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『エッセイのまち』の仲間で作る共同運営マガジン

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#文章

じんせいを人生と書いてみたい、8日間だった。

ずっとnoteもおやすみしていて。 メンタルも弱っていて。 メンタル補強してからじゃないと、泣き言を書いてしまいそうなので。 その機会を待っていました。 母の介護。 やっと8日目を迎えられました。 まだ新米の新米だからなんもいえねーわけですが。 思ったよりはしんどくはなかったのに。 労働的に。 でもしんどかったのは、心でした。 作業の合間に、そのぽっかりした余白に 泣きそうになったり。 こらえたり。 みなさんこういう時間を過ごしているんだろうなって想像してみ

noteがなければ、家族と出会い直せなかったかもしれない。

今日noteがはじまって10周年だと知った。 10年前にはnoteを知らなかった。 SNSにはなにひとつ手をださないで 過ごしていた。 スマホさえ持っていなかった頃だ。 もう誰かと関わるのも嫌だったし。 なにか無性に傷つきたくなくて、なにも やらないでただホームページに頼まれた 文章だけを書いていた。 ここに来たのはあの感染症のせいだけど。 それでも2020年に来て今2024年までこの 飽き性のわたしがいるなんてちょっと びっくりしている。 わたしの個人的な問題の

その日の気持ちも映りこんでいる、スマホの写真たち。

SNSではプライベートで、ご飯を撮って 投稿するということが今は当たり前だけれど。 2022年からTwitterを始めた頃はちょっと 慣れていなかった。 昔はまわりの若い子たちはいち早くみんな、 Twitterやインスタをやっていたので。 お昼に一緒に行くと、今まで喋っていたのに。 お料理が届いたらぷつんと静かになる。 被写体を美しく撮ろうと彼女たちの 眼差しは必死だった。 食べる前に写真を撮ってそれをポスト するって不思議な行為だなってSNSやらない わたしはず

まちがいを愛してる人生。#吞みながら書きました。

マリナ油森さんの企画が大好きで。 #吞みながら書きました このお知らせnoteがマリナさんから 発信されるたびにわたしには 吞み書きがあったじゃないかという どこか安堵感に満たされるわけです。 なんせ誤字もオッケーってところも気に入ってる わけで、 この解放感は日頃のnoteになkて. なくて。 人間まちがわない人よりも、まちがいだらけの 人のほうが愛せる。 愛したい。 愛して。 わたしも生まれてきたのがまちがいやったんや ないかっていうこと何度もありました

家族って減点ゲームじゃなかったんだと、知った。

熱い心はもうどこかに置いて きたのかもしれない。 昔もっていたかもしれない野心とか 負けん気とか。 熱すぎたり、自己顕示欲が過ぎたりして 自分のバランスを崩しがちだった あの頃からしたら今はとても 静かな心なのかもしれない。 母が倒れてから、日常がすこしずつ変わって いった。 ふたり暮らしが独り暮らしになった。 ごみの量が減った。 電気代も半分になった。 新聞を読むのがわたしだけになった。 咳をしてもひとりになった。 プチ断捨離をしていたら不燃ごみが ふえていった。

雨の日の図書館とことばたち。

若い頃は本が嫌いだった。 唯一読めるのは谷崎潤一郎の『痴人の愛』 だけだった。 それが中学生のはじめの頃。 きっかけは、この原作をわたしが通っていた 卒業生の方が女優になられて演じたことが きっかけだった。 本を後に回して、キネマ旬報のシナリオから 読んだら、はまった。 字だけなのに映像がもう動いている世界って おもろいなって思って、夢中になって 学校から帰ると部屋にこもって読んでいた。 それから原作の『痴人の愛』をこっそり買った。 わたしは家族の中で誰よりも本

アカウントひとつ消したら「じぶん」が戻ってきた。

アカウントというものをはじめて持った時の ふしぎな感覚をまだ覚えていたりする。 本名を消したくて、アカウントを作ったので どっちかというと、もうひとりの自分みたいで 心地よかった。 ちょっとした逃げ場所みたいに考えていた。 でも時間が経つと、逃げ場所でSNSをやっている とそこは日常のいつもの場所になってゆく。 そしてキャラもTwitterならTwitterのなかの わたしであり。 noteで言えばnoteのなかのわたしになってゆく。 それはそれで楽しかった。

3万円で静けさを買った。

夜、さまざまなスイッチを 消してしまうと、 静けさが訪れるはずだった。 独り暮らしを始めてもうあっという間に 3か月が経とうとしている。 寂しいのかなって思ったけど。 案外それは訪れなかった。 夜になると、片づけをしたくなったり 読書をしたくなったり、見逃したドラマを みたくなったりする。 誰かにメールを書いている時も、キーボードを押してる音ともうひとつ聞こえるのはシンクの蛇口の音だった。 水漏れしていた。 よく昭和の映画とかのシーンでちょっと 寂れた部屋とか、

SNS、秒の言葉、秒の気持ち。

スマホって手のひらから生えてるんですか? 時折そう言いたいじぶんがいた。 朝もスマホのアラームで目覚め。 Twitterをお布団の中でチェックして 返事を出して、時には温い電気ブランケットの なかで一仕事してしまう。 言葉がスマホを通してなら言える。 元Twitterなら言える、Xなら言える。 みたいな世界からいったん 抜け出したかった。 きっかけはこちらの記事だった⇩ そうか、こうすればいいのか。 スマホからTwitterのアプリを外せば いいのか、簡単じゃない

家族の言葉。

今日もわたしたちのまわりには ひどい言葉も、やさしくみえる言葉も ぶっきらぼうだけど、沁みる言葉もあって。 それでも言葉のまわりで悲しいことは起こり 続けている。 そこに触れた途端に心に火がついたり。 その火が消えないまま、くすぶり続けている 熾火みたいな言葉があるんだと思う。 だれにも。 わたしは、誰かが言った言葉をどこかで それは心なのか頭なのかわからないけど。 もう一度咀嚼してからじゃないと、書いたり 言ったりわりとできないので。 コスパは悪い。 その言葉

咳をしてもひとりを想う夜。

少し前、ひとりで風邪をひいていた。 咳をしてもひとりっていう句を若い頃 聞いた時は、だから? って思っていたけれど。 ひとりで暮らす時はSpotifyとか テレビとかスマホからでる音以外は わたし発の物音だったりする。 廊下を歩く音、掃除機のトリガーを つい触れてしまってびゅーんみたいな 音を夜中にだしてしまったり。 お茶碗を洗う音、キーボードをカチカチ やってる音。 スイッチをぱっちんって消す音。 咳をしてもそうだし。 歩いてもそうだし、鼻歌だって それ歌?とか

「僕と目をあわせてくださいませんか」という言葉に出会って。

この間、デパ地下で夕ご飯を探していた時に。 新潟から来てお魚を売っていた方がいらっしゃって。 なんどかそこをぐるぐる回っていてちょっとその場から 離れた時に 「お願いですからぼくと目をあわせてくださいませんか」 って声が聞こえた。 大阪弁の人懐っこさで道行く人にとにかく懇願していた。 え? 聞き間違ったかなった思って。 もう一度聴いていたら、もっと大きな声で 「お願いですから、ぼくと目をあわせてくださいませんか」。 ってやっぱりひたすらに言っていた。 通路を

新しい出会いのカタチ # シロクマ文芸部

新しい時代の到来か古い時代への退行か。 今年も含めて年末年始は何かと忙しいものだが、ある意味で一番忙しかったのは郵便局員さんではないだろうか。 年賀状を1軒1軒、配り歩く。気の遠くなる仕事である。しかし、年賀状の販売枚数は年々、減っているという。去年のそれはひと昔前の1/3まで減った。 年賀状の文化が廃れていくのが寂しいと思う一方、そんな僕も毎年、ラインで済ませてしまっている。 年賀状は、一般的に、昔に親しくしていた人や遠い親戚まで幅広い人たちに送る。祖父は筆で手書き

2023年に読んだ24冊と推し5冊

今年1年で24冊の本を読みました。 去年よりも読んだ数がふえた分、誰かに読んでほしいと思う本も多かったな〜〜という印象。 今年読んだ本と、特に推したい5冊を紹介します。 今年読んだ24冊 特に推したい5冊読んだ中から、これはぜひ読んでほしい本を紹介します。 線は、僕を描く(小説) 水墨画を描く人たちの物語。 両親を交通事故で亡くした大学生の青山くんが、水墨画に出会い、描くことで救われていきます。 この本では度々、「描くとはどういうことなのか」といった話が出てきます