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ばあちゃんの話#01~大好きな人の話~

 子どもは母親を選んで生まれて来るといいますが、もしそれが本当なのだとしたら、私が母を選んだ大きな理由の一つに、祖母の存在があったのだと思います。

 昨年の春、桜が咲き誇る穏やかな日に、祖母は亡くなりました。

 ここ最近、祖母のことを毎日のように思い出します。
 なぜでしょうね。
 まあ、そういう時期なのでしょう。


1.ばあちゃんと結婚


 今考えても、時代にそぐわない人生を送った人だと思います。

 祖母は18歳で結婚して女の子(私の母)を産み、その後、20歳で女の子をもう1人産むと、21歳になる頃には離婚していました。

 祖母の家は貧しく6人兄妹の4番目だったこともあり、小さい頃から勉強よりも家の手伝いを優先させられていました。小学校にもまともに通えず、そのせいもあって、祖母は文字を書くことができませんでした。私も、書類の手続きで祖母の手伝いをしたことが何度もありました。

 一方、結婚した相手の家は、インテリのお金持ちだったそうです。祖母は決してその頃の話はしませんでしたが、誰よりも辛抱強い祖母が家を出ると決めたくらいですから、人には話せないようなことが色々とあったのだろうと推測します。

 子ども2人を育てるため、別れた後は働き詰めの毎日を送ったようです。戦時中に子ども6人を独りで育て上げ、また、その威厳のある姿から親戚中から恐れられていた曾祖母すらも、祖母に関しては「あの子は本当に苦労したーー」と言っていたそうです。それくらい、奮闘懸命な人生だったのだと思います。


2.ばあちゃんとじいちゃん

 30代になった祖母は、1人の男性と出逢います。
 それは、私たちが「じいちゃん」と呼ぶことになる人でした。

 美しい言い方をすれば「運命の出逢い」だったのでしょう。しかし、話を聞けば聞くほど、何とも納得のいかない出逢いだと思ってしまうのです。

 じいちゃんは祖母よりも30歳以上も年上でした。曾祖母、つまり、自分の母親よりも年上だったのです。さらには、じいちゃんは当時別の女性と結婚していて、子どもも5人いました。すでに夫婦関係は終わっていたそうですが、離婚までには至っていなかったそうです。

 そんなじいちゃんを、仕事場の人が「紹介したい人がいる」と祖母に紹介したそうです。

いや、誰だよ! 
その、紹介したっつう仕事場の奴、誰だよ!?

普通そんな紹介するか!? 
年の差はしょうがない。
でもさ、せめて離婚してから紹介しろよ!

じいちゃんもダメだなあ。
別れてから会おうよ。

まったく、みんなで私の大事なばあちゃんを!(ぷんぷん)

(私の心の声)

 しかし、どうやら祖母も、じいちゃんが家庭を持っていると知った上で、それでも会おうと思ったらしいのです。

知ってたんかーーーい!

(私の心の声)

 ふたりはすぐに意気投合します。

 じいちゃんは離婚し、祖母のもとへやって来ました。その後も籍を入れることはなく、事実婚という形で、最期まで添い遂げることになります。

 好き同士のふたりが最期まで一緒に過ごしたのですから、素敵な話です。

 しかし、それでもやはり、ばあちゃんっ子の孫としては、あの仕事場の人には、今でも納得がいかないのです。


3.ばあちゃんとじいちゃんの息子


 じいちゃんと一緒に暮らし始めてしばらくすると、ある若い男性が祖母を訪ねてやって来ます。

 それは、じいちゃんの息子でした。

 じいちゃんがどんな家庭を築いていたのかは分かりませんが、それでも、普通に考えれば、祖母のことを恨んでいても不思議ではないのに、「親父が選んだ人なのだから素敵な人に違いない」と思い、自衛隊を除隊してすぐに挨拶をしにやって来たというのです。

 私がいうのもなんですが、祖母は人徳のある人でした。

 おじさんもすぐに祖母のことが大好きになり、「お母さん」と呼ぶようになります。その親子関係はじいちゃんが亡くなった後も続き、さらには祖母が亡くなった今でも、私たちとは親戚のおじさんとして付き合うことになるのです。


4.ばあちゃんが教えてくれた家族の在り方

 
 私がこれらのことを知ったのは、中学に上がるか上がらないかという頃でした。話を聞いたてすぐに抱いた感想はーー、

ああ! だから、ふたりは名字が違うのか!

 当たり前ですが、祖母とじいちゃんは結婚していなかったので、違う姓を名乗っていました。しかし、私はこの話を聞くまで、ふたりが別姓だということに対して、疑問を抱いたことはなかったのです。

 つまり、結婚はしているけれどふたりの名字は違っていて、でも、それは不自然なことではなく、むしろ、ふたりにとってはそれが自然なあり方なのだと思っていたのです。

 また、じいちゃんが「ひいばあちゃん」よりも年上だということも、全く不思議ではありませんでした。そんなものなのだろうと思っていたのです。

 おじさんに関しても同様です。小さい頃に母が「お母さんにとって、本当のお兄さんじゃないけれど、本当のお兄さんのようなもの」と言っていたのを覚えています。それを聞いた純粋無垢なかわいい私は、まあそういうものなのだろうと思ったのです。

 そう。

 家族の形に、
 こうあるべきだなんていう、
 当たり前の形なんて、
 結局ないのだよ。

 ね、ばあちゃん。


(つづく)

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