MGS2(2001年)と2020年、Death Stranding(2019年)と20XX年

「現代のデジタル社会では、日々のあらゆる情報が蓄積され、些細な情報がそのままの形で保存されている。永久に劣化する事はない。」
「あらゆる情報が、ろ過されず、保存されて、後世に伝えられる。」「それは進化を止める。」
「世界のデジタル化は、人の弱さを助長し、それぞれだけに都合の良い『真実』の生成を加速している。」
「『政治的正しさ』や『価値相対比』というキレイゴトの名の下に、それぞれの『真実』がただ蓄積されていく。」「衝突を恐れてそれぞれのコミュニティにひきこもりーーぬるま湯の中で適当に甘やかしあいながら、好みの『真実』を垂れ流す。」
「かみ合わないのにぶつからない『真実』の数々。誰も否定されないが故に誰も正しくない。」「ここでは淘汰も起こらない。世界は『真実』で飽和する。」

以上は2001年に発売されたPS2用ゲームソフト「Metal Gear Solid 2 Sons Of Liberty(MGS2)」における、とある一場面での登場人物のやりとりの一部を抜粋したものだ。

ここ数年、これが今の社会、特にネットやSNSの現状を映し出し、10年以上昔の時点から予言していたようだという指摘をいろんな場所で見かける。私も同感だが、それについてはそれこそネット上により細かな考察が溢れているのでここでは深く立ち入らないつもりだ。


このMGSシリーズと同じく小島秀夫が監督を務めたPS4用ゲームソフト「Death Stranding」を先日ようやくクリアした。クリア後私は、「この作品も10数年後には、時代を予言していたと言われるのだろうか?」という感想をもった。

この作品のテーマは「つながり=ストランド」だった。物語をネタバレにならないよう気をつけつつ(是非ネタバレを避けて実際にプレーして欲しい作品だから)簡潔に述べると、人々とのつながりを絶って一人で生きていた主人公サムが、人々やコミュニティが孤立して生活するようになったアメリカを、あることをきっかけに再び1つに繋いでいくという話だ。

この作品は多くの哲学や思想が織り交ざっており、描かれた真髄の全てをこうして文章にまとめるのは至難の業なので諦めるとして、「人々のつながりや国家としての連帯は個人や自由への縛り(縄)にすぎない」という考えに対し、「個人一人一人、あるいは各所に点在する物体や情報の結び合わせ(つながり)によって実現/可能になるものがある」というアンサーこそが、この作品で描かれたものの1つだと私は感じた。

さて冒頭で引用したMGS2のセリフに戻るのだが、デジタル社会のこうした問題が現実に表れるようになると、他人との結びつき自体が面倒なものになり、一人で自由に生きている方が良いのではないかという考え方が生まれる。SNSをはじめとしたネット社会は、常に無数のつながりに晒されるものであるからだ。何が正しいのかもよくわからない中でそれでも自身の考えや個性を守る一番楽なやり方は、周囲を遮断することだ。あるいはセリフにもあるように、自身に近しい存在だけが集まった狭いコミュニティに籠ること。

しかし「Death Stranding」では繋がりの重要性について描かれる。これは、かつてMGS2で描いていたデジタル社会の行く先に待っているかもしれない「分断」の未来、その予言でありそこに対するメッセージと成り得るのか。遠からぬ未来にこの作品はどう見られているのか、そうした想像も広がるような、とても物語設定やテーマが面白い作品でした。


最後に1つ。(MGSシリーズもそうですが)「Death Stranding」はこうしたテーマを「ゲーム」として体験させる部分に一番の魅力があると思う。この壮大なテーマは映画でも描くことのできるものかもしれない。たしかに作中ではムービーが多いし、各キャラクターには実在する俳優が起用されている。しかし、小説や映画が鑑賞者を一つの方向へ引っ張っていくコンテンツだとすれば、ゲームとはプレイヤー自身が物語を進めていくコンテンツ。誘導こそあれど、一方向でなくいろんな方向に右往左往できるのがゲームの楽しみ。(ストーリーそっちのけでやり込み要素を極めたり、中盤のボスに苦戦して何度もゲームオーバーになったり…)

込められたテーマやメッセージを見聞きするのではなく、プレイヤー各々の唯一無二の体験として受け取ることができる面白さを、ぜひ興味を持った方には実際に味わって欲しいなと。

そんな私は今日も、険しい山際にジップラインを建設する作業に没頭してます。

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