ルドゥーテの庭:新田さくら公園

画像1 ばらの名所を求めて!本日は東京都は足立区、新田さくら公園にやってまいりましたわ!
画像2 「にった」、ではなく「しんでん」と読みますの
画像3 実は江戸東京には数多く残る地名で、江戸時代に開墾された新しい田畑につけられた名前だそうですわ
画像4 スペースこそ広いものの、ぱっと見では、そこまで本格的なばらコーナーではありませんわね……
画像5 ばらたちも、名札など付いていないようです
画像6 まあ、ばらをこれほど見続けてきていれば、どれが何だかだいたいわかりますけども……
画像7 しかし、かと言ってズバリ当てられるわけでもありませんので、今回はゆるりと散策しましょうか
画像8 どうやら、隅田川に面した土手を丘のようにして、ゆるやかなスロープ沿いにばらを植えた、ということのようですわね
画像9 目の前には隅田川。ここからは見えませんけど、背後には荒川が流れています
画像10 分流地点である「旧岩淵水門」を起点として、2つの川に挟まれた土地なのですね
画像11 今、荒川として知られている河川は、実は「荒川放水路」として明治44年(1911年)に掘削事業が始まった人工の河川です
画像12 かつて荒川は隅田川と接続しており、数々の水害をもたらしていました。「荒川」という名前そのものに、当時の人々の抱いていた印象が現れていますわね
画像13 左の地図、1896〜1909年当時のものと現代の地図を比べてみると、今日荒川として知られている流れはまだ無いことがわかります(画像は「今昔マップon the web」様よりお借りしましたわ)
画像14 現代の江戸川区の範囲を見ると、荒川を挟んだ向こう側、墨田区と江東区に不自然に食い込んだ飛び地のような所があることに気づきますが……
画像15 それは、荒川放水路掘削の際、葛飾区を通って流れ込んでいた中川を分断、荒川放水路に合流させたため、かつての中川下流を境界とした線だけが残った……というわけですの
画像16 東京の町を水害から守るための一大事業だったそうですわ
画像17 その甲斐あってか、荒川放水路が完成してからは、荒川下流域では洪水被害は出ておりません。隅田川も、荒川増水時には岩淵水門を閉めて水量を調節し、下流域を守っています
画像18 そうした先人たちの努力、放水路掘削のために立ち退かざるをえなかった人々のご苦労をしのぶと、このばらを落ち着いて眺められることにもひとしおの感傷がありますわ……
画像19 『昔日の 水面荒れたる 隅田川 しづ心にし 汗と涙に』
画像20 昔の人が今のわたくしたちの暮らしを支えてくれているように、わたくしたちもまた、未来の人たちの礎となるような振る舞いをしなければなりませんわ
画像21 そうして人の営みは受け継がれてゆくものだと、わたくしは思っておりますの
画像22 昨今の戦争行為に代表されるような際限なき欲望や、今や年齢を問わず国民の間にはびこりつつある良識なき愚かな行いは、厳に慎まねばなりません
画像23 時を越えて、人が人を思う。そんな世界を絶やさぬために。
画像24 子どもたちの元気な声が絶えることのない、よい公園でしたわ。それではまた、どこかのばら園でお会いいたしましょう。ごきげんよう〜

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