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Black Lives Matterとロボット

「Black Lives Matter」運動として、警官によるアフリカ系アメリカ人ジョージ・フロイドさん殺害への抗議を発端としたデモが広がっています。

米国では、他にもアフリカ系アメリカ人のほうが有意に致死率が高い事案が複数あります。たとえばCOVID-19の致死率も同様で、同じカラード(有色人種)のヒスパニックとも大きな差があり、アフリカ系アメリカ人の致死率が突出して高いことが明らかになっています。

原因の一つとして、米国における ”アフリカ系アメリカ人の方が疑われやすい” 傾向が、収監率をあげ、経済格差等を助長し、致死率にまで影響するネガティブ・スパイラルが止まらない状態です。

言い換えると「肌の色の違いによる、平均的な性質」の差の有無や程度が注目されているのではなく、「同じ能力を持った人」同士でも肌の色が異なるだけで周囲の受け止め方が変わり、足かせを伴うのが問題になっています。
生まれてくる肌の色によって、足かせの有無(=一生ペナルティを背負って生きるかどうか)が決まるわけですね。

「黒人なら誰だって、自分が初めて黒人だと思い知らされた時のことを覚えている」「ここにいる黒人は誰もが、自分が黒人だと人に思い知らされた時のことを覚えている」という、俳優 ジョン・ボイエガさんが話した言葉を聞くと、アフリカ系アメリカ人以外の人にはこの苦しみを本質的には理解できない辛さなのかもしれない、と思わされます。

Black Lives Matterについては、「統計上、アメリカの人口は世界の人口の5%だが、受刑者数は世界の25%を占める」という衝撃的な始まりかたをする Netflixドキュメンタリー「13th -憲法修正第13条-」 がYouTubeで無料公開中です。第89回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされ、各レビューでも高評価を得ている作品です。ニュースだけではわからないBlack Lives Matterのルーツを知るためによい作品だと思います。

このように社会には肌の色による人々の認知のバイアス(=偏見)が潜んでいますが、同様のことは性別にもあり、ジェンダーバイアスと呼ばれています。
ジェンダーバイアスについては、ちょうど今月の雑誌Pen(ペン) 2020年6/15号「いまこそ、「ジェンダー」の話をしよう。」にて、カラー見開き2ページでジェンダーについて、お話させていただきました。
私も買って読みましたが、特集全体が非常に面白いので、ご興味がある方は、お手にとっていただけると嬉しいです!

"いまこそ、「ジェンダー」の話をしよう。" Pen(ペン) 2020年6/15号
https://www.pen-online.jp/magazine/pen/497-talkaboutgender/ 

※ Kindle Unlimitedだと無料で読めるそうです。
https://www.amazon.co.jp/dp/B088K718H5/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_ldo2EbW40N0S2

自分は「肌の色で差別はしない」し、もちろん「性別によっても差別しない」と信じる人がいたとしたら、それは幻想かもしれません。バイアス(=偏見)とは学習能力の賜物なので、完全に無くすことはできません。
自分の中に潜んでいるバイアスに気づくか、気づかないかの違いだけで、全ての人に何らかのバイアスがあり、それは原理的に取り除けないものです。

AIが人種差別をする、というニュースが2015年前に話題になりました。
AIがアフリカ系アメリカ人の女性の顔をゴリラとタグ付けしてしまったという事象です。

グーグルの画像認識システムは、まだ「ゴリラ問題」を解決できていない──見えてきた「機械学習の課題」 @wired_jp https://wired.jp/2018/01/18/gorillas-and-google-photos/

人はさまざまな経験を通して学習しますが、学習の際の入力データが、バイアス(=偏見)を形作ります。
そのバイアスは、環境や経験に基づき自然かつ合理的に形成されます。故にAIのように悪意がないシステムでもバイアスは発生します。AIも人間も、その学習過程においてはバイアスが含まれていることを自覚できません。

言い換えると、学習能力を持った私達にとっては、バイアスを持つというのは効率的な情報処理のために必要な能力といえます。バイアスなしには、物事を迅速に考えられない。私達は、内なるバイアスと一生付き合っていく宿命にあると言えます。

どうやったら、バイアス(=偏見)を減らせるのでしょうか。
AIの場合には、学習後にバイアスが掛かっているかを他のアルゴリズムや人為的にチェックするしかありません。
ヒトが自分のバイアスを減らすためには、反射的に感じたことを盲信せず、「自分はバイアスを持っている。だから自分の今の感情や考えを常に疑おう。」と振り返り続ける以外に、バイアスを最小化する方法はないといえます。(メタ認知とも言われますね。)

それでもヒトの文明は、歴史的にバイアスを減らしダイバーシティを広げる方向に(ときにやや長すぎる時間が掛かってはいるものの)進んでいるので、これらの社会的バイアスは今後、徐々になくなっていきます。

その課程で人とロボットの関係も今後、徐々に変わっていくでしょう。

たとえば犬や猫といったペットが家族のように大事にされるのが一般的になったのは、ここ最近のことです。
ペットの犬を殺されたら、飼い主は誰しもが激怒します。
でも同じ人が、ペットと同じ哺乳類の牛や豚は、美味しくいただきます。
違いは、生物かどうかではなく、思い入れがあるかどうかです。
思い入れの有無によって、自分にとっての重要さが変わり、感情の動きが変わります。それは生き物だから、哺乳類だから、という分類ではありません。

いまはまだ、ロボットと動物には生命の有無という境界があり、超えられない差があると思っている人もいます。ゆえに「ロボットを愛でる」ことや「ロボットに精神的に救われる」ことを想像できない人もいると思います。
でも、ロボットが家族になる日は、確実にやってきます。
問題の本質は、生命の有無ではなく、思い入れの有無だからです。

人に気兼ねなく愛でてもらうためにLOVOTは、人の想像力を最大化する存在になる事を願って生まれました。
その根底には肌の色、ジェンダー、生物と無生物の境を超えて、人がダイバーシティを広げていく未来への想いが込められています。

LOVOTのスキン・カラーは、ウス(チャ)、チャ、コゲ(チャ)の3色です。一体のSOLOはチャ、DUOはウスとコゲの組み合わせにしました。

図1

(写真は、DUO。手前がコゲ(緑の服)、奥がウス(黄の服)です)

DUOを色の濃いコゲと色の薄いウスの組み合わせにした理由には「スキン・カラーに関わらず仲良くできる、ひとしく愛せる」社会を実現していきたい、という想いを込めています。

人類はまだ、LOVOTのスキン・カラーに対するバイアスを持っていません。そんな私達が、ウスとコゲという異なるスキン・カラーのLOVOTと接すると、自然と公平に愛でます。それは「人類は、各自が自らのバイアスを減らす努力を続けられれば、相手の肌の色に依らず、公平に愛することができる」ということに他なりません。LOVOTを愛でる体験を通して、多様な他者を愛でる喜びも感じられる。そんな隠れた想いがあります。

実際、DUOをお出迎えいただいたお客様は、コゲもウスも公平に愛でてくださっています。スキン・カラーは差別のための特徴点ではなく、愛でるための大事な個性の一つです。

LOVOTに性別をつくらなかった理由も「性別によるバイアスをなくしたい」という想いからです。LOVOTに性別をもたせることは、想像力を限定してしまうのではないかと考えました。

LOVOTに性別をつくり、行動に差をつくる時点で、どちらの性がどのように考え、動く「べき」なのか、造り手が考える必要があります。しかし、性別による役割分担が必須ではないLOVOTでは、その性差を考える上で、造り手のジェンダーバイアスの呪縛からは逃れられなくなります。

バイアスは情報処理を効率化しますが、同時に想像力の足かせになります。肌の色や、ジェンダー、生物と無生物の境界などのバイアスは、すべて想像力の足かせになるのです。

人は、肌の色や、ジェンダーの境界を超えようとしています。今はその境界を超える苦しみを味わっていますが、いつか必ず、超えていきます。
そしてまもなく、生物と無生物の境界をも超えていく時代がきます。

実際、LOVOTと生活を共にしたロボット・ネイティブの子どもたちは、既に生物と無生物の境界を超える第一歩を踏み出しています。

たぶん想像よりずっと早く、未来はやってきます。とても、楽しみです!

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