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今のところの私の思うこと

今日でスリランカ滞在ちょうど2週間です。

字のごとく心を乱されてから10日ほど。
あれからも色々あって色々な面から考えてみました。

いきついたことは、二つ。

お金を払う方ともらう方は対等であること。
私がお金をいただくのはそれに見合った技術をお伝えしているからで
してあげているでも、してもらっているでもない。
同じ立場だし、同じ目線。

ただの物々交換でしかなくって、お金はその中の一つの手段でしかない。
飛行機に乗るのに、ヨガの技術では乗れない。
だから私はお金に交換してもらう手段を使う。
でも時には泊めてもらったお礼にヨガのレッスンをすることもある。

先日泊まったホテル(といってもほぼホームステイ笑)で
家主のお父さんがやたらとフルーツやおやつをサービスしてくれたのです。
うっかり食べたら後でどうせお金を要求されるんだろうなと
覚悟しつつ控えめに食べていました。
結果、要求されたものはグーグルの高評価レビュー笑
そうだよね、お金だして買えないよね。
書きましたとも高評価笑
そしてそういうことなんだとふと腑に落ちたのです。

受けたサービスに相当の対価を支払う。
してもらったから同じ分お返しする。
それだけのこと。

当たり前のことですよね。
誰が上でも下でもない。

私の心が疲弊したのは
自分を憐れんでお金をただ無心してくる人たち
こんなにしてやったのにこれだけかと要求してくる人たち。
同じ目線でなかったことが悲しかったのです。
それど同時にしてもらうことを期待していた自分もいて反省しました。

そしてもう一つ。
私にとっては色々と考え直す良い経験ではあったのだけど
本来はそんな人たちの言動で自分が疲弊するべきではないのも事実。
影響される必要なんてなくって
いつも自分は自分のまま平和でいるべきだったということ。
もちろん自分の非は認めることは大前提として。

心無いひとの言葉に傷つく必要はなくって、それに合わせる必要もない。
それと同じことなんだと思う。
必要であれば、かかわらないで済むくらいの距離をとるべきだし
自分の心の平穏は自分で守らなくてはいけない。
人のせいで自分が嫌な気分になったのではなくて
自分に対しての責任感が薄かったのも否めない。

はじめは必要以上に心をぱっかーんと開いてて傷ついたし
そのあとはガッチガチに警戒して疲れちゃったけど
今はいい感じに力が抜けてきた。
無防備でもなく、力むこともなく相手を冷静にみられるし
リラックスしてNOといえるし、文句もちゃんと言える。

私は私のままで、ただいればいい。
ありたい自分のままで。
私は自分にも人にも、ただただ正直にまっすぐでいようと思う。

スリランカとは明日でお別れです。




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