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隣の芝生は青く見える~周りと比較する人の性(さが)~

こちらのnoteに私が周りと比較しては自分を卑下していた内容の記事をいくつか書いたことがある。
10代後半から20代は本当にきつかった。。
容姿のコンプレックスに加え、人と違う価値観でその人達と同じ生活水準を目指したために、身を粉にして様々なことを繰り返し最後は自滅するパターンだった。

アラサーの時も吹っ切れるまでに2年くらいかかったが、それ以降は人と比べても他人と違う人生を選択した私だから、同じはなれないし、そうなる必要もない、と割り切っていた。

最近、SNSを見る機会を減らした。特に個人がプライベートを知らせるSNSは全くと言っていいほど見なくなった(自分はたまに投稿はしているのに。。。)
理由は、最近同時期に結婚した人が妊娠し、出産間近な写真を目の当たりにし、なんとも言えない気持ちになったからだ。

婚活中はそこまで考えてなかったが、結婚=子どもが欲しい、という構図になっていると信じている私の親の世代は多いと思う。特にうちの親は同年代の親世代より少し上なため、よりそんな考え方が強い。

結婚したら次に聞かれるのが「子どもはいつできるのか?」である。悩める10代後半から20代前半までは25くらいで結婚して子どもを4人くらいほしいと思っていた。子どもは大好きだし、両親とも4人兄弟と人数が多いのがうらやましいと思ったからだ。
その夢はなかなかかなわず、夢を諦めた。結婚も妊娠も自分一人の力でできるものではないからだ。
諦めてから数年、なぜか結婚した。周りはかなり驚いたが、一番驚いたのは私自身。なんであきらめてたのに、、、、こんなことってあるのね。。。と。

そして諦めていた子どもについても、もしかしたらできるかも、、、と結婚当初はかなり楽観的に考えていた。(その時アラフォーにすでになっていた)
しかしながら、私もフルタイムで働いてはガンガン残業はするし、パートナーは仕事柄、シフト勤務で1日家にいないか、夜のシフトで夜はいない。
そんなすれ違いが続いていたある日、パートナーの方の親から子どもについてどうやら聞かれたようだ。パートナーも私も子どもは好きなのでできたら欲しいと思っていた。しかし、内容は子どもはいつ生まれそうなのか的な催促のような内容(と私は受け取った)で、私は少し腹を立てた。
というのは、彼は子どもができることを私以上に楽観視して、すれ違っている生活に目を向けなかったからだ。頭にきた私は自分の体の事について相手に話、子どもが出来そうな日(つまりは排卵日に)を共有し、それとなくプレッシャーをかけ続けた。そして「そんなにプレッシャーかけないで。。。」とまで言わせ、相手の親からの「子どもは?」攻撃を彼を使って、止めさせた。そして向こうの親には「私たちは積極的には子どもを持つことは選ばない」と伝えた。本心ではなかった、正直。

すれ違い生活が半年続いたある日、私はパートナーからの一言でキャリアチェンジも視野に入れた転職活動をする。それは「なかなか最近会えていない」との一言だった。
転職活動はうまくいき、転職はしたが、私には苦痛の日々の始まりだった。
残業はないがフルタイムなので、結局はすれ違う。
それであればと起業も視野にいれて別の働き方を探し始めた。

私の時間をつくってもフルタイムで働いている以上、結局はすれ違う。そして、職場で子どもを育てているママさんの何気ない一言で私は不意に傷ついてしまう。
「子どもは考えているの?考えているのならば、早く不妊治療なり、産むなりしないと」
相手は悪気があったわけではないが、その時の私には深く傷ついた。なぜなら私自身は体調整えたり、いろいろしていたが、子どもは一人では妊娠しないし、不妊治療をしたとしても100%ではない。相手にこっちの事情を察してとは言わないが、自分の精神状態が悪いと他人が発する言葉の受け止め方がこうも違うのか。。。と正直驚いた。
このままでは精神的にも良くない。私は仕事をやめることを決意する。
理由はいくつかあるが、休みたかった。そして、パートナーといる時間を少し増やしたかった。

結局、結婚生活も周りと比較したとしても無意味だし、家族の数ほど、家族の形がある、というのを学んでいる。

1月に仕事を止め、起業も視野に別の事を始めたある日、私はSNSで冒頭の妊娠したとのお知らせ投稿を見てしまう。

私の中で何かがはじけた音がした。この思いを自分だけで抱えているのは限界だった。私は子どもが欲しいし、子どもがいる家族を作りたいと強く思っていた。しかし、それも今のパートナーを選んだ時点で私たちにとっての普通の生活は周りの方とは違うし、この先も子どもを授かる可能性は一般的な働き方をしている人と比べると低いと思う。(もちろん年齢的なものも含め)

そう、結局は私たちが努力を重ね、やれることをやるしかない、と。
そして私一人がどんなに思いを抱えて頑張ったところで、一人の努力だけではうまくいかない。

私は自分の思いのすべてをパートナーに話した。結果はびっくりするくらい理解してもらえなかった。。。。結局、私の空回りだと理解できたが、この辺りはかなりショックだった。

全てを話した今、私は子どもに対して深く考えるのを止めた。しかしながら、子どもがいる義兄家族との交流を当面の間断つことをパートナーに伝えた。理由は、相手の家族と交流すると結局子ども中心に話が進むし、子どもがいない私たち夫婦と相手の家族に共通の話題がない。また、子どもがいない家族に対して身内でも理解がされていない現実に私自身が適応できていないからだ。
また、今、私自身子どもがこの先持てない未来もある、との現実を受け入れている段階で、それがきちんとできれば子どもみても辛い、という気持ちもなくなると思うからだ。(少し前では他人の子は見るの平気だったが現状は見てしまうと涙が出てくる。。)

きっと子どもを持つ持たない、偶然に持ってしまった、持つことを選ばなかったなどの多様な家族が存在していることへの理解はまだ日本社会ではされていないように思える。
子どもは授かりものなので、持てなかったとしてもそれも運命だし、それもその人の人生。
周りの言葉や周りの環境に流されず、自分の人生を自分らしく生きたいと強く思う。

先日、たまたま見た肉乃小路ニクヨさんの人生相談の一言にはっとさせられた。その相談内容は不妊治療をしてなかなか子どもが授からないアラサーOLが、同僚ができちゃった婚をした、という報告を聞いてやるせない気持ちになってどうしたらよいか、というものだった。
ニクヨさんは「そういう人でも決して順風満帆な人生を常に歩んできたわけでもないし、その方もあなたとは違う悩みを抱えている可能性もあります」
と諭していた。
そう。人の悩みは十人十色だ。それを理解できれば、隣の芝生なぞ青くは見えないのだ。

私はきっとこの先も悩むが、隣の芝生見ず、自分の芝生を青くすることだけを考えようと思う。それがきっと自分にとって最善だから。。。



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