ゲームをやらなくなったミディアリスト
どうも、元ゲーム依存者で、今はゲームをやらなくなったミディアリストKENです。
今回は、「ゲーム」についてお話してみたいと思います。
ゲームをやらなくなったのは、ここ2~3年くらいでしょうか。
なぜ曖昧かというと、これといって「今日からゲームやめるぞ!」や「脱ゲーム生活!」みたいな覚悟をしてやらなくなったわけではなく、ミディアリストの生活をしていて自然とやらなくなったからです。
では、ミディアリストになって、どうして私はゲームをやらなくなったのか、ここに少し書き留めてさせていただきます。
私のゲーム人生
最初に、ここでお話しするゲームは、主に「家庭用ゲーム」や「カードゲーム」、「スマホゲーム」です。
私がゲームを触り始めたのは、「家庭用ゲーム」からです。
記憶に残っている最初のゲームは、ゲームボーイアドバンスで「ポケモンサファイア」です。
それから、いろいろなゲームに手を出していき、小・中学生の頃はゲームが友達でした。
そして、高校生になると「カードゲーム」をやり始めました。
私がやっていたのは、「遊戯王」ですね。
特に、「遊戯王」はアニメを子供のころから見てたのに加え、高校生なのに中二病がまだ残っていたのか(笑)、ドハマりしていました。
そして、大学生になると、世はまさに大スマホゲー時代!(笑笑笑)
まぁ暇さえあればゲームしまくっていましたね。
今思えば、その頃は言うなればゲームマキシマリスト。
欲しいアイテムやキャラを多くゲットするためや高ランク帯にいたいがために、時間を費やすゲームマキシリスト。
ほどよく付き合えば、素敵な思い出なのに、いつのまにかちょっとした鬱憤をはらすための負のデータの集積となっていました。
いつから子供の時のように楽しむことをできなくなっていたんだろうか。
しかし、大学生の頃にミニマリスト生活からミディアリスト生活になっていくにつれて、少しずつゲームをするより、読書や散歩、料理、旅行など別のコトに時間をかけていくようになっていきました。
そして、現在ではゲームをやらなくなりました。
ミディアリストがゲームをやらなくなった理由
さて、ここまで私の黒歴史もといゲーム人生をつらつらとお話してきましたが、ここからはミディアリストの考え方から私がそのゲーム人生を終わらせ、なぜゲームをやらなくなった生活を送っているのかお話しましょう。
ゲームよりも楽しい生活をしている
みなさんは、ゲームをする目的はなんでしょうか?
人によって違うのは言わずもがなですが、「楽しむため」という目的もあると思います。
特に、私の場合はそうでした。
私はゲームを楽しむことで、ゲーム人生の後半は現実の世界の楽しくないことから目を背け、ゲームの世界で楽しい生活をしていたのです。
しかし、そんな生活は続くはずもありません。その別次元の生活のために、現実世界の私の生活や体などをほっぽりだしているのですから。
別にゲームを「楽しむ」コト自体は悪いことではないと、私も理解しています。
ようは、程度と付き合い方の問題です。
以前の私は、ゲームでの「楽しむ」コトに重きを置きすぎていました。
しかし、今の私はゲーム以外の「楽しむ」コトが複数あり、その中の1つ1つの「楽しむ」コトに割り振っている時間や重要度が少ないです。
昔の私なら「ゲームしないと楽しめない」と思っていたのが、現在では「そうだ。今はこの楽しいことをしよう。もし出来なくても他のあれをしよう。」と気楽に切り替えられるようになりました。
上記のように、生活のなかにいくつものささやかな「楽しい」コトをストックしているミディアムな考え方をしだしたら、あんなに一点集中のゲームマキシマリストだった私はいつのまにか変わっていました。
おわりに
ふりかえってみると、なんとも昔の私は視野が狭く、刺激に飢えていたように思います。
でも、ゲームが友達で生真面目だった私ならしょうがないとも、現在は思います。
この経験は、私にとって苦い思い出です。
しかし、今のミディアムな考え方を持つ自分を作りあげる上では、必要不可欠な経験だったとも思えます。
私は、これからの人生のどこかのタイミングでゲームをするでしょう。
私がやりたくなったり、今の友達に誘われる可能性は捨てきれませんからね。
その時は、苦い経験を糧に本当に「楽しむ」コトとしてやりたいですね。
あの無邪気にゲームを楽しんでいた子供のころのように…
ではでは、今日はこのくらいで…またお会いしましょう。
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