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「サッカーをやめることはチャンスなんだ」と教えてくれた父

「そこに座りなさい」と、父が言った。冷たい水をかけられたように、顔がキュッと引き締まる。

母に「サッカーをやめたい」と打ち明けたのが昨日。その日は初めて練習に行かなかった。父にもきちんと話そうと決心したはずが、いざ膝を突き合わせると簡単に決意が揺らいでしまう。


小学4年生のぼくは、半年ほど前から「スポーツ少年団」に入っていた

ぼくの育った街は、いわゆる過疎地域と呼ばれるど田舎。全校生徒数はたったの38人。同級生は6人だけ。

6人といえども、クラスの中でヒエラルキーのようなものが存在していた。「スクールカースト」というやつだ。1軍に属していた男の子を中心に、多くの友人が習っていたのがサッカー。

当時はまだ、ランドセルの色も黒と赤だけの時代。みんなと「違う」選択をするというのは、ぼくにとっては勇気のいることだった。

そうして冒頭のスポーツ少年団に通うことになった。


誤解のないように言っておくと、ぼくはサッカーが好きだ。W杯の時期は同僚と「どこが勝つか」を肴にして呑むし、YouTubeで「神業ゴール集」を観ては「くううううう!」とうなる。小さい頃は弟と一緒にウイイレをやり込んだりもした。


ただあの頃、スポーツ少年団での人間関係が上手くいかなかった。

途中から加入したぼくが急にみんなと同じレベルになれるわけがなく、狙ったところにパスを出すことさえ敵わなかった。練習でパスを出す度に「チッ」と舌打ちをされて、2人1組になるときは煙たがられた。

サッカーの練習に行くのがいやでいやで仕方がなかった。土曜日の朝になると気分が沈んで、喉の奥に舌が落ちたような苦しい気持ちになった。
にもかかわらず、仲間外れにされたくない気持ちと、習い事を始めたぼくを見て喜ぶ父と母をがっかりさせたくなくて、この半年間つづけてきた。


ダイニングテーブルを挟んで向き合った父に、おそるおそる打ち明けた。腕を組みながら聞いていた父は、ぼくが話し終わると真っ直ぐこちらを見て言った。

「お父さんは、逃げ出すことは好きじゃない。大人になったら苦手なことでもやらなあかんときがあるし、人間関係がうまくいかんからって、簡単にやめれへんこともある。」

「あぁ、きっと諭されるんだろうな…。」

拳をぎゅっと握りながら、ぼくはそう思った。

父はつづけた。


「でも、やめるのと逃げるのとは違うとも思ってる。やめることは、次のなんかにチャレンジするチャンスでもあんねん。すぐじゃなくてもええから、チャレンジしたいと思えるものを見つけてほしい。それを約束してくれるなら、あとはよく考えて自分で決めたらいい。」


話を聞き終わると、涙がこぼれそうになった。

ずっと胸につかえていたものがとれた解放感、「それでもやめたいんだ!」と言い返さずに済んだ安堵感。いろんな感情が混じり合って、しばらく言葉が出なかった。


「次の何かにチャレンジするチャンス」、一度始めたサッカーをやめることは、よくないことだとばかり思っていた。そんなふうに前向きな考えがあるなんて思いもしなかった。



父と話し合ったあと、ぼくはサッカーをやめた。



その後しばらくして、ぼくは「塾に通いたい」と自ら言い、その塾でぼくの人生を変えることになった大切な先生と出会うことになる。




多くの人にとって、スポーツは身近なものだ。

部活動で運動部に入っていたという人も多いと思う。ただその内、スポーツをやめずにずっとつづけている人は、一体どれくらいいるだろうか。割合にすると数パーセントにも満たないかもしれない。

毎日パソコンと向き合うビジネスパーソン、仕事を休職し子育てをする夫婦、退職をして畑仕事に勤しむ父と母。

ぼくの周りにいる、「学生時代にやっていたスポーツをやめた人たち」は、何かを途中で投げ出した人なんだろうか?

そうじゃない、とぼくは思う。

その人たちはきっと、次の何かにチャレンジするチャンスをつかんだ人たちだ。


そんなふうに思うと、こうしてnoteを綴る日々のことも、なんだか愛おしい。


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