第二子妊娠、つわり、そして家族というもの 3

  妊娠12週半ばになると、子宮内で胎盤がほぼ完成する。胎盤とはへその緒のつながる先だ。つまり、ようやく胎児と母体がへその緒で結びつく。そしてホルモンのバランスが変化し、ほとんどの人はつわりや体調不良が少し落ち着いてくる。
  わたしもそうだった。とはいえ、前回の記録に「13週に入るとほぼつわりはなくなった」と書いていたけれど、今回はそう簡単に去ってはくれなかった。昨日はけっこう動けたのに、今日はくたくたで晩御飯も食べられない……とムラがあり、薄皮が剥がれるように少しずつ体調のいい時間が増えていく、という塩梅だった。とはいえ吐き気がしても休めば回復するようになり、肉や魚も少しなら口にできるようになったし、食べる量も以前の7割くらいに戻った。短い時間なら台所に立てるようになり、ごく簡単なものだけれど(鮭とじゃがいもときのこのバター炒めと具沢山のお味噌汁)、本当に久しぶりに献立と呼べる食事の支度ができた。娘の寝かしつけの間に身体を休めてそのあと食器を洗うこともできるようになり、夫の担当は娘のお風呂と寝支度だけになった。
  そのうちに娘の幼稚園が始まって、生活が一気に変化した。朝8時半からお迎えの14時半まで娘は幼稚園で過ごす。平日はお昼の準備もいらないしお昼寝だって済ませてくる。慣れない生活にお互いストレスもあったし、家にいる間は甘えんぼうになったり怒りっぽかったりと手のかかることも増えたけど、娘は事前に想定していた以上に新しい生活によく順応してくれていたし、全体として肉体的にも精神的にも負担は減り、生活が随分と楽になった。
  そうして14週、15週と妊娠期間が進むうちにつわりはほとんどなくなった。自分1人でも娘の世話ができるようになり、幼稚園のおかげで親子ともに早寝早起きのリズムもしっかりついて、生活はほとんど落ち着いた。
   娘の世話で忙しくしていると、お腹の子のことはすっかり忘れてしまう。けれど1人の時間にふと下腹部の存在を思うと、つわりも去った今ではそれが嬉しい。腹に10センチちょっとの生き物がいていつも一緒にいるんだなぁと思うと、素直に「かわいいな」と思う。わたしの身体はわたしの意識で操っているはずなのに、わたし以外の個人の魂を持っているらしい存在がお腹の中にいて、それを意識外でわたしの身体が育てている、という奇妙でハイブリッドな状態を再び味わっている。妊婦は辛いことも面倒くさいこともたくさんだけれど、この不思議な面白みのある感覚はわたしにとってはちょっとしたご褒美だ。

  そんなこんなでやがて安定期に入り、里帰りまでのあいだ、家族3人で過ごすひとつひとつの週末をとにかく慈しむように過ごした。夏休みに入ると夫の友人家族が泊まりに来てくれたり、あるいは友人を訪ねて旅行へ出かけたりした。遠出しなくても海辺でお弁当を食べたり、しばらく行けなくなるからとちょっといいお店でご飯を食べたり、地域のお祭りや花火大会にも行った。夕方の涼しい時間帯には夫が娘を連れ出してたっぷり外遊びをして、汗まみれで帰ってきて一緒にお風呂に入る。娘も夫も幸せそうに仲良くはしゃいでいた。
  信じられないくらい穏やかで、絵に描いたような素敵な夏の時間だった。
  それだけに、日々膨らんでいくお腹がモラトリアムの終わりを告げているような気がして、里帰りでの生活や産後の暮らしを思うとどこかで気持ちが塞いでしまうのだった。わたしはなんで2人目を産むことにしたんだっけ? 娘1人だけで暮らしていればこのまま穏やかな生活が続くのに。また予測不能な変数が生活の中にひとつ増えることに心がざわつく。
  よく言われる「きょうだいがいないなんてかわいそう」という言葉。これは親や親戚、またはスーパーで話しかけてくるおばあちゃんなんかにも本当に言われる。そろそろよね、1人だけじゃかわいそうよ。そうですねぇと答えつつ、内心同意したことなんて1度もない。わたしには兄が1人いるが、特に仲が良くもなければ悪くもなく、正直いなかったとしてもそんなに困らない。きょうだいがいてよかったかどうか、というのは人によって異なるから、「いないとかわいそう」なんて常識みたいに言うのはどうなんだ? と思う。
  だから、娘にきょうだいを作ってあげたい、という動機ではない。欲しいと言われたこともないし。
  夫は2人目を希望していた。というか、5人くらいほしいらしい。それはそもそも嫁選びを間違えている。仕事に邁進することを決めている人がたくさん子どもがほしいと思った時、それはどう考えてもタフなお嫁さんをもらうべきだろう。わたしにはわたしのキャパシティがあり、それを広げる努力はもちろんしているけれど、それが子ども5人分に達することは恐らくないだろう。まあそれくらい夫だってわかっている。でもとりあえず、せめて2人目。家族の構成員をもっと増やしたい、それが彼にとって自然なものごとらしい。
  その気持ちはわからないでもなかった。3歳が近づいてきた娘との生活にも少しゆとりが出てきて、さらに春から幼稚園に入れることが決まって、じゃあわたしはどうするのか……と考えた時、もう1人育てておきたい、と思った。別にまたあの産後のぎりぎりの生活がやりたいわけではないし、もう一度産まれたてほやほやの赤ちゃんを抱っこしたいな、とも思っていない。でももう1人くらい我が家に新メンバーがいてもいいような気がする。その方がしっくりくる。怒られそうな話だけれど、そんな漠然とした感じなのだった。
  娘について言えば、物理的に手のかかる時期はとりあえず乗り越えた。ご飯だって座って一緒に食べられるし(遊び食べをたしなめながらだけど)、夜通し眠ることもできる(寝かしつけはいるけど)。けれど2人育児となると、それはもう想像できない世界だった。えっと、どうやって寝かしつけとかするの?
  娘が赤ちゃんだった頃、わたしの生活は常に赤ちゃん中心に回っていた。ある程度のスケジュールに沿って授乳しお昼寝をさせていたのと、娘自身も穏やかな性質に生まれついていたおかげだろう、娘は早い段階からよく眠り夜泣きも数えるくらいしかなかった。おかげで夫が単身赴任状態での1人育児もどうにか成り立っていたと思う。
  けれど2人目は、どうしたって娘の生活に振り回されることになる。そしてその子自身が娘のように穏やかな性格だとも限らない。
  少なくともしばらくの間は眠れなくなること、自分の時間が取れなくなること。それが一番心にのしかかる負担だった。もちろん世の中もっと厳しい2人育児(あるいはもっと多人数の育児)をしている人はいくらでもいるんだけど。
  でもわたしは結局妊娠することを選んだ。というか、選んだのは子どもを持つという意思だけで、2人目ができるかどうかだって確かなことではなかった。選択肢を持てたことも、その結果妊娠できたことも、きっと幸運なことのはずだ。

  1人目の産後で覚えていることがある。
  娘は生後0ヶ月で重い病気にかかり入院した。わたしは産後の睡眠不足や体力不足、思いつめすぎる性格が重なり産後うつにかかっていた。
  娘の入院期間は長く、夫や家族からこれを機会に少し娘から離れて休んだ方がいいと勧めてくれて、娘の容態が落ち着いてからは隔日で看病に通っていた。娘から離れられることにほっとする反面、わたしは母親なのに離れてほっとするなんてひどい、と落ち込んでは1人で泣いていた。
  そんなわたしを、週末に実家までやってきた夫が夜のドライブに連れ出してくれることがあった。外食をしたり温泉施設に行ったりと息抜きする時間を作ってくれる。わたしは母親として何もしていないのに……と後ろめたさを感じながらも、連れ出されるままになっていた。
  まもなく娘が退院すると決まった日の夜、わたしはやはり夫が運転する隣の助手席でぼんやりと座っていた。小雨が降っていて、フロントガラスに映る信号の光が雨粒にぼんやりと滲んでいるのを、ワイパーが時折拭い去る。うまくものを考えることができない中、心臓だけがどきどきと鳴っていた。わたしは今、娘から離れている。熱も下がりあとは一定期間の抗生物質の投与さえ終われば退院できることになった娘は、夜の病室で1人で寝かされていた。ミルクは看護師さんがあげてくれる。わたしは母親だから本来ならばずっと側にいるべきなのに、娘と2人きりになることが怖くて怖くて堪らないのだ。実家のベビーベッドが置いてある部屋に入ることさえ怖い。そこに娘はいないのに、なぜか不安で動悸が止まらなくなる。どうしてこんな風になってしまったんだろう。
  真顔のまま、涙があふれてぽろぽろとこぼれていった。体内でアラートが鳴り続けている。娘の心拍モニターが警告を示した時と同じ音だ。娘から離れていることを思い出すたびに頭の中でそれが大音量で響き渡る。怖い。わたしは間違ったことをしている。誰もそれを表立っては責めないけれど、本当はみんなが心の中でわたしを責めているに違いない。だってわたしは責められて当然のことをしているのだから。
「どうして泣いてるの?」
  わたしの様子に気づいた運転席の夫が訊いた。わたしはほろほろと溢れる涙を拭きもせずに説明した。アラートが鳴っている。わたしは間違っている。怖い。
「そんな風に感じるんだ。それはキツイな」と夫は答えた。
「夫くんは、そんな風には思わない?」
  わたしが訊ねると夫は当然のように答える。
「思わない。娘は熱も下がってお医者さんはもう大丈夫、と言った。抗生物質が投与されている間は入院してなくちゃいけない。病院が夜は付き添わなくて大丈夫と言ってくれてる。ミルクはプロの看護師さんがきちんとあげてくれる。モニターがついていて、なにか異変があればすぐ気づけるようになってる。病院はいま娘にとって一番安心で必要な場所。つばきちゃんにいま一番必要なのは、娘から離れて休む時間。それができる環境がある。だからなにも問題ないよ」
「本当に? わたしは母親なのに間違っているって思わない?」
「僕は父親だけどそうは思わない」
  夫がそう言うならそうなのかもしれない、と少しだけ思った。それでもアラートは鳴り止まない。自分は間違った生き物なのだと責め立て続けている。
「わたしと結婚したこと、後悔してない?」
  わたしが訊くと、夫は驚いた様子でこちらをちらりと見た後、言った。
「なんでそんなこと訊くの?」
「だって、わたしがきちんとしていたら、こんな風にはならなかった。娘の病気のことじゃなくて……もっと普通の人なら、産後にうつになんかならずにちゃんと子育てできた。こんな風に泣いたりせずに普通に入院の付き添いもできた。夫くんも仕事が忙しいのに毎週飛行機で来て看病ばかりしなくたって済んだ。こんなにみんなに迷惑かけなかった」
  夫は毎日のように日付が変わるまで働いて、土日にもパソコンを開いて数時間仕事をする。その合間に家のことをこなし、土曜の朝には飛行機に乗ってわたしの実家までやって来る。その夜は病院に泊まり夜中に2回ほど起きて娘の授乳をし、日曜にはわたしと過ごし、月曜の朝早くにまた飛行機で戻っていく。そんな生活をもうひと月近く続けているのだ。疲れていないわけがない。両親だって、娘の看病を手伝ってくれる分普段よりずっと負担が増えているはずだ。
  それなのに子育てさえ周りのようにできない自分がみっともない。全部わたしのせいだ。
  そう言って泣いているわたしに、夫はふふっと笑った。
  そこで笑われることを想定していなかったわたしは戸惑った。
「それはつばきちゃんの考え方だね。僕はそんな風には考えない」
  運転を続けながら夫は言う。
「もちろんもっと時間が経って、いつまでもできないできないって子育てを放棄してたり、やる気がなかったりしたら話は別かもしれないけど。いま、一生懸命やってるんでしょ。それでうまくいかないことがあったって仕方ないし、みんなでどうにか乗り切ればいい。看病だって僕がやりたくてやってる。最初から1人でなんでもできればそれが一番かもしれないけど、そうじゃないからと言ってそれがダメだとも思わないよ。
  つばきちゃんがすべきことは、1人で完璧にやることじゃない。1人でできないことがあるなら、できないことを表明して誰かに助けを求めること。それで娘がある程度健康に生きてればなんの問題もないよ。あ、今回みたいな突発的な病気はまた例外として。
  今は娘も回復に向かってるでしょ。なんの問題があるの? 僕は今、つばきちゃんのせいで自分が不幸な目に遭わされてるなんて全く思わないんだけど」
  夫の言葉が脳内に染み込んでいくのには少し時間がかかった。この頃はなんでもそうだ。頭がぼうっとして周回遅れでしかものを考えられない。
「わたしの認知には歪みがある?」
  短く訊いた。夫は頷いた。
「あるね」
  夫の言葉を信頼するならそうなるのだろう。そしてこの人はわたしがこの世で最も信頼している人なのだ。
「僕は今幸せになる過程にいると思ってるよ。娘の病気も治りつつある、かわいい奥さんもいる、もう少ししたら3人の生活が始まる。幸せに決まってる。2人でいたってめちゃくちゃ楽しかったでしょ。そこにかわいいかわいい子どもが産まれたんだよ。3人でいたらもっと何倍も何十倍も楽しいよ、楽しいに決まってるじゃん! だから子どもを作ったんだよ」
「そうなの?」
  わたしはびっくりして訊いた。生後1ヶ月の赤ちゃんを死なないように育てる日々の重圧が重すぎて、まず幸せかどうかなんて考えたこともなかった。この子がいる限りわたしは満足に眠ることもできない。彼女はわたしにとって重すぎる荷物で、そう感じてしまう自分に後ろめたさを抱えていた。先が楽しくなる可能性なんか少しも見えない。でも、夫は違うものを見ているらしい。
「当たり前だよ、幸せに決まってる」と、夫が迷いなく言った。
  そうなんだ。この人はもう幸せになることを決めているんだ。たぶんそこでなにが起きたって、家族で幸せに暮らすと決めている。無責任に言っているわけじゃない。そのためにするべきことごあればどんな重圧でも背負うのだろう。それが幸せになるということの本質なのかもしれない。それは漫然と与えられるものごとではなく、覚悟の上で作っていくことなのだ。
  楽しくなるのかな。わたしもその世界を見てみたいな。今はぜんぜん信じられないけれど、もし本当にそうなるのなら、なんて素敵なんだろう。
   膝の上で拳を握ったまま、わたしはしばらく声をあげてわあわあ泣いた。夫は黙って運転を続けていた。ひとしきり泣いたあと、少し脱力して笑った。なんだかすっきりした、と言うと夫はよかったねと微笑んだ。頭の中のアラートは鳴っていなかった。また鳴ることもあるだろうけれど、それも少しずつ止んでいくはずだった。


  2度目の産後を無事に迎えられたとして、わたしが夫のように鮮やかに、幸福だけを見つめて過ごせるとは思えない。きっと眠たくていらいらするとか、思うように自分の生活ができないとか、事あるごとに不満を覚えるだろう。それは仕方ない。第一、実際に睡眠不足や生活の不自由の大部分を引き受けるのはわたしなのだ。
  でもわたしはもう知っている。赤ちゃんだった娘を抱いてずっと一緒にいたあの頃、悩むことも泣くことも疲れきることもあったけれど、小さくて温かい身体を抱いていると胸がぎゅっと震えるくらい愛しくなること、ふとした笑顔に全幅の信頼を寄せられているのを感じて思わず泣いてしまうこと。そして毎日毎日の忍耐、消耗、自制、そういうものをちっとも理想通りに制御できないことに自己嫌悪して泣きながら、地味で報われないような生活の全てをくぐり抜けて、いつのまにか両手のひらには堪らない幸福の記憶が染み込んでいた。娘を抱きながら何度も途方に暮れたことばかり覚えているのに、手に残る小さな頬を撫でた感触や、泣いている娘を抱き上げた重みは、どこまでも甘いのだ。
  自分の心の中に、こんな場所があるなんて知らなかった。それは娘がくれた新しい世界だった。でも気がついたらここに居たわけじゃない。家族というかたちがまずやってきて、夫や娘と、なによりわたし自身が必死でもがきながらその屋台骨を作り上げて見つけた場所なのだ。
  家族って不思議だ。わたしをこんなところまで連れてきてしまった。
  また見てみたいだけなのかもしれないな、と思う。3人から4人に増えた家族の内側から、自分がどんな新しい場所を見つけられるのか。まだ知らない種類の幸福と葛藤を。母親としての自分と、母親の枠に収めきれない自分自身を。そこでどんな匂いを嗅ぎ、どんな色の光を見出すのか、行ってみなければわからないから。

 


  

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