がある。ジェンダーロールが典型例だ。S型は伝統的な性別役割分担から逸脱しようとしないし、それをダサいとか非常識と思っていることが多い。最近は変わってきているようだが、それも世の中の潮流に敏感だからだろう。世の中の潮流を作り出しているのは基本的にS型だ。N型は時代にかかわらず、多種多様な持論を展開していることが多い。1950年代に人工知能について論じている人物は確実にS型だろうが、2050年代に人工知能で遊びを謳歌しているのはS型だろう。

 役割との相性の良さは年齢に関しても同様だ。S型は子供のころは子供らしくしているし、老人になると老人らしくなる。テンプレからあまり外れないのだ。したがって老人になっても若々しくアイデアが豊富な人間はN型の割合が高くなる。また、年功序列との相性が良いのもS型だろう。慣習に対して疑問を持たずに適応できるのはS型だからだ。ジェンダーロールならぬエイジロールとの相性も良い。

 これが悪い方向に出るのが老害だ。S型はいわゆる老人らしいことが多いので、歳が行くと新しいものに興味がなくなってくるし、会話内容もそこまで面白くなくなってしまう。同年代の老人との会話は得意だろうが、下の世代からみると新鮮味に乏しい。持病の話を熱く語られても若者世代からすると共感が難しいし、あまり魅力的な話題とも思わないだろう。また、年功序列意識も強いので、若い人間が自分に仕えるのが当たり前と思ってしまうときもあり、こうした振る舞いは陰で反感を買うことが多い。

S型のコミュニケーションの弱み

 S型とN型、コミュ力が高いのはどちらだろうか。ここも明確に分かれる。環境を同じくしている人間とのコミュニケーションはS型が強く、環境が異なる相手とのコミュニケーションはN型が強い。

 環境を同じくしている相手とのコミュニケーションは人生で重要だ。学校のスクールカーストが典型例だろう。基本的に陽キャになるのは同級生とのコミュニケーションを上手に運べることが必須になる。S型はそうした会話が得意だ。モテている同級生はES型であることが多い。流行の遊びとか、日常の楽しみとか、そういった物事への興味は恋愛にダイレクトに結びつくからだ。

 会社員になってもこの強みは生きることが多い。会社は確かに年齢も性別も異なる人間の集合体だが、日常業務を一緒にやっていることが多いし、性質上均質性が求められることが多い。こうした環境で円滑にコミュニケーションを取れるのはS型だろう。サラリーマンの会話はIS型の会話であることが多く、日常の出来事に強いフォーカスが当たっている。今日の天気はどうだとか、最近こうした楽しみがあるとか、隣の席の同僚は社内恋愛しているといった内容である。

 ただし、S型の会話の弱点は経年劣化しやすいことだ。何十年も同じ話というケースも多い。こうなると、話の引き出しは増えていかないし、ユーモアのセンスも衰えていく。N型と違って日常生活から離れたものに興味を持ちにくいので、思考停止に陥ることがある。こうなると、人生の後半戦に持ちネタがなくなってしまう。定年退職と同時に人と話が合わなくなってしまうのはS型の方が危険性が高いだろう。

 森喜朗のような「老害」と言われる人物はインサイダーとの会話は得意なことが多い。同年代で仲良くやっている分には無敵だろう。ところが環境が変化したり、同年代が次々と引退するようなシチュエーションでは途端に弱みが露呈することになる。一方で、「徹子の部屋」は様々なバックグラウンドの人間と会話するというスタイルなので、90歳を過ぎても番組として成立してしまっている。

即時的なS型と通時的なN型

 しばしばS型は過去志向でN型は未来志向といわれる。こうした見方が完全に間違いとは言わないが、事実の一部を切り取っているに過ぎないと思う例えば流行に敏感なのはS型だし、新発売の車やらコスメやらに対して敏感にアンテナを張っているのもS型だと思う。

 実際はS型は即時的、N型は通時的といった方が的確だろう。日々の移り変わりに強いのはS型だ。新しい電子機器とか、流行歌とかに詳しいのもS型だ。女子高生のファッションリーダーみたいな人物はS型であることが多いだろう。イケイケである。

 一方のN型はあまり時代に依存しないことが多い。例えば、1950年代にも人工知能を想像している人はいたが、彼らは確実にN型だろうと思う。S型にとってはおとぎ話にしか思えないし、考察することに何のメリットも覚えないだろう。歴史とか数学の話もそこまで年代に依存しないと思う。もちろん進歩はしているのだが、根本的にあり方が変わったわけではない。

 こうした事情から、S型の方が老人になった時に脆弱だ。20歳と80歳が哲学の話や歴史の話をしてもあまり違和感はないだろう。ところが20歳と80歳が流行歌の話をしている姿は想像がつかない。80歳の人間が作った映画を20歳の人間が面白がって見ることはあるが、80歳の人間が20歳のファッションリーダーになることはまずないだろう。

 S型の人間よりN型の人間の方が脳の可塑性が高いとは思えない。例えば電子機器に疎いといった高齢者の特徴はS型N型にあまり関係ないだろう。N型の人間は革新的と思われることが多いが、実はN型の好む分野の方が変化が少ない可能性もある。数学の話も織田信長の話も1960年代と現在で決定的に異なるということはないだろう。仮に進歩していたとしても、根本的なところは変わっていないはずだ。

 N型の好む話題は普遍的なことが多く、それが通時性の原因なのかもしれない。年齢に限らず、N型の普遍性は異性や外国人にも共通だ。大昔のドイツ人の哲学が現代でも価値を持つのはそのためだ。一方でS型の好む日常生活のあるあるや場の空気に依存したネタは普遍性が低い。時代や国、年代や性別が異なれば、たちまち通用しなくなるだろう。朝まで生テレビの「司会」を務めるのは90近い田原総一朗だが、これは政治の番組だからこそ可能なものだ。これが音楽番組とかファッション番組だったら厳しいと思う。

老害化のメカニズム

 これまでに挙げたS型の特徴は老害を生み出す強力な要因になりうる。S型は善くも悪しくも型枠にハマりやすいので、老人になると老人らしくなることが多い。また、コミュニケーションの方法が同質性寄りなので、異なる属性の人間との会話が得意でない。S型が得意としていたり、興味を持っている分野は若さが重要なことが多く、S型はどうにも強みを発揮できないことが多そうだ。

 S型は年功序列社会との相性が良いが、これもまた老害化を加速してしまう。老人になると偉いのが当たり前だと思ってしまうし、自分の属している集団以外の所に目が向きにくくなる。こうなると、下の人間からは扱いにくく感じられる。S型の場合は話題が環境依存的なので、どうしてもネタが過去の武勇伝になってしまう。N型の場合はネタが日常と無関係なところからやって来たり、普遍性が高いことが多く、比較的ネタ切れしにくい傾向がある。

 同年代とのコミュニケーションに限界が来ることもあるだろう。老年期になると同年代はどんどん死んだり病気になっていくし、そうでなくても頭の働きが鈍くなることが多いだろう。こうなると、同質な人間とばかり話していても同じ話の繰り返しになり、化石化が加速しやすい。N型の場合は若い世代か、そうでなくても違う世界の情報を耳に入れる機会が多く、新しいネタを確保しやすいだろう。

 いろいろ述べたが、やはりS型の強みは若いほうが発揮しやすいように思える。筆頭は恋愛やスポーツだ。もう少し後になると家庭とか、会社生活に変わるだろう。ただ、後半戦になるとなかなかS型にとってはテーマが見つかりにくい。老人になると将来を気にする必要がなくなるので、理論上は今を生きた方がいいのだが、現実には今を楽しむ能力は若者の方がはるかに高いというジレンマがある。N型の場合は興味を持つ分野がそこまで若者に偏ってないし、普遍性が高いので高齢期でも追及しやすいだろう。生涯現役にこだわるのもN型の方が多いように見える。

 筆者は人生100年時代を考察するに当たって90歳とか100歳といった超高齢になっても社会的に活動をする人物を調べたことがあったのだが、明らかにN型の人間の方が多そうに見えた。レールを外れているという点でもN型の要素が強いし、超高齢期になってもやりたいことがあるのもN型の好みに近いだろう。N型の中には一定数教育が好きな人がいるが、「自分の思いを次世代に引き継ぐ」といった好みもやはりN型的である。

N型も老害になりうる

 さんざん老害について述べたが、実のところN型も老害と呼ばれることはある。ただし、エイジロールが原因ではない。N型は70代になっても少年のように若々しい心の持ち主がいる一方で、10代なのに擦り切れている者もおり、両者が同一人物の中に混在していることも珍しくない。N型が老害になるのは単に年功序列で出世したとか、後がないストレスから威張るといったケースが多く、老害というよりも純粋な害であることが多い。

 日本を代表する老害が渡辺恒雄だが、この人は完全なN型だ。したがって、渡辺恒雄の話や思考は現代であっても一定の価値があるだろう。なにしろあらゆる歴代総理の懐に入り込んだ人である。戦後政治の証言としてこんなに貴重はものはない。この人はいわゆる老害というよりも、純粋に害なのかもしれない。ナベツネが20代であっても根本的にやることは変わらないだろう。ナベツネの独裁的な姿勢はもしかしたら学生時代に入っていた共産党で覚えたやり方なのかもしれない。

 即時的なS型と通時的なN型という対比は人生においても成り立つだろう。S型はその時その時で立場に応じた振る舞いをするのに対し、N型は善くも悪しくも長年変わらないことが多い。筆者は幼稚園の時に陽キャが好む仮面ライダーの話についていけずに困ったことがあるが、いまだに仮面ライダーの話をするのはN型ばかりだ。N型は表面的な属性に囚われない傾向が強く、しばしば属性に基づいて人間を判断することに強烈な反感を持つ人もN型であることが多い。

まとめ

 今回はS型の弱みについて論じてみた。S型は確かに与えられた環境に適応する能力は高いのだが、そこから外に出ると弱くなることが多い。学校や会社のようにレールが敷かれている場合はそれでも良いのだが、人生の後半戦になるとネタ切れしやすい傾向にある。後半戦は何もしないとどんどん老けていってしまうので、何らかの意識をして自ら環境を作り出さないと老害化は進む一方だ。

 なにかと社会不適合扱いされがちなN型だが、与えられた環境の外に出るとそれなりに強みを発揮できることが多く、高齢期の柔軟性もその一つかもしれない。

 余談だが、強いS型と強いN型が混在している奇妙な業界が芸能界だと思う。芸能人は「今旬」的な要素が強いしマーケティングの観点からもS型の要素が強いと思われている。しかし、演劇人はむしろN型の性質が極めて強いし、構成側もN型多いだろう。

 こうした奇妙な性質は芸能人の年齢構成にも影響しているかもしれない。モデルのようなS型のタイプは若いころに集中して活動しているのに対し、演劇人のようなN型のタイプは比較的高齢期になっても消えにくい。映画監督や脚本家に至っては90近くても活動している時がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?