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結婚指輪の話

結婚して3ヶ月、結婚指輪が完成した。
制作は岡山県総社市郊外にある小さな指輪屋さん「Ryokuu」の文屋さん。
一生大切にしたいと心から思える素晴らしい指輪を作ってくれた。
その思い出を文字にして残しておきます。

***

超スピード婚で、指輪も何も決まってなくて、どうしようかなーとふたりでもやもやと悩んでいた。
ふたりとも指輪をつける習慣がなかったし、デザインについても価格についてもどこでどんなものが買えるのかも何も知らなかった。
あんなのが良いとかこんなのが良いとか、話すたびに内容が変わって、何も決まらないまま時間が過ぎていった。

ただそんな中、ふたりで一貫して一致していたこともある。
一生物の買い物になるので中途半端な妥協はしないということ、かと言ってあまりに高価だと困るということ、そして、眩い照明の輝くキラキラしたジュエリーショップで、指輪販売のプロフェッショナルとしてしっかりとした教育を受け、専門性の高い知識と優れた接客技術を持ち、ビシッとスーツで決めたスタッフの方々からセールストークを聞くのは絶対に嫌だということだった。
キラキラなお店に入るだけでHPがゴリゴリ削られるし、店員さんのトークの独特なトーンを聴くとメンタルが持っていかれることが明白だったので、出来ればそういうお店には行きたくなかった。

とはいえ、そういうお店じゃないところで結婚指輪って買えるの?という根本的な疑問の答えを我々自身は持っておらず、「岡山 結婚指輪」とかでググってもキラキラなお店しか出てこず、ただただ途方に暮れるのみだった。

指輪が無いまま始まった新婚生活は、それはそれで十分に楽しく幸せだった。
でもやはり指輪のことは頭の片隅でブスブスと燻っていた。

そんなある日、妻に連れられて総社でエステを受けることになった。
それはとても新鮮で良い体験だった。
エステを終えて、インダストリーという有名なパン屋で昼食を買い、近くの公園で食べた。
(正確には、とても寒かったので公園の駐車場で車の中で食べた。)
それから、せっかくなので総社の街を散策しようということになり、商店街通りという地域を散歩した。
古い街並みの中に、新しくできたであろう小さくてお洒落なお店が点々と混ざり、とても独特で良い雰囲気を纏っていた。
その途中、ふらっと立ち寄った神社にベンチがあったので、少し座って休憩した。
そのとき妻がふと「指輪屋さん無いかな?」と言った。
お洒落で独特な街なので、お洒落で独特な指輪屋さんがあるかもしれない、と思ったようだ。
僕は大いに疑問だった。
確かに総社は独自の文化を発展させつつあり、お洒落で独特な雰囲気を漂わせてはいるが、それでもまだまだパッとしない田舎町には違いなく、そんな街に指輪屋さんがあるとは到底思えなかったからだ。

そんな僕の疑問をよそに妻はスマホで検索を始めた。
そしてRyokuuを見つけ出した。

ウェブサイトを見てふたりして「ここだ」と思った。

すぐに車に戻り、Ryokuuを目指した。
途中コンビニに寄ってトイレに行って出てきたら目当てのお店が予約制だということに気付いた妻が少し困った顔をしていた。
妻が電話をかけるとすぐにつながり、今なら空いているとのことだった。
この時点で、これはもうここで決まる流れかな?とちょっと思った。

Googleマップに導かれ、期待と不安を乗せて車を走らせる。
小さな看板があった気がしたが、あまりに細い道だったので通り過ぎてしまった。
少し先で誤りに気付き、Uターン。
さっきスルーした細い道に進入する。
小型車でよかった、と思った。
道の先には広い駐車場と大きな看板があった。
お店らしい外構はない。
代わりに、ついこの前までありがちな日本家屋でした、といった風貌の建物があり、その前にふたつ、大きくてヴィンテージ感のある革のソファが並んでいる。
駐車場からはそこに向かって小道が伸びている。
お洒落で独特な、ただならぬ雰囲気を漂わせる空間だった。

入り口と思われる引き戸はものすごく滑りが悪く、重くて硬い。
鴨居は異常に低く、肩の高さくらいしか無い。
勇気と腕力を振り絞って戸を開ける。

屈みながら鴨居をくぐる。
まず感じたのはブルーベリーのガムのような甘い香り。
6畳ほどの小さな部屋。
外に並んでいるのと同じような大きなソファがふたつ、たくさんの指輪が並んだディスプレイ式のカウンターテーブル、独立したディスプレイケースがふたつと、壁に飾られたいくつかのアクセサリー。
所々に塗りむらのある漆喰の壁、古い木の柱、構造が露出した天井。
初めて入る空間への緊張感、どこか懐かしさを感じる居心地の良さ。
美しいアクセサリーが古民家の狭い一室に並んでいるというミスマッチが生み出す独特な高揚感。

店主と思われる男性が、どうぞどうぞ、と出迎えてくれた。
使い込まれた革のエプロンに、明るい茶色でくるくるにパーマのかかったヘアスタイル。
職人さんというよりはアーティストというイメージに近い。

促されるままにソファに座ると、紅茶を淹れてくださった。
珈琲が苦手な我々夫婦にはとてもありがたかった。

僕と妻は代わる代わる、先述のような指輪にまつわる事情や心情を話した。
店主の文屋さんは、丁寧に話を聞きつつ、職人さんのイメージを覆すような軽妙なトークで何度も僕らを笑わせてくれた。
僕らはふたりしてあっという間に文屋さんのファンになった。

指輪のことを何も知らない、何のイメージも持たない僕らに、いろんな指輪を試着させ、好みを絞っていく。
たくさんの指輪を目の前に置き、妻と僕がその中からそれぞれ好きなものを選ぶ。
また次のたくさんの候補が出てきて、その中から好きなものを選ぶ。
それを何度か繰り返して、自分の好みに近いデザインのものが目の前にいくつか並ぶ。
選ばれたいくつかの指輪を見比べながら、この指輪のここがいいとか、形はこれで表面の仕上がりはこれがいいとか、そうやってだんだん理想の形を見つけ出す。

この辺りで一度、あれ?買うか買わないかじゃなくて、すでにここで買う前提で話進んでるな?と思ったけど、他の店で買うという選択肢はとっくに消え失せていた。

たくさん話をして、最終的にふたりともが納得するデザインにたどり着いた。
そのプロセスは大変満足のいくものだった。

ここで妻が、僕の母から贈られた古い指輪を取り出した。
ゴテゴテとしたバブリーな装飾で、どう考えても今時のデザインでは無い。
ただ、綺麗な宝石が使われているので、それを活かして指輪以外のアクセサリーに出来ないかと相談した。
文屋さんはそれについても様々な提案をくれた。
そして、とりあえず磨いておきましょうと言って、その指輪を持って店の奥の工房へと入っていった。
数分後、戻ってきた指輪は見違えるほどの輝きを放っていた。
それを見た僕は、その指輪を潰してしまうのは惜しいという気持ちになった。
それは妻も感じたようで、その日は一旦そのままの形で、美しい輝きを取り戻した古い指輪を持ち帰ることにした。

指輪の大体の完成予想日を確認して、お願いしますと言ってソファから立ち上がり、重くて固い扉を開ける。
文屋さんは外まで一緒に出てきて、車であの細い道を通り過ぎて姿が見えなくなるまでお辞儀して見送ってくれた。

帰りの車の中では、Ryokuuがいかに素晴らしい空間で、文屋さんがいかに素敵な人か、夫婦でテンション高く話した。
偶然の出会いに誰にとも何にともなく感謝したし、総社で指輪屋さんと突拍子もなく言い出した妻の直感力に敬服した。

1ヶ月ほどが過ぎ、サイズ確認の準備ができたと連絡があった。
再び総社に向かう。
サイズはふたりともぴったりで、特に直す必要もなく次の行程に進めそうだった。
この時に、僕の母が妻に贈った古い指輪を、妻のサイズに合わせる修理も依頼した。
結局あの形のまま、サイズだけ合わせることにした。

その日は帰りにロジックというパン屋に寄った。
Ryokuuよりもっと狭く小さな店だったが、パンは本当においしかった。

そして昨日、出来上がった指輪を受け取りに行った。
完成した指輪を眺め、内側に彫られた自分たちの名前や記念日の刻印を確認した。
理想通りの仕上がりに感動した。
文屋さん自身も、よく出来たと嬉しそうだったので、こちらももっと嬉しくなった。
ふたりで指に着け、互いにいいねいいねと褒め合った。
母から受け継いだ古い指輪も、より一層磨き上げられ、サイズも妻にぴったりと合い、新しい命を吹き込まれたかのようだった。

店の扉は相変わらず固くて重かった。
この扉を開けるのも最後かと思うと寂しい気持ちになった。
お店の前で写真を撮ってもらった。
文屋さんの写真も撮らせてもらった。
ほんとは3人で一緒に撮りたかったけど、その場に自分たちしか居なかったので断念した。
店を去る時、文屋さんはまた最初のときと同じように、見えなくなるまで見送ってくれた。

完成した指輪は、ずっと前からここに居たかのように、指に馴染んでいる。
僕も妻も、自分の手と相手の手を定期的に眺めては悦に入っている。

総社という近くて遠い、古くて寂れててちょっと新しくてちょっとお洒落な街で、指輪屋さんらしからぬキラキラしていないお店で、職人さんらしからぬ明るく楽しい人に創ってもらった指輪。

一生大切にしたい。
心からそう思える宝物になった。

この時間と体験を提供してくださったRyokuuの文屋さんに改めて心から感謝したい。

そして、この喜びと幸せを共有できる妻にも。
ありがとう。

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