見出し画像

こんな親と子じゃ POISON 〜学校エッセイ31 毒親について〜

「毒親」という言葉が、いつからか在る。

親との関係に苦しんでいる子どもはそういう本を読み、結構早くこの「毒親」というワードに辿り着いていたりする。

でも、「さぁ、毒親になろう、毒親でいよう!」と思ってそうしている親は少ないのではないか。そういう親は、自身が子どもの頃に自分の親から同じような扱いを受けていた、という場合も多いようである。

親に代わりはいないから、子どもは、一生懸命に親を愛そうとする。けっこう苦しめられているでしょ? と思う子どもが、「でもいい所もたくさんあるし」と親を庇ったりする。そして自分の苦境を隠す。

子どもが隠しているのにこちらが気づいてしまうのは家庭の問題が大きいからで、表面化せず学校が把握していないケースも多いであろう。警察もそう簡単には踏み込めない。親の社会的地位が高いため、警察が丸め込まれた形になったこともあると聞いた。子どもも施設に行きたい訳ではないから、自宅に戻って我慢する。

そういう親御さんの多くは、「自分の理想を子どもに押し付ける。道を示し、そこを無理やりに進ませようとする」。子どもはその言うことを聞き続けてしまい、どこかで爆発する。

三者面談で、子どもにしゃべらせない親もいる。大きな声で一方的に子どもを悪く言ったり(「ディスる」という正しくない日本語がかなりピッタリくる)、妙にハイテンションで子どもの進路についてしゃべり続けたり。

成人して法的に親と縁を切った者も知っている。

親のケアがまず必要なのだと思う。いわゆる発達障害や精神疾患がそこに在る場合もある。

「自分は親に、『何でお前だけ、そんなこともできないのか』と言われ続けて生きてきた。大人になり病院に行って発達障害だと言われてホッとした」と言った子がいる。彼女は仕事では有能だが、洗濯機の使い方が身につかない。親にそういう障害がないとも限らない。「グレー」の場合、日常生活を乗り切ってきているので、自分の性質に気づけないのだ。気づこうとしない、気づきたくない場合もあるだろう。もっとも「中庸」「普通」が何なのかはよく分からないが。

私にはそううつの傾向がある。最近それを自覚したのだが、生徒の親の、「何だかちょっと様子がおかしいな」と思った言動。今思えば、私と同じ症状かな、と思うこともある。障害や疾患、気質とは、専門家の助けである程度うまく付き合えるようになる。生き易くなる。

学校は家庭の問題に介入しにくいが、教師が親子の問題について学ぶ、親が育児や自分自身について知るという機会や機関が、もっとあればいいのに、と思う。

「ケーキの切れない非行少年たち」という本を、強く薦めます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?