高井ゆと里『ハイデガー 世界内存在を生きる』(講談社選書メチエ、2022年)を読んで。

 本書はハイデガーの『存在と時間』への入門書である。多くの書は『存在と時間』「について」の入門書である中、その読み解きの具体性において群を抜いているがゆえに『存在と時間』「への」入門書であるとあえて書きたい。『存在と時間』という著作の成立とその思想的背景に関しては轟孝夫氏の『ハイデガー「存在と時間」入門』が本書でも決定版と言われているように現在手にし得る最も詳しい本であると思われるが、本書はハイデガーに初めて触れる読者もそれなりに読んできた読者をも、ハイデガーが『存在と時間』において取り組んだ問いへとダイレクトに招く本である。
 ハイデガーに関する本を幾つか読んでいくと時折指摘されるように「ハイデガー語」と呼ばれるような独特な言い回しに出くわす。そうしたことの一つひとつを剥いでいく作業が近年の研究の特徴であるとも言えるのだが、その中で本書は群を抜いてハイデガー語を感じさせることなく直接に読者をその問題へと招く本であるように思う。副題にもあるように本書はハイデガーの『存在と時間』における世界内存在をめぐる分析がなされていくのだが、訳者による他書にはないダイレクトな訳文を通してハイデガーの問いそのものが多数の引用とともに明らかにされていく。その問いかけの深みを確かめるためにいくつかの訳文を比較検討することを通して読者は自然とハイデガーのテクストへとも導かれていくのである。
 私たち一人ひとりが固有の生を生きるにはどうするべきか、いかに生きるべきかという問いが『存在と時間』を貫いている。世界内存在として現存在である私たちはどのような世界に生き、どのような生を享けているのか。本書はその具体的な問いかけの積み重ねを通して生き生きとハイデガーの思考へと読者を導いてくれる。中でも印象的なのは社会の中で私たちが与えられてきた性の役割への問いかけでクィアの話題が取り上げられたことである。今までのハイデガー本でこれほどまでに直接的に私たちの生の諸相に分け入り、本来性そのものを問いかけ、新たな地平をひらこうとする本はなかったのではないだろうか。それほどに本書は強烈な印象を残した。
 ここまで書くと今までの読解を無視した本であるとの印象を持たせてしまうかもしれないが、そうではない。むしろ凝縮された叙述は著者のハイデガー研究の積み重ねへの敬意を感じさせるものであり、なおかつそれらの不十分なところを補い、そのうえで直接にハイデガーのテクストそのものと向き合うことを読者に呼びかけているのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?