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忘れられない人になりたければ大いに貶し言葉を述べるべし


今回は三島由紀夫『不道徳教育講座』風に書いてみます。

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巷で時々京都人のいけずが話題になることがあります。
ご存知のように「ピアノお上手どすなぁ」が「下手くそ、うるさいぞ」の意だったり、「ぶぶ漬けでもどうどすか?」が「早く帰れ」の意だったりするわけですが、
こんな表現は本当に危険としか言いようがありません。
聞き手の感覚と知性次第では本心が伝わらないどころか酷い場合には純然たる褒め言葉や歓迎とも受け取られかねないのです。


さて、私の友人にこんな人があります。
もう三十路を越えた妙齢の大人でありながら大学生の時分に言われた心無い言葉に未だに苦しんでいるというのです。
なんでも職探しをしていた折にその友人がふと、
「客室乗務員になるためには顔写真だけでなく全身写真を送る必要があるらしい。機内の保安が主たる仕事だろう、いったい何を審査するために全身写真が必要なのか、甚だ馬鹿馬鹿しい。」
と言いましたら、それを聞いたクラスメイトF子が
「心配しなくともK(友人)は客室乗務員になんぞなれるはずがないから安心しろ。」
と吐いたそうであります。

Kは身長が160センチメートル、体型は細身ですから、「客室乗務員になれるはずがない」というのが顔のことを言っているのは明確です。
容姿偏重の社会批判をしたくても結局はKも若き女学生ですから、こんなことを言われてしまっては閉口するしかありません。
そしてKは大学を卒業した後F子には一度も会っていないのに、そのときの言葉とF子の顔が忘れられずもう10年以上度々思い出しては苦しめられているというのです。

褒め言葉なんかはお世辞の要素が多分に盛り込まれていますから、余程のお目出度い人物でなければそんなものは直に忘れてしまいます。
よく思われようと脳みそを捻って嘘の美言を並べても忘れられてしまうのでは無駄骨です。
私はむしろ、そんなお世辞やいけずなどよりクラスメイトF子のような清々しい貶し言葉を磨き、記憶に残る人物になることを読者諸君に薦めたいのです。

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Kはここではすっかり被害者ヅラをしているけど、同じようなことを言って加害者になったこともあります。
小学生のとき、安倍なつみに憧れてモーニング娘。のオーディションを受けようとしていた同級生Aちゃんに「Aちゃんは無理だと思うよ!」と言いました。
多分Aちゃんの一生の心の傷になってると思います。どうか忘れてくれてるといいけれど。

こんな性格、生まれ変わりでもしない限りどうにもなりません。

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