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味が半分

料理は割と得意な方である。
主婦歴20年以上、手際も悪くないし味付けもオーソドックスながら美味しい部類に入ると思う。

でもしかし、ここ最近
「なんか味が薄いなぁ」とか
「なんかしょっぱいなぁ」とか
「あぁ硬かった、柔らかかった」とか
実際に食べてみると何だか美味しくないのである。
本人的にはこれまで通り同じ段取りで作っているのだが
食卓について食べてみるとイマイチだと感じる日が増えてきた。

これは加齢に伴う味覚障害的なものではなかろうか・・・。
と、かなり本気で悩んでいたのだがここでふと思いついたことがある。
そういえばイマイチ料理の時はオーディブルで小説を聞きながら
料理を作っていたな、と。

もともと本を読むのが好きで、時間があればなんでも読んでいたのだが
老眼が進んだこともあり、
近頃はもっぱら「オーディブル」を重宝していた。
オーディブルで聞く小説は、読み手が臨場感たっぷりに朗読してくれるので、昔のラジオドラマのように引き込まれて、聞くのをやめられなくなってしまう。ついつい犬の散歩中や、洗濯を干す間、長距離運転中など
何かをやっている時に同時進行で聞いていたのだ。

このながら作業は、
私にとって時間を2倍にするようなお得な感覚があった。
何せ耳にイヤホンを突っ込んでおけば、小説がどんどん頭に入ってくるのである。面倒くさい家事も黙々とこなせるようになった。

でも。
料理はダメだ。美味しくできないのである。
それに気づいて、調理中のオーディブルを止めてみたら料理の出来栄えが格段に良くなった。

つくづく、私の相対できる時間は自分と一対なんだなぁと思う。
調理と小説を読むことを1時間の中に押し込めても、私が向き合えるのはどちから一つなのだ。お得だと思っていたその時間は、調理としても中途半端だし、小説の世界観に浸るにもやっぱり中途半端だ。

どちらも味が半分だとしたら、詰め込んだ1時間は本当にお得なんだろうか。私の生きている時間は全部が薄味で、それは幸せなんだろうかと考えてしまった。

このことを、考えるようになってから手を動かすことと頭の中のことをなるべく一致させるように心がけるようになった。
簡単に言うと「作業に集中する」ということなんだけどね。

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