落ち着いてきた今だから記録しておきたい...生きるという凄絶な闘いに奇跡が起きた瞬間➊

サーフィンにはよい暖かさになってきた。

太陽がまぶしい。

この太陽を2人そろってまた見ることが出来たこと...短いが長い長い道のりだった。

日常が戻ってきている。全く違う状態だが、二人で過ごしていく事は何も変わらず、以前よりもゆっくりと生きるようになった。日常が戻ってきていると感じられるような生活が出来るようになってきたことに感謝し大切に過ごしていきたい。

夫と二人で乗り越えてきた現実はとてもつらかった。

つぎつぎと悪くなる状況に心がついていかなかった。

そばにいる事しかできなかった。ただただ夫の状況をノートにつづりながら。

9月26日~台風の次の日だった。

クローズの中、御宿は意外とファンウェイブであった。2時間ほど二人で楽しんでいたが夫の様子に何か違和感...上がろうとした時だった。波打ち際から岸にたどり着けない夫の姿があった。

全身に震えが走った。声が震えてきちんと言葉が出て来ない。しかし現実はしっかりと見えていた。明らかに動かなくなった左手足。脳出血だと心のどこかで確信していた。

いつも夫の言うとうりにしてきた。今回ばかりは私の言うことを聞いてくれと必死で説得をした。寒いだけだから温めれば治るという夫に必死で救急車を呼ぶと訴え承諾を貰った。

体をお湯で温めウエットスーツはぬがせてバスタオルを着せた。着替えさせもせず、説得も何もすぐに救急車を呼んでいたら状況はもっと違っていたのだろうか...答えは出ないが、何をもってきちんとできたということなのか永遠に悔やむことになった。

私が夫から手足を奪ったのかもしれない。

救急車の中、夫の意識はハッキリとしていた。左の足先や手の指先も少し動きはあった。

私は震えは止まらなかったが、何をしなくてはいけないのか必死で考えた。子供たちへの連絡、海に置き去りの車、どうやって夫についていてあげられるのか、職場への連絡、病院の手続き、何よりも一番怖く一番やらなくてはいけないことは担当医の先生から病状を聞くことだった。

重度の脳出血。出血量がとても多く、命が助からないかもしれないとの話だった。会わせたい家族がいたら呼んでくださいという話だった。助かったとしても相当な後遺症が残る出血の量なので覚悟してくださいと。今晩が山で、持ちこたえたら次に1週間後に山が来ると。

考えたり悲しんだりする間もなく厳しい現実が次々とのしかかってきました。ベッドでは夫が生きて話をしているのに今晩が山だなんて信じることが出来なかった。

祈って見守ることしかできなかった。

一晩がたった。夫は頑張ってくれていたが脳の状況は良くなかった。出血がなかなか止まらなかった。出血量から今後の脳の浮腫が命の源でもある脳幹を押してしまう可能性がある。今は話せるが意識がなくなる前に会いたい人にあわせてあげてくださいと。

家族に会い、サーフィンの仲間に会い....皆の力と祈りをもらい、夫の戦いは始まった。


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