サラリーマンが儲からない究極の理由〜組織の歯車VS個人稼業〜

 お金持ち・・・よく憧れの対象になる彼らだが、彼らはどのようにして大金を手にしたのだろうか。長者番付の上位に乗る人物、例えば孫正義や前澤友作のような人物は会社で給料をもらって富豪になったわけではない。彼らは社長業をやっているが、決して同期の中の出世競争を勝ち上がったわけではない。彼らは皆、会社の創業者なのである。

 日本のお金持ち研究という書籍によると、富豪の6割は会社経営者であり、2割は開業医である。日本の金持ちの殆どはこの2つによって占められると考えて良さそうだ。他に数億という収入を稼いでいる人物はいるだろうか。野球選手や芸能人等が挙げられる。一部の弁護士もそうかも知れない。地主や投資家ももちろん挙げられる。

 一方で勤め人がこのような地位に到達することはほぼ不可能である。普通のエリートサラリーマンはせいぜい年収2000万、外資系であってもその少し上程度だ。役員クラスになってもせいぜい1億である。しかもこの収入は瞬間最大風速なのだ。
 公務員は更に悲惨だ。なにせ総理大臣の年俸は4000万なのだ。公務員の給与テーブルはこれに準ずるので、事務次官でも3000万弱、それ以下の幹部公務員はキャリア官僚であっても総合商社に届かない。

 これらの違いはどこから生まれたのだろうか。それは個人稼業と組織人、事業者と被用者の違いに起因する。

 個人稼業が青天井に儲かるのはなぜだろう。例えば10万人のファンがいる歌手と1万人のファンがいる歌手がいたとしよう。前者の収入が後者の十倍だったとしても何一つ不思議ではない。彼らは労働者というより事業者だ。市場原理の働く限り、需要さえあれば青天井に儲けることができるのである。
 自営業は客さえ来れば指数関数的に拡大可能だ。個人商店が繁盛して次から次へと店舗を拡大し、いつしか上場企業になったという例は枚挙に暇がない。こうして誕生したのが巨大オーナー企業だ。孫正義や前澤友作といったオーナー社長は拡大した自営業なのである。
 スポーツ選手に関しても、プロ契約は個人稼業的な側面が強い。そのため個人に対する需要さえあれば無尽蔵に年俸は上がる。実業団所属のアマチュアとは対照的である。彼らは特殊な業務をやっているサラリーマンなのだ。

 一方で組織人はこうは行かない。組織人は基本的にグループの一部となって働くからである。
 複雑な会社組織では個人の貢献度を具体的に切り分けることが不可能である。
歌手のように集客といった指標がない。営業成績に繋がらない経理部や総務部の個人の貢献度をどのように評価すればよいだろうか。営業成績は悪いが職場の空気に必要不可欠な人物をどう評価すればよいだろうか。「社員Aは社員Bの十倍貢献している」といった評価が不可能なのだ。
 また、平等主義的な側面がないとチームワークに支障をきたすという事情もある。同期の中で極端に年収に差がついたり、不要とみなされた社員が次々と首を切られる組織では空気が悪すぎて皆が保身に走ってしまう。これでは会社がチームワークどころではなくなり、成果も上がらないだろう。
 芸能人でもグループを結成している人々はこれと似た状態になっている。
 同じ歌手でも大人数グループアイドルは、グループとしての収入は年功序列で平等主義的である。みんなで一つの歌を歌っている以上、その収益は平等ということだ。メンバーの収入差はあくまでグループ以外の個人仕事でもたらされたものである。

 石器時代の人類は部族社会で生きてきた。部族では飼って来た獲物は平等に分けることが普通だ。「お前はキリンを仕留めるのにヘマをしたから肉のは与えない」といった事態は起こりにくいのである。そうした格差は部族の結束を乱してしまう。
 現代社会もコミュニティで生きている限り、似たような構図に出くわす。企業自体は市場原理で動いていても、企業内部の収入テーブルは平等主義的なのである。それは企業という「部族」に属する組織人の宿命なのだ。組織人である限り、個人として台頭する事はできないし、収入面でも同様だ。労働市場での給与水準はあくまで組織人としての貢献を均質にならしたものなのである。
 大きく収入を得るには個人事業主として直接市場原理の中で戦うしかない。個人で事業を営んでいる限りは事業者としての収入がそのまま個人の収入になる。ビル・ゲイツやジャスティン・ビーバーといった人物は皆、個人事業主として市場の競争の中で勝ってきた人物なのである。

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