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エッセイと日記の線引きについて
※この記事はサークル「エッセイのまち」のメンバー限定記事です。
ぼくの好きな作家さん・燃え殻さんのエッセイ集の中に、こんな文章がある。
日常生活は、基本的に大事件は起こらない。盛大なオチとも無縁だ。だからといって、日常がつまらないわけではない。過去に逮捕歴はない。過去に何かの受賞歴もない。でも過去がつまらなかったわけじゃない。僕たちの人生は、なぜか忘れられなかった小さな思い出の集合体でできている。
本を開いてすぐの「はじめに」に書いてある、「日常」に触れたこの部分。ぼくはここがすごく好きだ。読むたびに、背中を押してもらえているような心強さを感じる。ぼくの人生も捨てたもんじゃないなと思える。見慣れた景色がいつもより、細かく、鮮やかに見えてくる。画質の良いテレビを観たときみたいに。
朝、目が覚めてまずLINEをチェックするのと同じく、必ずnoteを開くようになってから1年半。今朝、半開きの目で読んでいた記事の中で、これまたぼくの琴線に触れる、「日常」についての文章があった。
日常にあったふとした瞬間の嬉しかったことや、忘れたくないこと。
頭で考えるのではなく、心が動いた瞬間のことって、友人や家族、誰か大切
な人に伝えたくならないだろうか。
(しばまるさん『心が動いた瞬間のことは、大切な人に伝えたくなる。』)
わかる、すっごいわかる。
ぼくはエッセイが好きで、noteではエッセイをテーマにしたサークルも運営している。その活動の中でよく、「エッセイの定義」について迷うことがある。
特に、エッセイと日記の線引きについて。
いろんな意見があるし、明確な答えはないと思う。ただ、先ほど紹介した文章を読んでいるうちに、ぼくなりにだけど、エッセイと日記のちがいが見えてきた。1番の違いは、
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