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【エッセイ】昔、手を振ったことがあった#02~術後、居るけど居ない~

 前回の続きです。

 私の強烈な不安と葛藤とは裏腹に、手術は無事、成功します。

 手術が終わったときに何をしていたかというと、実は、一切覚えていません。病院の待合室にいた気もするのですが、手術自体が平日の深夜に始まったので、おそらくは必死に平静を装いながら、仕事をしていたと思います。この辺りの記憶は、はっきりしない・・・というより、ありません。

 その翌日から、ICU通いが始まります。

 それは、決まった時間にしか会えないことを意味しました。しかもICUの中の個室で眠っている彼とのガラス越しの面会は、「会う」よりも「見る」の方が近かったと思います。

 面会時間は12時と18時からの20分間です。

 夕方は退勤時間と重なるため、会えるのはお昼の時間帯だけです。ランチ休憩が始まる30分前になると、唯一すべてを打ち明けていた同僚の友人に「これから病院に行く」と伝えて何かあったときのサポートを頼み、トイレに行くふりをして事務所を出て、休憩時間が終わる少し前に戻っていました。できる限り人には知られない方法を模索した結果です。

 ICUは韓国語で「重患者室(중환자실)」と言います(韓国在住です)。この、恐ろしくてびくついてしまいそうな名称とは相反し、ICUに向かう私の心は爽やかで、意外にも不安はありませんでした。

 個室で眠る彼は、顔も身体も腫れあがり、様々な管に繋がれていました。

 そんな痛々しい姿を前にしても、術後の過程を前もって調べていた私は、冷静でした。ベッド周りには点滴のほかにモニターや機械がいくつもありましたが、私は、これからは「良くなるしかない」と繋がっている管と点滴、モニターの数を数えました。今後はこの数が減ることで、元気になっていることが確認できると思ったからです。

 術後の数日間、彼はそこに居るけれども、居ませんでした。

 点滴や管の数は確実に減っているものの、意識がなかなか戻らなかったのです。看護師の方には「同じ手術を受けても患者さんによって状態が異なるため、いつ目覚めるかは分からない」と言われました。少し濁した言い方で「一般的には、平均で、何日目くらいに目覚めるのか」と訊いても、無論、答えは同じです。

 それはそうだろうなと納得した私は、今はまだ戻るときじゃないのだろうと感じていました。

 人というのは不思議なもので、それがいわゆる意識のない状態だとは思うのですが、身体はそこにあって医学的には生きていても、決してそこに居るわけではない瞬間があるようです。

 この表現が適切かは分かりませんが、抜け殻の状態。傷付いた肉体は治療を受けて眠り、一方で魂はその肉体から抜け出して神様のもとで休んでいるような気がしたのです。

 彼は一応、カトリックです。

 「一応」と付けたのは、一度も聖堂(※)に通う姿を見たことがないからですが、それでも、もともとはプロテスタントで徴兵中にカトリックに改宗した彼には、変わらない信仰心があるのだと思うのです。

※韓国では一般的にプロテスタント(基督教/기독교)の寺院を「教会(교회)」、カトリック(天主教/천주교)の寺院を「聖堂(성당)」と呼びます。

 不思議と、意識なく眠る彼を見ながら、自然に、こんなときくらい神様(いや、マリア様かな)の側にいてもおかしくないし、現実的な話をすればいつ目覚めるかも分からず、それどころかいつ状態が悪化してもおかしくない中で私の心に不安が生まれないのは、彼が神様の愛に包まれた場所にいるからだと感じたのです。

 何だか唐突に、突拍子もない妄想をするなあと?

 ええ、私もそう思います。でも、それでいいんです。彼が目覚めるのは、身体と魂の両方が十分に癒されてからです。むしろそれまでは、戻って来なくていいのですよ。

(つづく)


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