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マウントクックで吊り橋効果を実感した話

数日前、私はマウントクックのハイキングツアーに参加した。

ツアーには中国人の男性と、韓国人の女性2人組がいた。

韓国の子たちは交換留学でニュージーランドに来ているそうで、そのうち1人はオタクを名乗った。アニメや漫画で日本語を学んだというが、普通に会話ができていた。オタクの力、すごい。
ネガティブな自称の仕方だったので、今の日本では、オタクはポジティブなワードになりつつあるよ、というと驚いていた。

中国人の男性は写真家だそうだ。20代後半くらいだろうか。ひょっとしたら前半かも。なんとなく菅田将暉に似ていた。
私は英語がそんなに得意ではないし、中国語も知らないので、車に乗るときに順番を譲ってくれたことに対してお礼を言ったくらいで、ほとんど会話はしなかった。

そんな面々で挑んだマウントクックツアー。

ツアーと言いつつミニバンで目的地まで連れて行ってくれるだけで、特に付きっきりのガイドがいるわけではない。
ハイキングコースの入り口まで案内してくれて、それでは行ってらっしゃいと言った感じ。

時間はたっぷりあったので、参加者たちは早々に別れて、思い思いのペースで歩いて行った。

マウントクックはそこだけ雪が被り、幻想的な光景だった。

私は景色を楽しみながらも早歩きで進んで行った。
私は重度の高所恐怖症である。高いところがとにかく怖い。

今回歩くのは初心者向けの、スニーカーでも平気といわれるハイキングコースだが、道中には3つの吊り橋が待ち構えている。

立ち向かうために精神統一する時間を考えると、橋に着くのは早ければ早いほどいい。

吊り橋までの景観は素晴らしかった。
体力に自信のない人はハイキングコースではなく、近場のビューポイントだけ見て帰るというが、その理由がよくわかる。

しかしどうせなら立ち向かってみたい。負けず嫌い精神が私の歩みを加速させる。

最初に戦う1つ目の吊り橋へ辿り着いた。
白濁した川の上にかかっていて、長さは…10mくらいだろうか。幸い橋の下はそこまで高そうには見えなかった。
しかし、とても揺れている。橋を渡る人数と風の強さが影響しているようだ。あちらとこちらからひっきりなしに人が通る。

果たして私は勝てるのか、ここで戦うべきかと迷っていると、後ろから中国人の彼が来た。

目が合って、軽く挨拶をする。
彼は颯爽と吊り橋を渡って行った。

人の流れが止まった。風も弱まってきた。

怖いと思いながらも、軽快な足取りの彼を見て、なんとか立ち向かう覚悟を決めた。

一歩踏み出す。
行けそうだ、と思った。歩みを進めると、ああ、やっぱり怖い、と思った。

気づけば足元は岸から離れて川の上にいる。
パニックになりそうになるが、この橋はそこまで高くない、と自分に言い聞かせる。

対岸から向かってきた人が、おぼつかない足取りで進む私の様子を見て、「大丈夫?頑張って」というように微笑む。
それに励まされてなんとか足を動かす。
心臓がありえないくらいの早鐘を打つ。橋が揺れる。目が回りそうになる。

怖い、大丈夫、怖い、大丈夫。あと少し。

ぶつぶつ唱えながら、なんとか橋を渡りきった。短い橋で本当によかった。
足が震えて、私はしばらくそこから動けなかった。

すぐそばでは中国人の彼が写真を撮っていた。また軽く挨拶をする。彼はずっと穏やかに微笑んでいた。

深呼吸をして、橋を振り返る。

1人で渡ることができた。それは素晴らしい達成感だった。
同時に、こんな思いはもう2度としたくない、と強く思った。
サングラスの下で、滲んだ涙をこっそり拭いた。

再び景色を楽しみながら歩く。
橋を渡ったあと、マウントクックは先ほどより近くなり、凄みを増していった。
これは渡るべきだと思った。渡ることのできた自分をまた褒めた。

そして奴が来た。2つ目の吊り橋だ。
それは遠くから見ても、1つ目と比べて遥かに高く、長く、恐ろしかった。
一応橋の前まで歩き、戦える相手かどうかを確認する。

私は瞬時に降参した。
これは無理だ。凄まじく長い。

マウントクックに別れを告げて、惜しみつつ振り返ると中国人の彼がやってきた。
軽く挨拶をすると、彼は橋を指さした。

「怖い?手を貸しましょうか?」
英語で彼はそう言った。とても優しく穏やかな声だった。私は驚きながらも、
「ノー、センキュー。ありがとう。これは私には長すぎるので、やめておきます」と答えた。

とてもありがたい申し出だったが、非常に無様に迷惑をかけそうだったので断った。

すると彼はまた優しく微笑んで、
「僕も怖いから、一緒に渡りませんか?」と言った。
あんなにサクサク進んでいたのに、あなたも怖いのか!と思った。今思えばこれは優しい嘘だったと思う。

一緒に渡ることが彼のためにもなるなら、と思って了承した。
彼は先頭に立ち、実に紳士的に腕を貸してくれた。

「ゆっくり行くね、遠くを見るといいよ」
そうして本当にゆっくりと歩き始めた。歩き始めた時は大丈夫だった。安心感さえあった。
だが、足の下が川になったことがわかった瞬間、猛烈な恐怖心が襲いかかった。

あとどれくらいだろう、と目を細めながら顔を上げると、対岸はまだ遥かに遠く、人々は小さく、橋は大きく波打っていた。

怖い、怖い怖い怖い。
頭が真っ白になった。反射で涙が出てくる。
「Sorry, I can’t. 」
そう伝えて腕を引くと、彼は心配そうに足をとめた。

申し訳ない、戻りたい、と言って振り返ると、後ろにはアラブ系の夫婦がいた。私たちの会話を聞いていたようだった。

「ノーノー、君ならできる。私たちみんなが通ってきた道だ。君は戻ることはできない。私たちが後ろにいる。何が起きても大丈夫」

強い口調でそう言われて、もう引き返せないことを悟った。
彼らの表情は優しかった。優しかったけれど、どうあっても私を陸に帰さないつもりだとわかった。

あーとか、おーとか言葉にならない情けない声がこぼれた。
覚悟を決めて、「OK,I try」と言ってまた振り返った。
その間も彼はずっと腕を貸してくれていた。夫婦に微笑んだあと、私にも笑みをむけて「準備はいい?」と言った。
イエスと答えると、彼は手すりを持ちながら、またゆっくりゆっくり進んでくれた。

怖くないわけではなかった。でも先程感じた猛烈な恐怖心はもうなかった。
「戻ることはできない」その言葉が私を奮い立たせた。

途中で、彼も怖いと言っていたのを思い出した。
彼の背中は頼もしく、歩みも着実だった。私は後ろで情けない唸り声をあげるだけだった。
「You are brave. You are kind.」
なんとか言葉を捻り出し、勇敢に歩く彼を称賛した。多分必要ない言葉だったけれど。

頭が真っ白になりそうな時は彼の腕を両手で掴んだ。
彼は歩みは止めずに、微笑みながら「Are you OK?」といい、私は「OK」と答えた。それで我に帰ることができた。

気づけばずいぶんと歩いていた。
足の下が岸になったことがわかり、一気に開放感に包まれた。

こうして私は2つ目の橋を渡ることができた。
何度も感謝を伝えると、彼は優しく微笑んだ。

その後、拙い英語で少し会話をした。彼は日本をたくさん旅したこと、北海道がとても良かったことを話してくれた。
私はといえば、英語でどんな会話をすればいいかわからず、焦っていた。想定外の出来事に弱いのだ。

途中で彼が写真家だったことを思い出し、
「私に構わずに写真を撮ってね」
と身振り手振りで伝えると、彼は少し驚いたような顔をした後「大丈夫?」と聞いた。
頷いて手を振ると「OK、撮ってくる」と言って別れた。

ここまで助けてもらったのに薄情なお別れだったかな、と思ったけれども、私の拙い英会話に付き合わせて時間を取るのも申し訳ない。

1人で歩きながら、吊り橋効果を思い出していた。

緊張状態を好意と勘違いすると言うけれど、全くときめかない自分に驚く。
もちろん大変感謝しているし、彼の今後の人生にたくさんの幸運が訪れることをお祈りしたが。多分、彼が菅田将暉に似ていることも影響していると思った。

私の好みのタイプは強いていうならTRICKの時の阿部寛だ。
背が高くて、知的で、基本的には紳士で。でもどこか野暮ったいような、そんな雰囲気の人。
少年心を感じさせる菅田将暉は全く私のタイプではない。
菅田将暉でよかった、もしこれが阿部寛ならきっとすごく動揺していた、なんてこの時点では思っていた。


2つ目の橋の後の景観ももちろん素晴らしかった。
板の張られた美しい道が続く。

しばらくすると3つ目の橋が見えた。2つ目よりは短いけれど、高かった。

ここまででいい、と思った。
待っていればさっきの彼が助けてくれると思うけれど、親切心にあぐらをかくのは好きじゃない。

最近読んだ本に『完全にやり切った時よりも、中途半端に終わった方がより記憶に残る』と書いてあったのを思い出した。
ここはあえて中途半端を選ぼう、と思った。

手を引いてくれた優しい彼と、後ろで励ましてくれた夫婦。美しい景色に少しの心残りを置いて。

私は橋の手前の小道をザクザクと進んだ。彼に見つからないように。彼はきっと先に行ったと思うだろう。

小道の先には美しい景色があった。人はいなかった。皆、橋を渡るのだろう。

十分だ、と思った。満ち足りている。
最初に見た時よりずいぶん近くに聳え立つマウントクックを静かに眺めた。

かなりの時間そうしていたと思う。汗が冷えて、寒くなってくる。
帰ろう、と思った。
不思議と今ならあの吊り橋を渡れる気がした。



2つ目の橋へと辿りつき、長さと高さに改めて震える。
だけど来ることのできた道だ。戻ることだってできるはず。

ゆっくりと、何度も深呼吸をした。心の中で彼と励ましてくれた夫婦を思い浮かべる。

大丈夫。私はできる。

一歩踏み出す。二歩、三歩。行ける!……ああやっぱり無理だごめんなさい。

早口で1人つぶやいた後そそくさと戻る。

橋板の隙間から身体が岸から離れたとわかった瞬間、やはりパニック寸前になる。
さっきは彼が声をかけてくれたおかげで落ち着くことができたけれど、自力では難しい。

無心で、一思いに、一気に渡ってしまおう。
遠くを見るという彼の教えを思い出し、挑戦するが、橋が波打っていることに怖くなって引き返す。
ゆっくり着実に進もうと思い、挑戦するが、一向に進まないことに怖くなる。引き返す。

このままではダメだ。一旦冷静に、恐怖心の原因を考えよう。
橋が高いこと?手すりがスカスカなワイヤーでできていること?
手すりの位置は腰より上だがその下に大きな空洞があるからバランスを崩せば落ちそうなこと?橋が凄まじく揺れること?……。

試行錯誤しながら、彼が帰ってこないうちに、と何度も挑戦した。

対岸から来た人に「It’s easy」と励ましてもらったり、岸壁にグッジョブの形をした岩を見つけたりするごとに、自分を奮い立たせて立ち向かった。
しかし、どうしても途中で引き返してしまう。

情けなさに涙が出そうになりながら、そばにあった岩に腰掛けた。
時間は十分稼いだはずだったのに、気づけば30分近く経っていた。

やがて彼の姿が見えてしまった。彼は驚いた表情をした。
「3つ目の橋を一緒に渡れなくてごめんね。姿を見つけられなくて」
申し訳なさそうに言う彼に首を振る。

あえて諦めたんだよ、と伝える方法がわからなかった。この時ほど英語ができないことを後悔した時はない。
「No problem, It’s OK…Thank you!」
なんとかそう伝える。彼はまた腕を差し出してくれた。

橋を渡り始めると、波打っていた橋は不思議と静まった。思えば来たときもそうだった。
彼は橋を鎮める魔法でも使えたのだろうか。

1人の時はあれだけ不安だったのが、今度は嘘のように安心して渡れた。
「Good Job!」
渡り切った時、彼はそう言った。そっちだって怖いと言っていたのに。
そう思って「You too!」と返したが、果たして伝わっただろうか。

ありがとうと何度も伝えてまた別れた。
1つ目の橋は自力で渡れたから、今度こそ大丈夫だろう。そう思って、ゆっくり帰りの景色を楽しんだ。

すると1つ目の橋の前には彼の姿があった。
目が合うと微笑んで片手を上げてくれた。そう、なんと待っていてくれたのだ。なんて良い人!待たせて申し訳ない。まさか待ってくれているとは思わず。

彼のおかげで、1つ目の橋でも全く怖い思いをしなかった。
渡ったあと、車に戻るまでの会話はどうしよう。少し気まずいな、なんて考える余裕すらあった。

渡り切った後、また感謝を伝えると彼は親指をグッと立てて微笑んだ。そして別れた。
気を遣ってくれたのか、向こうも気まずかったのかはわからない。ただありがたかった。

英語が、あるいは中国語が話せたら私はどうしていただろう。
連絡先を聞いて、日本に来たときは案内するね、とか、あるいはツアー後に軽くご飯かお茶をご馳走するくらいはしたかもしれない。

全くときめきは感じていないが。最低限の礼儀として、それくらいはすべきかなと思った。
しかしそれを伝える間も無く、ツアーは終わった。

途中で合流した韓国人の子に、助けてもらったことを話すと、吊り橋効果の話をされた。
「その話は知っているし、格好いいとは思うけど、タイプじゃないかな」と言って笑った。

たしかに笑った、のだが。


数日経ち、じわじわとその効力を感じている。

私は自分の気持ちにかなり鈍感な方だ。今までの恋愛もそうだった。
あまり自分の気持ちがわかっていないのだ。告白されて、その時はいいと思っても、少し時間が経つと何か違うと思って別れる。
学生の時も、卒業して会わない段になって初めて、あの人のことが好きだったかもな、と思う。
衝動的な恋愛をしたことがない。

今、私は彼の連絡先を聞かなかったことを後悔し、もしかしたらどこかにいるかも、と姿を探すくらい、彼のことを気にしている。

本当に不思議だ。

吊り橋効果とわかっているし、彼の人となりをろくに知りもしないのに。タイプでないとも思っていたのに。

なんだか無性に気になってしまう。

おそろしい効果だ。この気持ちをどうしたらいいのだろう。
今はとりあえず静まることを待つしかない。
あの時の吊り橋のように。


余談。私は一人旅を愛している。
だが、吊り橋を渡るときにはあのときの彼のように、側で支えてくれる人がいるといいなと思った。
残した3番目の吊り橋はいつか誰かと渡りたいものだ。
難しければ、強くなった自分と渡ろう。10年後くらいにきっと。

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