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影響を受けた漫画✖️5

●軽井沢シンドローム たがみよしひさ

軽井沢を舞台にした80年代の群像劇。

若い男女がくっつき離れて、喧嘩したり抗争したりまあ大変。

東京を舞台にしなかったのでバブリーな空気感もそう強くなく、今でも違和感なく読める。なんらかの目的を持ってやってきた人がいつの間にかいついて仲間になっていくのは、軽井沢という土地の開放性が表れていると思う。

作中に出てくる「ら・くか」という名前の喫茶店のモデルとなったのは実在した古月堂という喫茶店で、無くなる前に一度だけお邪魔することができた。

色んな女の子としれっと寝ちゃう主人公は若い頃の自分にだいぶ影響を与えた。本作を読むことがなかったらもう少しきまじめな青春時代を過ごしたかもしれない。

主人公たちの息子世代の青春を描いた続編『軽井沢シンドロームsprout』と合わせて全巻本棚にある。さらなる続編をいつか小説で書きたいなーと夢想しているし、本作をテーマにしたラップとか書きたいと思っている。


●サユリ1号 村上かつら

京都の平凡な大学生たちを、サークルクラッシャーの非凡な女の子が引っ掻き回す話。

主人公の見栄っ張りだとか独りよがりなかっこつけは同じ男としてすごくよくわかるし、ヒロインのサバサバを選んで恋愛ポジションに立つことを避ける感じもよくわかる。そういう繊細な心の動きを描くときの精度の高さがやばい。

サークルクラッシャーの女の子に振り回された結果ガキだった主人公が大人になる道を選び、サークルクラッシャーの女の子だけが最後まで大人になれずに終わるのが大変切ない。その女の子も、ぜんぜん悪い人間ではないんだ。成熟することを選ばなかった結果、小悪魔性を暴走させてしまっただけで。

大学時代という特殊な期間だけが含んでいる切実さや寂しさ、子ども時代を終わらせることの切なさを描くのに、京都の街は最善の舞台だった。

何度も読み返しているし、モデルとなった大学がどこなのかずーーっと考えている。

著者が最近新たな作品を発表していないのがすごく気になっている。出版社を通じてファンレターを送りたい。


●福満しげゆき 僕の小規模な失敗

工業高校を中台、夜間高校を卒業式、大学を中退、一人だけ捕まえることができたヒステリー気味の女の子と結婚、バイト続かない、漫画家になりたい。。。というわりと暗いはずの話し。

人とうまくコミュニケーションが取れないとか、なんか進路を間違ってしまってやばい場所に来てしまったとか、そういう人生のこわい部分に徹底的に光りを当てる。そういう部分を少しでも自分の心の中に持っていると、それを拡大して見なければいけないのでとても痛い。

暗いだけの話に終わらずそこはかとないユーモアが漂うのは、著者の人間観察の視線があまりに鋭敏だから。でも、他の人の面白い部分を見るだけならいいけど、鋭敏な視線を自分自身にも負けてしまう結果いつも自己嫌悪で煩悶するのがすごく大変そう。

続編的な『僕の小規模な生活』や『うちの妻ってどうでしょう』も、著者の鋭い視線でちょっと天然で子どもっぽい妻を赤裸々に提示しており、笑えるし泣ける。そのようなエッセイ漫画だけでなく、遊びで結成した自警団が肥大化し巨悪に成長してゆく様を活写した『生活』や、あまり危険でないゾンビを回収する公務員だったはずがけっこう危険な目にあってしまう『就職難!ゾンビ取りガール』も最高に楽しい。


●誰も寝てはならぬ サラ・イネス 

個性的な面々が集まった小さな広告会社の日常。ちょっとした恋があったり、納期をすっぽかして小旅行に逃避したり、庭でバラを育てたり、中にフォーカスしたり、様々な人物の生活の様子を丁寧に描く。

左翼活動家で古書店を経営するおじさんがいい味を出していてとても好き。その娘さんが美人で主人公は淡い恋心を抱くのだけど、まあ色々あるよね。

とくにストーリー的な流れや起承転結があるわけではなく、ほんとに登場人物の生活を丁寧に描くだけ。癖のある楽しい仲間たちはそれなりに漫画的な誇張を加えられているのだけど、描き方が丁寧すぎて、「いらいらこんな人!」と思わされてしまうのがすごい。漫画版の保坂和志なんじゃないか、これはもう一種の純文学に近いのではないか、と思う。次作のバンドのマンガもすごく好きだった。なんなら昔の『大阪豆ゴハン』は全巻揃っている。

登場人物が全員エエトコ生まれのお金待ちで、なんとなくノリが合う。自分は田舎の百姓の家で育った貧乏人なのだが。

●東京都北区赤羽 清野とおる

奇人変人をひたすら観察し奇人変人の人混みに分け入る著者の捨身の日常を描き、赤羽という街そのもをやばいキャラとしてぶち上げる。

赤羽は朝から飲めたりする個性的な街で昔からすごく好きだった。そんな大好きな街に奇人変人がうじゃうじゃいるのが最高だし、奇人変人が引き起こす騒動に喜んで巻き込まれてゆく著者の狂いっぷりも楽しい。

お堅い仕事をしているので、ゆるい人たちが生息するコミュニティーには憧れがある。自分も弁護士だからそれなりにかちっとした暮らしをしているだけで、本来はそちら側の人間なのだと思う。毎晩赤羽で飲みたくなる。

著者自身が一応主人公という扱いになっているけど、この作品の本当の主人公は、赤羽という街自身だろう。奇人変人を通して、「街」とは何かを問いかける問題提起として読まれるべきだと思う。いや、それはいいすぎかもしれない。でも、著者が巻き込まれる珍事件は偶然によって成り立っており、街も本来は特定の誰かに設計されるものでなくて、誰かがそこに住みついて誰かがそこで店を開いたという沢山の偶然によって結果として成立するものてあるはずだと思うんだ。そのいみで赤羽は「正しい街」なのだ。

#私を構成する5つのマンガ