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噂好きな彼らは無免許消防士🍁

おはようございます☀
今日はレディースデーのため
ゆったりしたいと思います。
昨日一昨日の間に
私がやらかしてまったw件のためも
あって、山口県まで行き…
私はテンパリ屋なんで時間足りんで
やるとあかんですな。反省^^;
車検もあるしで、そもそも
田舎住みなんで買い物してきた。
懐かしのドトールの
ココアを買ってきたので
生理中ホットココアがいいらしい。
気持ち安らぎます☕️🍂
蜂蜜も買えばよかった…
生理中は糖分はたしか冷えの素に
なるので。牛乳もそうでしたっけか。
ブーちゃんの私ですが
私でもこういう時食欲なくて
ほぼ一日食事とらなくなります。
なにか口に入れないと~て
ココア飲むとかそれくらい
不精になりますw 動きたく無い
キツイでお尻周りの骨が何故か痛い。

さて、最近感じるのは、推理小説ですね。
最近思ったのは、ファンタジーであったり
SFなどの推理小説を思えばよく
読んでることに気がつきました。
ファンタジーやSFは癒されるし楽しいですし。
私はガッツリとした推理小説は
あまり好まなかったですが、
興味を持てるからですかね?一般的に、
推理や探偵ごっこは大人にも人気が
ありますよね。あまり良くは見えませんが、
好き嫌いで別れることもありますね。
YouTubeやニュースで何かが起きると、
写真や動画を見て考えたくなりますよね。
多分それはその延長線上に
あるのかもしれませんね。
人当たりがいい人でも気をつけないと
いけない人がいて、でも私は他人に何かを
辞めるように制限をかけることはほぼしません。
辞めて欲しいとは言いますが、
起きたらそれだけですし、起きなければ
それは存在しないのと同じですから、
先に対策しておく必要はないと思っています。
もし言っても駄目であれば、
縁を切ればいいと思っています。
本当の身内にでもなれればいいですがね。
本当の身内にしかできない事はありますからね。
でも他人の関係は、血の繋がりがない
限り越えることはできません。
或いは戸籍上身内。それに大抵の人は
勝手な生き物ですし、制限をかけて
付き合ってもらうよりも、
自分が許せる範囲で付き合っていく方が
良いと思っています。それに制限をかけて、
「これをやめてね」と心得はするけれど、
多すぎると心置けなくなってしまって、
辛い思いをさせることになりそうです。
他人にそんな面倒をかけさせるとかね?
自主的にそうすることは考えてもいいです。
その方が指示や命令に従わされるよりも、
自由に伸び伸びとして肩の力入らずに
すみそうです。時折、人々がターゲットを
見つけて嘲笑ったり、良い人のふりをして
話を引き出そうとする姿を見ると、とても
楽しそうに活気づいているように見えますが、
それも一時的なもので、波が引くようにして
静かになっていくんですよね。
彼らは推理をしているのでしょうか?
ターゲットが実は良い人だったとしても、
彼らにとっては、疑われる方が悪いと
言い出しそうで恐ろしいです。そもそも
疑われる相手とその人は身内なのですか?
大概は他人ですよね。知らない相手に
情報を与えるわけがありません。
そんなことをする人は加害者だけです。
なぜなら、共有されなければ自分ばかりが
悪く見えて敵わないからです。もしくは、
口実や理由を作るために周りに
知らせるのかもしれません。
多分ですが、それでも自分の保身のために
大事な部分だけを伝えなかったりしていても、
それを聞いた人は自分のことではないと
思っているかもしれません。
だって他人のことなどどうでもいいでしょう。
時には人の悪口を言う人や、
そうでない人でも、噂を聞いたらなんとなく
気になることもあるでしょう。
例えば小声で話している人の声などです。
あれが気になるとやばいですね。
なので、私は意地悪なので、わざと小声で
話しているかもしれませんよ?
話を広めたいことがあれば、それが効果的だと
勝手に思っていますし、
騙されやすい人は騙されないと思っている人に
なる気がしています。だから信じた事や
自分で思った事を疑わなそうなので、
そうならないように関わらないで
避けてたりしてます。そういう人ほど
これまで面倒なことを連れてくる人が
多かったので、関わりたくありません。
自信がない人よりも、自信がありそうな人の方が
頼り甲斐がありそうに見えるようですが、
私は見かけ重視な人は、
なぜか頼りなく思えることもあります。
まぁ、頼るなと言うことでしょう。
遊ぶと楽しいです。それだけですが。
うーん、でもどうにも解せないですね。
謎に賢く見栄を張るのか・・?事実、
彼らが本当に賢いのかは分かりませんが、
彼らが推理小説を読むようには思えないですね。
読む人もいるわけですから、小説や漫画を
参考にすることはできるのかもしれませんが、
考える訓練になるかどうかは疑わしいですね。
私は単に書き手の感覚に浸りたいだけで、
現実よりも想像する方が癒されるし、
漫画や小説はいいですね。
誰かが悪い事をしたら、制裁を与えるべきだと
思うのは、コンビニのアダルト本が
子供の目に届くくらい迷惑だと思われる。
それと同じ現象でしょうかね。
家なら子供が見るから隠しておいて!と
旦那か息子に叱るみたいなアレですかね?
そこにあるだけで迷惑だと言いたいようです。

でも私の場合はそれほど他人に関心がないし、
ましてやそれほど気にされる必要が
あるのか疑問です。子供が一定の年齢に
達していれば、そのようなことは
心配する事はないと思います。
結局のところ、気になってしまうことが
ありますが、実際にはあまり気にする
必要はないという話です。親が気になる事が
気になるだけであって、だから逆に
気にしなきゃならないのかと
気にしてしまいそうだから私は無視してます。
何かを気になったら答えられるように
構えるのが大人の役割だと勝手に思ってますし。
知らないまた、子供がいないので
具体的なことは分かりませんが、
蓋を開けてみると、そんなに気になるような
ことではなかったという話はよく耳にします。
そのため、「気にならないの?」と
聞かれることもあります。
分からないこともありますが、
子供がいない人と話すよりも、話題に
詳しい人と話をする方が有意義なはずです。
なので、他の人に相談すれば良いと思いますが、
何故か何人か数合わせのために
私のような人が利用されそうになることが
あります。それに対して私は出鼻を
挫きにいきたくなったり、意地悪して
しまいたくなります。内心では
「なんだ、奴らはそれが面白いのかな?
でも私は彼らよりもこの人たちの方が
面白いから、出鼻を挫いたらどんな
反応をするのだろうか?」と
考えることもあります。反感を食らう
可能性もあるかもしれませんが、
まだ見ぬ世界に飛び込む勇気が無いのか、
またはそこまでの時間が不足しているだけ
かもしれないのでまだ
そう出来ていないんですが。
その話を聞くことに興味がない人と
話すよりも、話題を知っている人と
話す方が良いと思います。
私は大体は拒否しておきます。
参加しても有意義な時間過ごせそうに
ないとですが。前回は理由が分からないけれど、
正義感のせいと言っている人に
会ったことがあります。その人たちの
頭の中は大変なようです。
私はお気楽な人間なので、その落差を
感じることがあります。
彼らが推理する側であり、私はその本を
読む側という感じでしょうか。
私はミステリーは苦手ですが、
ファンタジーやSFには興味があります。
どの道、他人の心理を理解することは
できません。それを理解していると
言っているならば、大胆な嘘をつく人が
現れたと驚きます。責任を負いたくても
負えないのに責任を持てるふりをする人が
信じられません。傍観者は駄目だと
批判された事もあります。
でもそのような状況になった場合、
傍観者にもなれないのなら、
参加するしかありません。
そしたら彼らのように、私ですらそうなって
しまうかもしれません。
私は万能ではありません。
他人がどのような考えでそのような行動を
しているのか気になります。
彼らは推理小説を読むなど話をする人が
いた割には、意外となのに馬鹿な事するなと
感じる事があります。結果的に、
勘違いな人が多いように感じます。
その結果、迷惑をかけている人の方が
迷惑を受けているように見えるんです。
或いはオーバーキル状態だからなんだろうか?

おー?そして話題が消えれば
次に行くだけですよね?

自分がその立場になることを考えない人がいる。
自分はそのような行動を取らないため、
そう思っているのだろうが、
私は彼らの行動について叩くに
値する理由があると思います。
それでも対して、自分たちは悪くないと
主張する。何故なら正義感故にだからと。
火種のない場所には煙は立たないと言うように、
それが事実であればどれだけ仰いでも
火種のせいと言いたいように聞こえます。
火事が起きている!消火しよう!と言いながら、
仰いでいく人のように思える。
私たちに任せておいて!と言っているけれど、
ただ後で「あーあ」と言って次の通報を
待っている無免許の消防士のようなものだ。
レスキューしてくれない方の。
正義があれば、肩書きに消防士と
記載するだけで良いと思う。
私はそれを真似したら何が起こるのだろうか?
興味と不安が交差して、勇気が出てこない。
きっと、民間の消防団のようなものに
参加すれば、社会不適合者として
扱われずに済むかもしれないけれど、
どうにも違和感を感じてしまうんだ。
推理小説は単に考えるための構築に
過ぎないのであれば、
内容がなくてもためになるのかも
しれないけれど、どうにも良いように思えず、
推理小説などは読まない方がよほど
良いのではないかと思っていた。

まぁ結局面白み分かってしまうんです。
あんなミステリーじゃないけどw
世の中小説より奇なりていいますし
人のミステリーとかのが余程多いのに
わざわざ人間ドラマみたいな小説
読みたいなんて、変な人いるもんだな?
怖いやつだなー?とか思ってしまうバカです
物好きにもほどがありそうで。
だから私はファンタジーやSF系
好きなんですがね。
人の好奇心は末恐ろしいて事なのかな?
見栄を張るために本を読む訳では
ないですよね。そういう人もいそうだけど
それはそれで人の勝手ですし。
私にそれを適用させようと思うと
他人から聞く『推理小説系が好き』とか
読むと聞くと違和感を覚えるてだけの話です。

実際私は今までなんとなくで
避けていたジャンルだったんです。
人間ドラマやヒューマンなんちゃら
なんてのは、現実で足りてるのに
どうして貴重な時間を使ってまで
人間的なミステリー小説を読みたいと
思うのか心理がわからないと
結果アレを生むなら私はなんとなくまだ
彼らのような人を好かないなー?
まだいいかなー?なんて思ってました。

まぁ、本が泣くよ?てねw
良い本があったら勿体無かったのかな。
新たに認識見直してみたいなと
読書の秋🍁ですし。印象がよくないで
つい、客観的になりがちなんです。
気がついたら負けてことでしょうけど
どうにもそうもいかない歳頃になりました。

歳だってことですかね😇💦

子供の頃からなんとなく
そのような事を思ってたんで
今歳とって考え直すきっかけもあった。
なにか進歩はあってもいいしな?
今更未だにそのような事
たまに思う幼稚なんですがねw
知らないもんは仕方ない。学ぼう。

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