物理学と繊細なこころ
僕は物理学者として科学を日々の興味と活動の対象としています。
では科学とは何でしょうか。
科学とは何かと問われると、僕はいつも朝永振一郎氏のこの言葉を思い出します。
朝永振一郎氏曰く、科学するとは
ふしぎだと思うこと。
よく観察してたしかめそして考えること。
そして最後になぞがとけること。
特に、僕はこの中でも科学の最初の一歩である
ふしぎだと思うこと
ここにとても大きな意味があると考えています。
一見すると同じことの繰り返しのように見える毎日の暮らしの中でも、改めて考えてみるとよく分からないことや、ふしぎだと思うことに出くわすことがあります。でも、その「ふしぎだ」という思いは、仕事や家事といった日常生活に埋もれ、簡単に失われてしまいがちです。
小さな子供が、色々なことをふしぎに思い「どうして?なぜ?」と周りの大人たちを質問攻めして困らせる、という場面に出会うことがあります。子供達にとって、自分の周りの世界は知らないこと・分からないこと・経験したことのないことで満ち溢れていて、全てのことが新鮮に感じるのでしょう。
人は、子供から大人へと成長する過程で、さまざまな知識と経験を得ます。この知識と経験により、例えば生活の中で何か問題に遭遇しても、それらを基にして何らかの対策を講じることができるようになります。
同時に、大人になると生活に慣れていき、子供の頃に新鮮だった世界が見慣れたものになりがちで、毎日の生活の中でふしぎや驚きを感じることが少なくなってしまうように思います。
ふしぎだと思うには、ある種の感受性が必要です。
みんなが見過ごしていることをふしぎだと思うこと。
それは、道端に咲いている小さな花を見つけてその美しさに心を動かされる、そんな繊細な感受性と同じです。
そして、ふしぎだと思った自分を大切にすること。
その「ふしぎだ」と思ったことを心に留めておいて、分かったふりをせず、そのふしぎを考え続けること。ふしぎだと思ったことをつぶさに観察して、何度もくりかえし考えること。
そしてそのふしぎが自分で納得してわかるまで、考え続けること。
目の前に立ち現れる世界は、毎日何かが変わっていて、いつも新鮮です。
全く同じ日なんてありません。
外に散歩に出た時に見える風景。
木々の葉の色。
風のそよぎ。
ふくらんでいる花のつぼみ。
空を飛ぶ鳥たち。
雲の流れ。
ご近所さんとの挨拶やお話。
大好きな音楽を聴くこと。
ノートの上で微分方程式を計算している時も
散歩に出掛けて湖沿いの林の木陰を歩く時も
この世界(宇宙)はとても美しく、そしていつも何かが新しい。
そんなことをぼんやりと考えながら、僕は毎日を過ごしています。