ハビエル・ガラルダ『愛を見つめて』(インターナショナル新書、2022年)を読んで。

 イグナチオ・デ・ロヨラの『霊操』という本には、「慰め」と「すさみ」という区分が出てくる。ロヨラの時代に限らず、人は様々なむなしさにかこまれて生きている。「慰め」と「すさみ」という心の動きを通して、ひとが日々の生活の中で出会う一つひとつの出来事が自分の心の底からの喜びをもたらすものであるかどうかを識別するのである。私たち自らの日々の在り方を振り返るそのような識別をロヨラは「霊操」と読んだ。それは英語ではSpiritual Excercisesと呼ばれ、霊的体操を意味する。ガラルダ師の『愛を見つめて』はその「霊操」を彷彿とさせる「愛の体操」の書であるといえる。
 私たちのうちには様々な愛がある。その愛が自らを傷つけるものなのか喜ばせるものなのかを具体的な問いかけの積み重ねによって明らかにしていく。ガラルダ師の説教に日頃から聞きなれている読者にとってはお馴染みのことに響くかもしれないが、本書においてそれが単にいい話に留まるものではなく私たちの愛の在り方そのものを問いかける省察の積み重ねによって発されていることに気が付くであろう。数々のわかりやすいたとえが身近な文学の深い神学的、人間学的読解に根付くものであることもまた本書は伝えてくれる。
 愛は海のようなものである。海が満たされて入れば底にある岩にぶつかることはない。しかしそれが涸れてくると時に他人を傷つけてしまうこともあるかもしれない。自己愛を始め、愛の適切な関係を巡って積み重ねられる考察は、私たちの内なる喜びがどこにあるのかを気づかせるものなのである。
 様々な人間関係の積み重ねの中で、人との関係に倦み、人を大切に思う感情さえ損なわれてしまうことがある。自分が満たされている状態であれば何気なくやり過ごせることでも、他人の不幸を喜ぶ人を目の当たりにして苦しんでいる自分がいた。本書を読んでいて、他人の不幸を喜ぶことは単純な罪なのだと気が付かされ、はっと目が覚めた。そう。本書は愛することをめぐる体操の書なのである。私たちの人を大切に思う気持ちの「喜び」や「つらさ」がどこにあるのかを知らせてくれる本として、本書は「霊操」を彷彿とさせる本なのである。私たちの内なる向上心、人を大切に思う気持ちを冷静な目で捉え直させる洞察に満ちた一冊といえよう。愛することに疲れたと思ったことのある人にぜひ手に取って欲しい一冊である。


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