日本は平和だと思いますか? ~拉致~

私は広島県出身なのですが、小学生の頃から平和学習というものが絶えずありました。毎年8月6日は学校に行き黙祷をしますし、原爆資料館に行くことも度々ありました。市内に行けばいつも原爆ドームを目にします。平和について考えるきっかけは多いはずなのに、深く考えたことはありませんでした。そんな中、

YouTubeで「abema tvのよるばず」を見ていた時のことである。
吉木誉絵が自由党森ゆうこ氏にこういった。

吉木誉絵

吉木氏 拉致問題に取り組んでいらっしゃる森ゆうこさんにご質問です。今の日本は平和だと思いますか?

森ゆうこ参議院議員

はい、平和だと思います。

吉木誉絵

横田めぐみさんが登下校中に突然拉致され、コンテナの中に閉じ込められるようなこの日本においてそれが言えるのですか?

森ゆうこ参議院議員

私は、拉致被害者の皆様を救うために様々な活動をやってきました。色々なことをやってきました。しおかぜの短波放送をNHKでやってもらおうとしたのも私の国会質問からです。申し訳ないと思います。未だに救出できていないことは。ただ、じゃあ、今の日本が平和かと聞かれたら、世界的にみれば平和ですよ。個人それぞれの自由が守られています。

平和の対義語はなんだろうか。混乱?混沌?専制?隷従?仮にそれらが平和の対義語だったとして、仮に日本人が混乱=戦争 混沌=殺人 などというもので捉えているのならば、拉致とは混乱の対象外なのであろうか?戦争は小学生の時からずっとダメだ!と教えられてきた。殺人はダメだ!とニュースを見てきて学んできた。他山の石という諺にもある通りに。

殺人や戦争だけにフォーカスを当てるのはよくないが、拉致はあまり当事者意識が薄い問題ではあると思う。そういう意味で、拉致の悲惨さなどを知ることがあれば、日本は平和ではないと言うかもしれないし、平和だと言うかもしれない。

また、最大多数の最大幸福という名の元に考えれば、拉致された人よりされてない人の方が多いのは当たり前で、日本は平和といえるだろう。(そこで、そもそも平和とは何かという壁にぶつかる。)

○平和とは...?

✅慶応大学の学生

平和の反対は戦争でしょうか?違います。平和ならざる状態です。聞けばそのままのようですが、その意味を説明します。戦争のない状態が必ずしも平和とは限りません。それは、戦争がなくたって、人として持つべき最低の権利をもっているか、不公平がないか、社会的暴力がないか、これらをすべて考えた上で平和な状態かどうか判断できます。その中の社会的暴力についてですが、これは社会的に不公平があり、その人の潜在的人格を発揮できないまま生涯を終えてしまうことがあれば、そこには暴力があったといえるでしょう。その暴力とは、個人的な暴力とはもちろん違い、主語がわからない、見えないものです。その社会からなる構造的暴力に侵されず、調和がとれて、そして、戦争がない状態であって初めて平和といえるということです

人としての持つべき最低の権利をもっているか、不公平がないかを考えてみると、拉致被害者は両方に当てはまる。

✅広島県の小学6年生

 僕にとって平和とは私達の生活にかかせないこの世で一番大切な事だと思います。私達一人一人にこの平和な生活をおくれる権利があると思います。
 けれど、このだれもが大切な平和を、自分たちの手で壊しているのが、今の現状です。現在でも戦争や核開発などによって多くの命が失われています。たとえどんな問題が起きても争いや、戦争で解決しては絶対にいけないと思います。
 戦争は世界中の問題です。その問題を解決するためにも、戦争をしている国も、戦争をしていない国も、今、この時にこの問題について真剣に取り組むべきです。
 そのためにも、今、国民の一人一人がこの問題に取り組むべきです。確かに、一人だけの力は小さいかもしれないけど、
「戦争をしてはいけない」
「争いごとはいやだ」
という声や気持ちがたくさん集まればきっと何かを変える事ができると思います。
 今、こうしている間にも世界のどこかで命を奪われているかもしれないのです。いまこうしている間にも戦争をやめてほしいと願っている人がいるはずなのです。これを見てくれたあなたの気持ちしだいで世界の人が救えるのです。
 あなたも戦争をやめてほしいと願ってみてください。きっとどこかで助けられる人がいるはずです。

小学6年生でも平和に対する意見を持っていることに感動しちゃった。広島県では平和学習が行われているからっていうのもあるが、自分の意見を持つことは大切ですね。

✅「積極的平和」と「消極的平和」

1942年にアメリカの法学者クインシー・ライトが唱えたのが最初とされる。その後、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが、既存の肉体的暴力、精神的暴力、性的暴力などといった「直接的暴力」(direct violence)と、暴力が貧困や差別、格差など社会的構造に根ざしている場合の「構造的暴力」(structural violence)を提起したことにより、従来の平和学における「平和=単に戦争のない状態」と捉える「消極的平和」に加え、戦争の原因となる構造的暴力がない状態であるとする「積極的平和」(positive peace)という概念が確立し、平和学の理解に取り込まれ、一般的な解釈となった。
                      Wikipediaより

拉致とは北朝鮮における「消極的平和」の欠乏により生じるものであるとわかる。北朝鮮は、朝鮮戦争の休戦後も、韓国を社会主義化して朝鮮半島を統一しようとしてきました。しかし、当時、韓国人をよそおって北朝鮮から韓国にスパイを送り込むことは難しかったので、日本人をよそおって韓国にスパイを送り込むという方法が考えられました。そこで、日本人を北朝鮮に連れ去った上で、北朝鮮のスパイをその日本人になりすまさせたり、その日本人を北朝鮮のスパイに日本の習慣や日本語を教える先生にしたりしようとして、日本人を拉致したというのだ。故に、拉致は戦争の延長戦上にあるということがわかる。また、北朝鮮は「構造的平和」も欠乏してるといえるだろう。

確かに、今、私たち個人で考えれば、ほとんどの人が学校に通うことが出来ます。ご飯を食べることができます。そして、結婚し、子供を作ることができます。そして、死を迎えることができます。
一方で、ご飯を食べることができない、子供を産みたくても生めない、自分の望んだ死を迎えることが出来ない人は確かに存在するのです。

総括

平和に対して主観的に物事を捉えるのではなく、客観的にみること。そして、自分の価値観だけで、判断してはならないこと。それを意識することが出来れば、また見方も変わってくるのではないだろうか。拉致被害者は推定900人いると言われています。そのほとんどがまだ日本に帰ることができていない状況です。
皆さんは、「日本は平和です!」と言うことが出来ますか?
あるいは、「平和」についてどうお考えですか?

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