「竹田くん」というリアルホラー医者について、無能社員の観点から語る

 少し前、赤穂市民病院で1人の医師が医療ミスを繰り返し、死者や負傷者を大量に出したというニュースを見た気がする。また群大病院と同じ展開かと思って気にも留めなかったが、どうにもこの医師、大阪市内の病院に転職してまた死亡事故を起こしているようだ。

 この医師を巡って「脳外科医竹田くん」という漫画が公開されている。やたらと細かいので、きっと関係者なのだろう。

 竹田くんのような人物が現在も医療行為を続けているのは恐怖だし、当たってしまった患者は気が気でないと思う。二度目の事件に関しては被害者の遺族が担当医が竹田くんであることに気付き、訴訟を提起したようだ。

 なぜこのような事態が起こったのか。私は門外漢だが、なんとなくの推測はできる。どこの世界にも致命的に仕事ができない人間はいる。ただ、彼らの多くは窓際族として大人しく暮らしている。組織の側も無能な人間は重要なポジションに就けないし、飼い殺しをして終わるだろう。無能の側もそれを自覚しているので、ネットサーフィン等をして時間を潰すことが多い。

 ところが竹田くんの場合は何故か積極的に仕事を受けたがるようだ。たぶん、脳外科医としてのプライドが原因と思われる。特に男性の場合は職務上の能力や立場に対して強い自負心を持っているケースが多く、自分が無能であると認められないことが多い。竹田くんは手術を停止された際に赤穂市民病院に訴訟を提起しているらしい。これはおそらく経済的な必要性に迫られただけではないだろう。竹田くんの場合、選んだ仕事が医師だったというのも厄介だった。職務上のミスがここまで致命的になるのは会社員ではあり得ないからだ。

 竹田くんと思われる該当医師は愛光高校から横浜市立大学医学部に進学し、在学中はラグビーに精を出したようだ。専門医資格なども全て問題なく取得しているらしい。ここまでキャリアを積み重ねたら、そりゃプライドも出てくるだろう。職務上の無能さとのギャップで精神的に不安定なことは多いだろうし、カルテの変造やら訴訟の提起やらも理想と現実のギャップに対する抵抗なのかもしれない。

 筆者は無能側の人間なので、竹田くんを肯定しないまでも、気持ちはわかってしまう。仕事ができない人間は幸福になりにくい。ただ存在しているだけで他人に害を与えてしまうので、自己肯定感は下がる。はっきり言って「社会の忌み子」である。それでも多くの人は他人に迷惑を掛けないようにネットサーフィンして暮らしているのだが、中には竹田くんのように向かって行ってしまう人もいるのだろう。

 それじゃ仕事をやめればいいじゃんと世間の人は言うのだが、あまりにも酷だろう。向いていないと分かった時にはもう手遅れなことが多いし、これまでの経歴や努力を捨ててフリーターに転落することなどできない。妻子だっているかもしれない。だから無能は仕事をやめられない。竹田くんももしかしたら医者じゃなくて商社に行っていたら良い働きをしたかもしれないが、今更そんな転身は不可能なのである。

 基本的に人間は損失を恐れる生き物だ。無能を叱責している立場の人間だっていつ無能の烙印を押されるかわからない。だから多くの職業はなんだかんだ無能な身内を守るようなシステムができている。竹田くんはこれほど問題を起こしながらも医者として転職に成功している。会社員も犯罪行為に手を染めない限り、首になることはない。やはりこうした「ギルド」の中に一度入ってしまうと、駄目な人間であっても守られ続けるのだ。

 それにしても仕事ができない人間というのは辛い。まず無能なので仕事が面白くない。やはり充実感ややりがいはそれなりに結果を出せてこそなので、無能で仕事が楽しいという人物はまずいないと思う。これが学校やサークルであれば単に「面白くない」で終われるのだが、仕事の場合は周囲に嫌悪されるという要素が加わる。病気や親族の不幸と違って他者に共感と同情を求めることもできない。無能な社会人は朝から満員電車に揺られ、嫌いな仕事をやらされ続け、周囲の人間に嫌われ、逃れることもできずに定年退職まで苦しみ続けるのである。自分からアクションを起こすことは非常に難しく、多くは失敗する。無能社員が退職して起業したとして、年収が上がると思うだろうか?だから多くの無能はその場に留まり続け、生き地獄が続くのである。

 竹田くんもきっと仕事という生き地獄の中で苦しみ続けているのだと思う。ただ生きているだけで人を殺し続けるという呪われた宿命、この点は鬼滅の刃の鬼に良く似ている。鬼も竹田くんも哀れな生き物なのだ。竹田くんは今後医療機関で働けなくなってしまうかもしれない。その時は無能という生き地獄に対する「安楽死」となるかもしれない。

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