アリストテレス/三浦洋訳『詩学』(光文社古典新訳文庫、2019年)を読んで。

 アリストテレスの『詩学』は美学の古典としてあまりにも有名であり、今道友信氏の『美について』をはじめ様々に紹介されている。ところが『詩学』そのものを読み進めようと思って岩波文庫の詩学を手に取った読者は、いきなり韻律の細かい議論が展開されることに面を食らってしまうかもしれない。読みやすい翻訳としては『世界の名著』の藤沢令夫訳があり、評者は大学時代にこれを読んだ。あとは大分なものではあるが旧版アリストテレス全集の今道友信訳があり、それから新版の朴一功訳が最近刊行されている。本書、光文社古典新訳文庫の三浦洋氏による新訳は手軽さにおいて群を抜き、小見出しのついた読みやすい訳文とともに現行の詩学解釈を提示する解説が付されている。
 アリストテレスの『詩学』において有名なのはミメーシスとカタルシスをめぐる議論であろう。訳者解説で詳述されるように本訳はミメーシスを模倣と一貫して訳していることに特徴がある。他にも訳語を一貫して選択し、訳し分けていないことを訳者の解説に読み取ることができる。すると文章が読みにくくなるかと言えばそうではなく、小見出しが付いた本文はアリストテレスが論じようとしている事柄を小さな単位に分割して提示してくれている。読者が本文を読み進めて立ち止まるであろう所には周到に訳注が付されており、解釈の分岐点が明示されている。そしていつの間にか通読できてしまうことに驚かされるであろう。
 古典新訳文庫の特徴とも言える充実した解説においてミメーシスとカタルシスの内容が詳しく述べられる。プラトンの『国家』と対比されながら提示されるミメーシスの議論はアリストテレス研究、ひいてはプラトン研究の深部へと読者を案内する。この言葉ひとつの位置付けが両者の読解の要となることを明示しているのである。そしてカタルシスもまた後代において様々に理解されてきたが、その細部を解きほぐし著者の読解を示すのは圧巻である。詩学研究そのものがただ単にある帰結を導き出すことではなく、アリストテレスのテクストの読み直しを迫ることを知らせてくれるのである。
 本書はともすれば細部に拘泥しテクストの中で迷ってしまうかもしれない古典を明快な叙述を通して提示してくれる。そして読み進むうちにアリストテレスのテクストを読むことの醍醐味を感じさせる一冊と言える。一般に受け止められている印象を繰り返すことなく丁寧に紐解く本書は、詩学にまつわるテクスト内外の解釈の分岐点を明示し、読者を更なるアリストテレス読解へと招くものである。


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