低所得者でも素朴な感謝の繰り返しで幸せが訪れている 沖縄生活日記
前もって言っておきますが、私は宗教家ではありません(笑)
タイトルを考えている時に、「なんだか宗教っぽくもあるな~」なんて思っていたので、一応お伝えしておきます。
私は、世間的に言うとただの低所得者らしいです。
「らしい」というのは、私に実感がないからです。
だって、私にとっては満足できる暮らしをさせていただいているので、世間では低所得者に含まれてても「そうなんですね~(ぽけ~)」という感じなので(笑)
そんな年収150万円の低所得者の私でも、毎日楽しく起きて、食べて、運動して、仕事したり、休んだり、そして貯金も出来ています。
この日々を過ごせているだけでも私にとっては十分幸せです。
なぜなら、生きているからです。
基本的に思考の仕方や見方のピントを合わせると生きているだけで、人は十分幸せになれると私は思って生きています。
なんか文字にすると宗教観バリバリですね(笑)
でも、身近にある素朴なことに感謝を出来るようになると、生きるハードルが格段に下がります。
例えば、毎日の食事です。
私は、断食をよくやるのでほとんど1日1食が多いのですが、毎日本当にお腹が減った状態でご飯を食べることが出来るので、お腹も減らずになあなあと時間通りに3食たべていた頃よりも食に感謝して、幸せに生きることが出来ています。
おかげで幸せになりながら、健康で節制にもなっています。
これらの私の素朴な感謝の習慣を「貧しそう」と捉えるか、「幸せそう」と捉えるかは人ぞれぞれなのでどちらの感情も湧くでしょう。
ただ、もしお金で得られる幸せを続けることが出来なくなったりしたときに身近な幸せを続けることにもシフトできるということを、心の隅に置いていただけるだけでも幸いです。
お金がなくても幸せに生きられることが分かっているだけでも、生きやすさは違ってきますから。
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