新卒で入社した会社の話⑤

お局社員の椎村は当時35歳。

出社するたびに「めんどいね~」と、パートの方々とため息を漏らすのが今流の言葉でいう、「モーニングルーティン」の一発目だ。

社会人なり立ての私は、どうしてこんなにやる気をなくさせるようなことを言うのか、どうしてそんな風に感じるのかが全く分からなかった。

あれから11年。

34歳になった私は、当時の椎村と同じく、毎朝仕事を始める前、仕事中何度も、仕事終わりにすら、「しんど」と口にする。

彼女と違うのは、周りに一緒に同調してくれる人がいないことだけ。

たったひとりでつぶやく。「しんど」。

なりたくなかったような大人に順調になっていってるな、私。

でも今なら、毎朝そんな発言をしていた椎村の気持ちもなんとなくわかる。

若い人と違って、特に夢も希望もない。

一度離婚してるし子供もいるし(ここは私と違う)、簡単に転職できるような年齢でもないし。

こんな生活を延々と死ぬまでしていくのか、と思うとそう思ってしまってもしょうがないのかな、、て。

6月のとある日、パートの森根が骨折をし、入院することになった。

つまり人が一人減る、その分、私が稼働しなくちゃならない。

容赦なく鳴り響く電話。

電話越しにわからないことを言われ、椎村に聞こうと思っても、椎村も別の電話に出ている。仕方ないから折り返すと連絡。

その間にまた別の電話がなる。もしくは、営業から頼まれごとをする。

最初に折り返すと伝えた得意先から催促の電話。それを対応できていないことを椎村に怒られる。

6月にして自分の心はズタボロ。この仕事にやりがいも何も感じられない。何かしても感謝されることもない。

営業事務という名の、ただの「営業奴隷」だ。(この考えは残念ながら退職するときまで変わることはなかった。なんなら今もかわっていない。今後転職することがあったとしても、営業事務だけは絶対にしないと思う。)

仕事内容もつらかったが、それを周りに言える環境でもなかったのがもっとつらかった。

休憩中にパートのおばちゃんたちから「仕事どんな?」とか聞かれたりもするが、ここで本音を言ったら、すぐに椎村にいきわたるんだろうなと思った。

たまにある同期会でも、他の同期はそこそこ充実しているのを見て、私がこんなことを愚痴っても、理解はしてもらえないだろうなと、愚痴は最小限にとどめた。

なんでつらい就職活動をして、入りたくもない会社に入って、更に外れくじを引いたような配属先なんだろう。

さっさと人生終わってもいいな。と、だんだん思うようになっていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?