生きていくしかなくなった

 駅のホームから飛び込んで死のうと思った。周りから見れば死ぬ死ぬ詐欺のひとつでしかなかったそれは、私にとってちょっとした何かをもたらしたかもしれない。
 ずっと電車に飛び込んで死にたかった。それも、好きな路線に。だから友達に手を振って別れたあとわざわざ電車に乗りこんでその駅を目指した。
 私はずっと本気だった。あの瞬間は、絶対に今日死ぬんだと思っていた。四日前に立てたずさんだけど十分な計画は着々と進行している。死んだ後にSNSに投稿される文章も書いた。普段使っている路線のこの景色も、乗り換え駅のこの風景も、駅の中に入っているお店へ行くことも、これでおしまいなんだと思った。

 その日はもともと体調が悪く、予定していた駅までたどり着けなかったから別の通過駅を選んで駅のホームのベンチに座り込んだ。鞄の中にたくさん入れてきた抗不安薬を飲み干した。
 電車が最も高速で通過するであろう、ホームの端っこに立つ。こんなところに立っているのは私くらいで、見る人が見れば自殺志願者として駅員に通報されかねない。
 抗不安薬がうっすら効いてきたところで、ポーチに入れていた推しのぬいぐるみをホームに向けて置いた。一緒に飛び込もうとは思わなかった。大切なものはぐちゃぐちゃになってほしくない。これなら警察に遺品として扱われるからマシだろう、そう思ったのだ。

 ここから先のことはあまり覚えていない。
 あるのは死ねなかったという事実だけ。

 電車の通過を知らせるアナウンスが耳に届く。ホームの黄色い点字ブロックの上に立って、もうまっすぐ何歩か進めばいい。そんなことをしているうちに電車と列車の違いを気づけば説明できるようになっていた。
 とにかく怖かった。趣味でもそういう目的でも、電車が高速で通過していくような動画は割とよく見る。実物はそれの何倍、何十倍で、私みたいな意気地なしには一歩踏み出せそうにもなかった。

 3時間は居座って、さすがに不審がられてきたためぬいぐるみを回収して帰ることにした。私は死ぬことを諦めた。鉄の塊が高速で迫ってくるその前に飛び出す恐怖には耐えられなかったらしい。意気地なしだの死ぬ死ぬ詐欺だの言われても構わない。事実だ。事実だけど当時の私はずっと本気だった。

 問題はそこからで、そこから、死ねない人生がスタートした。何があってもいくら死にたくても私には無理だと悟ったから、限りなく後ろ向きな理由だけど生きていくことにはしたのだ。

 要は、「いざとなったら死ねばいいや」が封印された。そしてこれを決めたタイミングで新しい病気を発症したり入院したり手術したりといろんなことがふりかかってくるのだ。おそらく、あの時死んでおくのが最適解だったことは間違いない。
 今も希死念慮自体はあるし、高いところを見れば飛び降りを、駅のホームを見れば飛び込みを、そういうことを考え続けてしまう日常に変わりはない。もしかすれば、これは呪いだったのかもしれない。

 ただ、まあ、私が死ねない人間だということは確かで。そうすれば、「生きてたらいいことがあるよ」だなんてなんの慰めにもならない言葉だって慰めに聞こえてくる。今はもうそれでよかった。

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