積善法
積善の家には必ず余慶有り。
積不善の家には必ず余殃有り。
臣にして其の君を弑し、子にして其の父を弑するは、
一朝一夕の故に非ず。
其の由って來る所の者は漸なり。
之を辯じて早く辯ぜざるに由るなり。
易に曰く、霜を履んで堅冰に至ると。
蓋し順なるを言うなり。
(意訳)
善行を積み重ねた家にはさらなる幸福があり、
不善を積み重ねた家にはさらなる災禍が降りかかるものである。
臣下が自分の主君を殺したり、
子が自分の親を殺したりするような事件は、
一朝一夕の短い期間で起こりうるものではなく、
しだいしだいに積み重なった理由があるものであり、
早い内に対処が出来なかったが故である。
霜を踏んで歩く季節の後にはやがて厚い氷の張る季節が来るように、
それは当然のことと言えるだろう。
ごきげんいかがでしょうか、お嬢様修行中の私です。
いきなりの漢文で驚かれた方もいらっしゃるでしょうか。今回は、今年の目標のひとつに掲げていた「積善法」について少しお話ししようと思いますの。
■積善法とは
事の発端は、むかーし中学生のころに読んだなにかの本で(たぶん、占いかスピリチュアル関連?の本ですわ)、運気を上げるための実践法として「積善法」というものを知ったことですわ。
これは、古代中国で奨励されていた「善行を積むことによって少しずつ運気を高めていく」といった実践法で、概念自体はわりと世界中の宗教や修身で見られるものですけども、面白いのは「貧しい民に施しをするとプラス〇〇点」「うそをつくとマイナス〇〇点」といったように、日々の善行・悪行を数値化して計算している点ですの。
長らく記憶の引き出しにしまったままになっておりましたが、ここ数ヶ月の間に、私自身の身に立て続けにラッキーなことが起こった、もしくは危ないところを助かった、みたいなことが起こりまして、そのたびに内心(日頃の行いが良いからですわ……!)と謎に自信を深めておりましたところ、(あら?これはもしかしてあの積善法によるものなのでは?)と思い出したんですの。
これはと思って当時の本を探してくわしく勉強しようとしましたけれども、なにぶん15年以上前の話で、当時読んでいた本をしまったのか捨ててしまったのかもわからず、かといってネットで検索しても、それらしいものが出てこないのです。しかし、たしかに読んだ覚えがあります。「殺人をするとマイナス〇〇点」のあまりのマイナス値に血の気が引いた覚えがありますもの。
そこで、オリジナルを探せないなら、自分で作ってしまえばいいと思い立ちましたの!
■積善法のシステム
今となってはどんな行為がどんな点数なのか知る由もなく、また時代が違えば善悪の概念やモラルの基準も違ってくると思いますので、ここはあえて個々の点数ではなく、五段階評価でそれぞれに1点・2点・3点・4点・5点を割り当てることといたしましたわ。具体的には
Good(いいね!)……1点
Great(すごいね!)……2点
Excellent(すてきだね!)……3点
Marvelous(おどろきだね!)……4点
Perfect(かんぺきだね!!!)……5点
とし、さらに善行ゲージなるものを設定して、10点分たまるとラッキーストック1個に変換してためておく──というシステ厶にいたしましたわ。判断基準はその時に私がどう感じたか、です。(例:バスの乗り降り時に運転手さんにあいさつをする=Good、電車でサポートが必要な人に席をゆずる=Great)
ためておけるラッキーストックに上限はありませんけども、私は基本的な考え方として「ラッキーなことが起こったらストックひとつ消費」「一日を平穏無事に過ごせたらストックひとつ消費」「アクシデントが起こったらラッキーゆえにこの程度で済んだと考えてストックひとつ消費」と思っておりますので、何もしていないとストックは減っていく一方になりますわね。
簡単ではありますけれど、これがシステムの全容ですわ。
■積善と滅私奉公の違い
中には、自分の善行を記録したり、まして評価するなどおこがましい、と考える、奥ゆかしい方がいらっしゃるかもしれませんわね。でも、私はその考えを奥ゆかしいとも、美徳だとも思っておりませんの。
滅私の精神で奉仕することを至上とする空気感が日本の中には色濃く根付いているようですけれども、善行は、その施しを受けた者だけではなく、施した本人にも幸福を与えるものでなければならない──私はそう信じておりますわ。そのためには、自分のできる範囲はどこまでなのか把握し、よくやりましたわ!と自分をほめてあげることが大事になってくるのです。だいたい、我慢や忍耐、もっと言えば不利益や不幸の上に成り立つのは善行ではなく、単に美しい皮をかぶっただけの搾取ではありませんか。「やりがい搾取」などと呼ばれるものはすべて当てはまると思いますわよ。また、
善いことをしている自分に酔う?
自己満足?
他人のためを装って、結局自分のため?
そう考えて、自分を責めてしまう優しい方もいらっしゃるでしょうね。けれど、その結果がよそさまの益になり、気分を和ませているなら、それのどこに問題がありまして?利己的な目的なのに、それが利他の結果になっているなら、こんなにすばらしいことはないではありませんか!動機がなんであれ、結果が良ければ何も不都合なことなどございませんわ!
もっと人を、何よりも自分を、愛しましょう!
自分を愛し、人を愛することができれば、幸運はきっと向こうの方から行列をなしてやってくるでしょう。たとえ今、不幸のどん底にいたとしても、「運がいいからこの程度で済んでいる」のかもしれませんのよ!
■自信の源に
積善法は、すぐに結果が出る魔法ではありません。少しずつ、少しずつ、運気を引き寄せ、人生を豊かにするための方法のひとつに過ぎません。やってもやらなくても変わらない、実感がわかないという方もいらっしゃるかもしれませんわね。
けれども私は、この積善法をとても良いものだと思いますし、また確信をもっておすすめできますわ。
それは、自信の源となってくれるから。
おてんとうさまの下、何ひとつ恥じることなく歩んでいける。うしろめたい気持ちなど何もなく、堂々と正道を歩んでゆける。そんな自信をくれるからです。
(こんな自分なんて……)という気持ちが、(こんな自分でも……)という自信に変わってゆく。その力となるのは、自分を愛すること。そのきっかけとなるのは、自分の行いを省み、善い方向に導き、また導き続けること。
それが、積善法なのです。
無理のない範囲で、善い行いをしましょう!
そして善い行いをしたら、自分をほめましょう!
Good!
Great!
Excellent!
Marvelous!
Perfect!
霜が氷になるのが道理なら、蕾が花開くのもまた道理なのです。不幸になる道理があれば、幸せになる道理も必ずあります。その道理を、つかんでいきましょう!
と、いうことで!本日から日記もかねて、善行記録を開始いたしますわー!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。
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