【コンメンタールこども六法】刑法編③これってもしかして…故意?(第38条)

はじめに

 前回は、正当防衛はなぜ処罰されないのか?
 犯罪って「悪いこと」だけど、「悪い」って何なのか?
 という点についてご説明しました。

 今回は、「故意」についてのお話です。

犯罪には「故意」が必要

 刑法では、次のように定められています。

(故意)
第38条 罪を犯そうという意思がなかった場合は、罰しません。ただし、法律に特別な決まりが書いてある場合は除きます。
(『こども六法』16頁)

 「罪を犯そうという意思」のことを、「故意」といいます。
 つまり、「故意がない場合は、罰しない」のが原則なのです。

故意ってなあに?

 みなさんは、「故意」と聞くと、『わざと』という意味だと思うのではないでしょうか。
 だいたいそれで合っています。
 犯罪行為は、『わざと』したものでないと処罰されないのです。
 その『わざと』という言葉を、法律では、「罪を犯そうという意思」と表現しているのです。

 さて、私の説明にどこか違和感を感じた人もおられるかもしれません。
 「『だいたい』それで合っています」の『だいたい』ってどういうこと?なんでそんな奥歯に物が挟まったような言い方なの?という疑問を持ちませんでしたか?

 これは法律の専門的な話なので、あまり細かい話には立ち入りませんが、少しだけご説明しますね。

 一般の用語で、たとえば『わざと盗んだ』と言うときの『わざと』には、「盗む」ことを意図して、つまり積極的に「盗みたい」と思って、盗んだということが含意されますね。(このような心理状態を法律用語では「意欲」といいます。)

 しかし、刑法の世界では、積極的に「盗みたい」とまで思っていなくとも、「自分は今他人の物を盗んでいるんだ」と分かっていれば、じゅうぶん「故意がある」とされています。(このような心理状態を法律用語では「認識」といいます。)

 さらに、「自分は今他人の物を盗んでいるんだ」と確定的に分かっていなくても、「もしかしたらこれは他人の物かもしれない」「このまま持って行くと盗みになってしまうかもしれない」「それでも構わない」という心理状態でも、「故意がある」とされます。(このような心理状態を法律用語では「認容」といい、この場合の故意を「未必の故意」といいます。)

 実は、このように、皆さんが普段つかっている「故意」や「わざと」という言葉と、刑法の世界でいう「故意」という言葉は、少し違うんです。

なぜ故意がないと罰しないの?

 さて、話を戻しましょう。
 刑法では、「罪を犯そうという意思がなかった場合は、罰しない」とされています。
 なぜ、「罪を犯そうという意思がなかった場合は、罰しない」のでしょうか?
 これはつまり、『わざとじゃなかったんです!』という言い分を認める、ということです。

 ん?ちょっと気持ち悪いですね。
 例えばあなたが、大切なものを誰かに持って行かれたとしましょう。
 その人が、『盗むつもりはなかった』のであれば、処罰できないということです。

 「あなた、私の物を盗んだんでしょう!?『盗むつもりはなかった』んだとしても、事実として盗んだんだから、罰をうけなさいよ!」と言いたくなりそうですね。

 ご説明しましょう。

 刑法は、一定の行為(例えば「他人の物を盗む」)を犯罪として禁止し、刑罰を与えることを定めた法律です。
 犯罪行為をした人に、国が刑罰を科すということは、「あなたがやったことは悪いことなんです」と非難するという意味があります。
 ですから、刑罰を科すことができるのは、そのような「非難」に値する行為だけでなければならないのです。

 悪いことをした人に、「あなたは悪いことをした人だ」と非難できるのは、どんな時でしょうか。
 単に、客観的に、結果的に悪いことをしていた、というだけで十分でしょうか。
 例えば次のような事例で、あなたはAさんを「悪いことをした人だ」と非難できますか?

【事例①】
 Aさんは大切にしていたウルトラマンの消しゴムをなくしてしまい困っていた(その消しゴムには名前を書いていなかった)が、あるとき教室の棚の上に名前の書いていないウルトラマン消しゴムが置いてあるのを見つけ、「自分が落とした消しゴムに間違いない。誰かが見つけて置いといてくれたのだろう」と思い、筆箱に入れて持ち帰った。
 次の日、クラスメイトのBさんが、Aさんの筆箱に入っているウルトラマン消しゴムを見て、「この消しゴムは自分のもので、棚に置いておいたものだ。少し目を離していたが気づいたときにはなくなっていた。Aさんに盗まれた!」と言い始めた。Bさんがさらに、「自分の消しゴムにはウルトラマンの顔に小さな傷がある」と言うので確かめたところ、たしかにAさんが持っていた消しゴムのウルトラマンには顔に小さな傷があった。

 どうでしょうか。
 Aさんを「悪いことをした人だ」と責められますか?

 ちょっとな…と思う人が多いのではないでしょうか。
 その「ちょっとな…」という思いは、どこからくるのでしょうか。

 Aさんは、ウルトラマン消しゴムが自分のものだと信じ込んでいますね。これがBさんのものだとは全く思いもしていないわけです。
 だから、Aさんは、そのウルトラマン消しゴムを持って帰ることが、「悪いことだ」とは全然思っていませんよね。

 これが、例えば次のような事例だとどうでしょう。

【事例②】
 教室の棚においてあったウルトラマン消しゴムには「B」と名前が書いてあった。Aさんはそれに気づいたが、「まぁ黙っていれば分からないだろう」と思って筆箱に入れて持ち帰った。

 これだと一気にAさんを責めたくなりますね。

 なぜでしょう?
 それは、Aさんが、ウルトラマン消しゴムが実はBさんのものであることを分かって持ち帰っているからですね。
 つまり、Aさん自身、そのウルトラマン消しゴムを持って帰ることが、「悪いことだ」と思っているからです。

 【事例①】も【事例②】も、客観的にみれば、「AさんがBさんのウルトラマン消しゴムを盗んだ」ことは同じです。
 違いは、Aさんが、そのウルトラマン消しゴムが実はBさんのものだと知っていたかどうか、つまり、それを持って帰るとBさんの消しゴムを盗むことになってしまうと分かっていたかどうかです。

 なぜ、Bさんのものだと分かっていなければ責められないのに、Bさんのものだと分かっていたら責めたくなるのでしょう?

 「Bさんのものだと分かっていたなら、『これはBさんのものだから持って帰っちゃいけない』と思ったはずなのに、それでもあえて持って帰っちゃったから」
ではないですか?

 そうです!そこがポイントです!!

 犯罪に当たる行為をした人を、「悪いことをした人だ」と非難するには、単に客観的に犯罪行為をした(【事例①】のAさん)というだけではなく、「これは犯罪だからやっちゃいけないと思ったはずなのに、それでもあえてやっちゃった」(【事例②】のAさん)ことが必要なのです!

 「これは犯罪だからやっちゃいけない」と思ったのなら、思いとどまるチャンスがあったはずです。
 そのチャンスがあったのに、思いとどまらず、あえて犯罪行為をやっちゃったところが、非難に値するのです。

 逆に、自分のやろうとしていることが犯罪に当たる行為だとは思っていないのであれば、「やっちゃいけない」と思いとどまるチャンスがありません。
 だから、「罪を犯そうという意思がなかった場合は、罰しない」のです。

法律を知らなければ、犯罪だとも思わない??

 自分のやろうとしていることが犯罪に当たる行為だと思っていないのであれば、「罪を犯そうという意思がない」ので罰しない、と説明しました。

 じゃあ、「そんな犯罪があるなんて知りませんでした!」と言えば、どうなるでしょうか。
 よくいますよね。「禁止されてるなんて知りませんでした」っていう人。

 法律では、次のように定められています。

(故意)
第38条
 3項 法律を知らなかったからといって、罪を犯そうという意思がなかったと主張することはできません。

(『こども六法』16頁)

 答えは明快です。
 「禁止されてるなんて知りませんでした!」という言い分は、通りません。

 上の【事例②】でいえば、ウルトラマン消しゴムが実はBさんのものである、という事実が分かっていれば、「罪を犯す意思があった」ことになり、「それを禁止する法律がある」ことまで知らなくても良いとされているのです。(注)
 法律の世界では、「法の不知は許さず」ということわざがあり、刑法38条3項はまさにこのことを定めているのです。

(注)厳密には、法律を知らなかったことについて相当な理由がある場合に、例外的に罰しないこととする、という学説もあります。「故意と違法性の意識」という論点なのですが、これまた難しすぎて沼のような問題で、私自身もあまりよく分かっていません(笑)。

おわりに

 今日は、「故意」についてお話ししました。
 なぜ、故意がないと罰しないのか?
 それは「犯罪だと分かっていたなら思いとどまるチャンスがあったのに、あえて犯罪行為をした」ということが、刑罰を科せる理由だからです。
 「わざとじゃなかったんです!」という言い分がなぜ通用するのか、分かっていただけましたでしょうか?

おまけ:「故意責任の本質は…」

 ツイッターの一部ユーザーの間で、「故意責任の本質は反規範的人格態度に対する道義的非難である」という一節が流行しています(笑)。
 これの意味を、解説します。

 この一節ですが、実は、「故意責任の本質は、規範に直面して反対動機を形成しえたにもかかわらず、あえて当該行為に出る反規範的人格態度に対する道義的非難である」という『決まり文句』の短縮形です。

 この『決まり文句』は、刑法の論文試験で、故意が認められるかどうかを論じるときに用いるものなので、法律を勉強した人(法学部で刑法の授業を受けた人)であれば必ずといって良いほど出会うものなのです。

 まず、いくつか言葉の意味を解説します。

【規範】 ルール、あるいは事の善悪の判断基準のこと。
【反対動機】 自分がやろうとしている行為を、思いとどまってやめようと思うこと。

 つまり、「規範に直面して反対動機を形成しえた」というのは、「自分のやろうとすることがルールに反することだと分かって、思いとどまってやめようと思えた」という意味です。
 上の【事例②】でいえば、Aさんは、目の前にあるウルトラマン消しゴムがBさんのものだと分かっていたなら、それを持ち帰ることが「人のものは勝手に持ち帰ってはいけない」というルールに反することだと分かったはずで、それなら「よくないことだからやめておこう」と思えたはずだ、という意味です。

 そう、まさに私が上記で述べた、「思いとどまるチャンスがあったのに」という話です。

 そして、「あえて当該行為に出る反規範的人格態度に対する道義的非難」とは、「思いとどまるチャンスがあったのにあえて犯罪行為をやってしまう、というその『ルールに反する態度』を責めて非難する」という意味です。

 そしてそれが、「故意責任の本質だ」というのです。

 実は今回の記事は、この有名な(?)「故意責任の本質は反規範的人格態度に対する道義的非難である」という一節の意味を、ひたすら解説していたのです(笑)。

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弁護士 飯田亮真 アレグロ法律事務所代表(大阪弁護士会)。ライフワークは法教育。noteでは、法教育について、私の考えたことや実践について書きたいと思っています。 Twitter: @r_messy URL: https://allegro-law.jp