帰省とともにやってくる結婚話について、なぜ反発するの考えてみた

お盆休み、帰省したらやっぱりきた「結婚」話。

前提として 

結婚はしたい。でも相手はいない。それに自分の時間を奪われるのが怖い。今十分幸せだもん。とまぁ複雑な想いを抱えているんですが。拗らせてるー。

結婚したい気持ちはあるのに、なぜ反発してしまうのか

なぜ「結婚はいいよ。」「あとは結婚だけやな。」などなどの言葉に反発してしまうのか、考えてみた。

素直に思ったことは以下の通り。拗らせてる感半端ないけど素直に綴りますのでお付き合いくださいませ。

結婚するかしないかで人の価値は決まらない

結婚したら幸せになるの?違うでしょ。結婚しなかったらダメな人なの?違うでしょ。どの人生も正解。ただし選んだ自分の責任。

私は私のための人生を選びたい

家族の飾りじゃない。私が幸せでいるために、もっと素晴らしい人生を送るためになら、結婚したい。

祖母らも根本の心は、私のために言ってくれているのは痛いくらい分かってる。時が進んでいくのも、色んな条件があるのも。でも、今は祖母らや父母の時代とは変わったから。

家族は作りたいよ。私は家族がいてくれて今があって、幸せだったし幸せだから。自分が作る立場になったら、色んな大変なことがあるだろうことも、でもそれに替えられない程の幸せがあることも想像できるくらいには、年を重ねたよ。私も。

結論

結局、家族には、条件なしに愛してほしいんだよね。成績が悪くても、いい大学に入れなくても、優しい子じゃなくても。いい子でいるのはしんどかった。期待に応えるのはしんどかった。次は結婚もですか?と…。だから反発しちゃうんだろう。

あとは。結婚というものへの不安

きっと私の思い込みなんだけど。

でも人生において選択は毎日のように行なっているし、確かに大きめの選択になるんだろうけど、正解なんてない。

選んだものが正解かなんて、最後死ぬ直前まで分からんよね。寧ろ分からんまま死ぬかもしれん。だから毎日…は無理かもしれないけど、日々で幸せを感じられる自分でいたいなと思う。

そんな感じで、色んな想いを抱えながら生きてるんだからさ。結婚したくないと思ってる前提で話さないで。お願い。

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