【短編小説】ある秋の日の恐怖体験 前編
秋の鶴舞公園
俺は、いつも秋になると決まって思い出すことがある。それは、今から三十年ほど前と、遠い昔の話になるのだが、ここに記しておこう。
あれは、清々しい秋晴れに恵まれた日の事であった。冷たく澄んだ空気が心地よい季節。街路樹の葉も紅葉の賑わいを見せて、色づき始めた十一月中旬。俺は半年ぶりに名古屋へと帰省した。
太陽が燦々と輝いて、涼しい風が銀杏並木を揺らし、黄色く色づいた葉が舞い落ちては、仄かな秋の香りを辺りに漂わせていく。
俺は地下鉄の出口を出ると、混雑した一号線の車列を横目に見ながら、排気ガスと騒音の街を歩いてみる。半年ぶりに嗅いだ都会の空気は、田舎の澄んだ空気に慣れてきた俺の郷愁心を擽るのだ。
紹介が遅れたが、俺の名前は加藤 浩史。当時、二十三歳になったばかりの社会人一年生であった。今は、地方の中堅企業に勤めるサラリーマンだが高校を出るまでは、この名古屋で育った名古屋人でもある。
俺の容姿は七三分けの背高ノッポさんで、自分で言うのもなんだが、温厚なゲームオタクだと自負している。
ただ問題は、この名前の所為で”某ヤンキーマンガの主人公のモデル”であるとか、”喧嘩が強い”とか、俺の知らぬ間に勝手なデマと妄想が拡散されてしまい、意味も無く、喧嘩を売られたり、見知らぬ他校のヤンキーに校門の前で居座られることもあった。おまけに高校生の頃は大須観音でタカリにまで遭う始末だ。
さて、自己紹介は、このくらいにして話を続けよう。ちょうど、俺の時計は午前十一時を廻っている。今日の俺のスケジュールは目まぐるしかった。早朝六時に家を出発し、地方のローカル線から新幹線を乗り継いで、つい一時間ほど前に名駅に到着したのである。
その足で地下鉄乗り場まで急ぎ、当時、黄色い電車の東山線に乗り込むと、伏見で鶴舞線に乗り換えて三駅進んで下車して今に至る。地下鉄 鶴舞駅を出てブラブラとしながら鶴舞公園の中へ進む。
ここを歩くのは高校のオリエンテーリング以来だろう。やがて、中央の背の高い噴水塔の前に立っていた。
頂点から水から勢いよく噴出して、下に向かって開いた傘から垂れ下がる雨だれのような水流を作りだし、鮮やかな虹のアーチが描かれている。
辺りに植えられたヒマラヤ杉が柔らかく日蔭を作り、まだ、水をやりたてなのだろう、花壇に植えられた花々が艶やかに柔らかい陽の光を弾いていく。広場には、エサを待つ鳩たちが群れを成して集まっている。
俺は朗らかな秋の陽気と草木の香りに気分が和らぎ、思わず大きく背伸びをした。爽やかな空気と排ガスに塗れた都会の空気が混ざり合って、俺の肺いっぱいに入ってくる。行き交う車の列に道を歩く人並みの喧騒が、一段と俺の哀愁を呼び起こさせていくのだ。
と、俺が、そんな感慨に浸っていると、俺の背に気配を感じた。
「よぉっ!加藤っ!元気だったか?」
と、大きな声で名前を呼ばれた俺はギョっとして肩を震わせ、慌てて振り返った。そして、相手の姿が目に飛び込んできたのだが、その瞬間、俺は口をあんぐりと開けたまま、思わず目を見張った。
「えっ?!あれっ?もしかして高松か?おいっ!嘘だろう!お前、あの長い髪を切ったのか?」
俺が高松のヘッドを指差して、そう言うとヤツは照れくさそうに
「はははっ・・・そうか!やっぱバレたか!」
と、トレードマークの長髪を切り、五厘刈りの坊主になったニヤけた面の高松 敏樹が頭を掻きながら立っていた。俺の高校二年来の友人だが、こうした悪戯好きな面は昔から変わっていない。
高松は、俺と同じぐらいの細長で、若干ヨレヨレの紺色のジャケットを羽織り、内側に白いTシャツを着ており、新調したばかりなのか、折り目無い綺麗な紺色のジーンズを履いていた。ただ、残念なことに、薄汚れた白いスニーカーだけは、今春に会った時と変わっていないように見える。
「それにしても、一体、どうしたんだよ、その頭。・・って言うか、お前、病気は大丈夫なのか?」
と、俺は高松の身体を心配した。
そもそも、俺が十一月なんていう中途半端な時期に名古屋に帰ってきたのかと言えば、アニメオタクにして、アレ系な同人誌を描くのが趣味である高松が入院したと聞いたからだ。高松は頭を掻きながら
「いや~、心配させて悪いな。ちょうどさ、ここ二か月、イラストを描く仕事と同人誌の納期が重なってなぁ。そのお蔭で徹夜が続いたんだよ。それで、ちょっと胃をやられちまったよ。まあ、一昨日、退院したんで、今は大丈夫だぜ。加藤も、わざわざ俺のために帰って来てくれて、ありがとう」
と、五分刈りの頭を深々と下げた。俺は、少々脂ぎった光り過ぎている、その頭が気になったが
「ああ、いやいや。俺は高松が元気そうで安心したよ。まあ、俺もさ、高松と一緒に大須へ行きたかったんで、本当、元気になって良かった。ああ、でもさあ、何で、今日の待ち合わせは、鶴舞にしたんだよ?今まで、大抵は大須観音だったろう?」
俺が少し残念そうに言うと、高松は何が嬉しいのか判らないが笑顔になり
「はははっ・・・。まあ、確かに大須なら、アメ横ビルやゲーム、PCショップにゲーセンもあるし、古本屋も多いから遊ぶには困らんけどな。ただーしっ!今日、この名古屋市公会堂で、ある一大イベントがあるのだよっ!明智 君っ!」
と、一段と目じりの下がった高松が両手を広げて、公園の北に位置する大きな建物を指した。”明智 君って、誰やねんっ!”と心の中でツッコミを入れつつ、昭和レトロな感慨に浸りながら、俺は茶褐色のタイル張りが施された鉄筋の建物を見上げた。
イベント
ここ名古屋市公会堂は、昭和五年に開館し、地上四階、地下一階で定員は大ホール1994名、四階780名を収容できる多目的ホールである。正面から見ると、両脇の塔の上部にツルの羽根をデザインしたクリーム色のオブジェがあるのが特徴的だ。昭和五十五年に改修工事を終えて、今に至ると高校の先生に聞いた覚えがある。
俺は高松に向き直ると
「ふーん、今日は、ここで一大イベントがあるのか。で、どんなイベントがあるんだよ?」
ところが高松は何処か、照れくさそうに人差し指で鼻の下を擦りながら
「それは、だなぁ・・。うーん・・」
と、焦らす。
「なんだよ、それ。何を溜めてんだよ」
「ああ、判った判った。いいか、良く聞け。何と、あの高橋真紀ちゃんと南まりちゃんのトークショー アンド 握手イベントがあるのだっ!驚いたかっ?はははっ・・・」
と、得意気満々に俺の肩を叩いた。
だが、俺は、その聞き覚えのない名前に首を傾げた。俺はゲームならともかく、それ以外で、そんなアイドルのような女性の名前を聞いた事が無かったからだ。
「ああ・・そう。いや、多分、それは、きっと有名なアレだよな。絶対イベントも盛り上がるぜ。あははっ・・」
と、俺は笑ってお茶を濁そうとしたのだが、興奮気味な高松が続ける。
「そうなんだよ。加藤、判ってんじゃん。有名なアレだぜ。今回のイベントも絶好調だぜっ!あはははっ・・」
「ああ、多分・・いや、絶対そうだ。人気も絶大だし、特に、あのロック調の歌がいいんだよなぁ!」
「そうだよ。写真集もバカ売れだし、人気も上々だ。でも、ロックじゃなくって、Jポップだと思うが・・。っていうか、加藤。全然、判ってないだろう?」
「あっ・・・うん。まあ・・・」
一瞬、眼光の奥が鋭く光る高松のツッコミに俺は、たじろいた。高松は呆れたように俺を見下しながら言う。
「そうだよなぁ。加藤は、あまりアニメとか興味ないもんなぁ・・。いいか、高橋真紀ちゃんと南まりちゃんって言うのは、”極楽新怪速 のぞみとひかり”っていうアニメのヒロイン役の声優さん達なんだよ」
「えっ?ああ、アニメの声優さんなのか。ふーん、なるほど・・。ちなみに、それは、どんなアニメなんだ?」
俺は一応興味有り気に言ってみた。高松が続ける。
「ああ、そうだな。女子高に通う、美少女ヒロインの二人が、ある日の深夜、赤い電車とぶつかるんだけど、その電車が未来から来た特急電車だったんだよ」
「ふむふむ、それで?」
「カクカクシカジカ。カクカクシカジカ。カクカクシカジカ」
「ああ、なるほど・・って、”カクカクシカジカ”でわかるか!何で、三回も同じことを繰り返すねん!」
と、高松にツッコミを入れていた。高松は面倒くさそうな表情を浮かべ
「もう、判ったよ。それで過去の人間を勝手に撥ね殺してしまっては一大事と、未来の人間が二人を蘇らすために新しい命を授けたんだ。それで、変身能力が身につくんだよ。ところが、そのコスチュームというのが変わっていてなぁ。何故か、新幹線”のぞみ”と”ひかり”風のピチピチのハイレグコスチュームに変身してしまうんだ。そこに偶然通り掛かった鉄道写真オタクで同級生の氷上 耕輔が絡んで、鉄道オタクの皮を被り、悪事を重ねる秘密結社を撃退するというシリアス路線・・・なのかと思わせておいて、実はギャグ路線のストーリーだったていうのがウケてな、今や、アニメオタクだけでなく、鉄道オタクにまでオタクが増えたって話だ」
高松は独演会のように長文を身振り手振りしては、額の汗をまき散らしながら、一気に話し終えた。聞いている俺も疲れるが、高松の疲れは想像を絶するものだったのだろう。高松は暫し、アスリートのように深呼吸をしていた。
俺は、新幹線の”のぞみ”と”ひかり”が時速三百キロで、悪の鉄道オタクどもをバッタバッタと撥ね飛ばすイメージを想像していた。大空に飛び散る厳ついカメラを持った悪の鉄道オタクたち・・・なのだろうか・・。俺は続けて
「はははっ・・・。なるほどなぁ。俺は、そう言うアニメは見た事がないな。でも、新快速ってJR本線の電車で新幹線じゃ・・」
と、ツッコもうとしたのだが、
「いやいや、加藤。それが、新快速の”快”の字が、怪人の”怪”なんだよ。そこがギャグ路線のキモなんだけど・・・まあ、観ればわかるよ」
と、高松が妙に納得させるような口調で言った。
「そうか・・・確かに、見ないと分からないようなぁ。でも、新幹線のデザインがヒロインコスチュームって面白いな」
「だろう?これが、今年の七月から放映されて、ワンクールで終わったんだけど、アニメ雑誌にも度々取り上げられて、大人気になったんだぜ。」
「そうかぁ・・・。そんなに人気のアニメだったんだ・・・。ところで、ワンクールって何だ?」
「また、加藤は、変なとこに食いつくなぁ・・・。ワンクールっていうのは三か月区切りの事だよ。13週だから13話分のことをワンクールと言うんだ。」
俺は大きく頷いた。
「ああ、なるほど、アニメも色々と深いなぁ・・」
「まあ、あまり、そこに食いつく奴って、あまりいないんだけどなぁ・・・。あっ!」
呆れた顏をしていた高松だったが、何かを思い出したように、上を見上げながら言う。
「そう言えば、また、今日もウ○コ踏んじゃったよ」
「おいっ!またかっ!お前、今年の春にも踏んだばかりじゃないかっ!しかも1日2回もっ!どんだけウ○コ好きやねんっ!」
俺は、春の日に味わったあの屈辱的な感慨がフィードバックされてきた。
「せやっ!あの春の日の戦慄やっ!俺まで巻き沿いを食ったあの日を・・。高松っ!俺の貴重な青春の日を返せっ!」
「おいおい、そこまで言わなくてもいいだろう?しかも途中、関西弁になってたぞ・・。今日はさー、名鉄の呼続駅にケッタ(名古屋弁で自転車の事)を置いたってところまでは良かったんだよ。ただ、降りた場所に運悪く、黒い豆炭が置いてあったと・・。まあ、今回は猫だったけどな。もちろん、ワザとじゃないんだぜ」
「ワザとじゃないのは分かっているよ。たださ、俺と逢う日に限って何もまた踏まなくてもって思ってなぁ。なんか縁起が悪いんじゃないかなあ」
俺の中に不吉な予感が過ぎる。
「加藤、大丈夫、大丈夫だって。きちんと縁石に擦りつけてきたからさ」
「またかっ!」
余裕シャクシャクな笑顔を見せる高松だが、俺の想像する縁石で靴裏を拭く姿は、決して、綺麗なものではない。そう、断じてないっ。今年の春も同じことをしたばかりなのに・・。仕方なく、俺は話題を変えた。
「ま、それは置いておいてだ。高松、その坊主頭はどうしたんだ?もしかして、突然、出家するつもりじゃないだろうな?」
俺は、高松の均一に五厘刈りされた坊主頭に目をやった。
「えっ?はははっ・・。出家って、まさか、俺が坊さんになるわけないじゃないか。どちらかっていうと、俺は煩悩の塊だからな。はははっ・・」
高松が両手をを腰に当て、胸を張る。高松の場合は、煩悩の塊と言うかE・R・Oの塊だろう。
「そんなに胸を威張るなよぉ・・。せめて同人誌だけにしとけよ」
「まあな。でも、加藤も最近、どうなんだ?やっぱり小説家になる夢を諦めてないんじゃないのか?」
と、俺に直球を投げてきた。俺は一瞬、的を射られたかのように心臓が震えた。
「いや・・・まあ、そうだな。本音を言えば、そうかもしれない。確かに、今の仕事も楽しいけど、やっぱり作品作りをしていた方が楽しいものなぁ・・」
と、俺が言い終わる寸前に、既に高松の意識は別のところへとトリップしていた。
<後編につづく>
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?