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どうして私が平和村でインターンボランティアをしたのか。第2外国語のドイツ語を落としてもドイツで働けた話。【後編】

こんにちは、風友乃です。


ドイツでよく、Mr Childrenの『星になれたら』を聴いていました。

歌詞にめちゃめちゃ共感していました。

特に↓

「長く助走をとったほうがより 遠くへ飛べるって聞いた

そのうち大きな声で笑える日がくるはず」


インターンボランティアでの半年間は、自分の将来を考える期間としたかった(助走期間)のですが

大きな声で笑ったのは「そのうち」どころじゃなかったそうです。


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(写真:ドイツ人の同期が最後にくれたメッセージ。私、彼女が忘れられないほど大声で笑っていたんだ…思い当たる節だらけだ…hahaha)


さて。


前回は、小学生~高校生までを

どうして私が平和村でインターンボランティアをしたのか。第2外国語落としてもドイツで働けた話。【前編】

で書きました。 


前回は

1 小学生時代、平和村と出会う

2 中学校の修学旅行&募るドイツへの思い

今回は、以下の順番で書いていきます。


3 楽しい大学生生活


勉強するぞ☆友達作るぞ☆バイト頑張るぞ☆

と、高いモチベーションで入った大学、


受験の反動からか、怠けまくりでした。

周りにも「あの時の熱はどこに…?」といわれるほど。


6年ぶりに共学生活になり、彼氏もでき、

「BIGにはならなくていいや☆」

「自分と周りが日々幸せならそれでいいかな」と。

(もちろん2つ目はめちゃめちゃ大事だと今も思います。ただ当時はそれで完結していた。。。)


あれほど望んでいたドイツ語の勉強もなあなあになり、



第2外国語の単位を落とす。


むしろ他のドイツ語の授業に単位が出て、進級できただけ良かったレベル。

(こんな娘でごめんなさい🙇‍♀️友達にも心配かけてごめんなさい🙏)



ドイツ語アレルギーが発症。そんななか再履修。


ただしドイツの教育学には興味があったので、

ドイツ×教育

で学べる現在のゼミに入りました。

バイト先も不思議と一貫して教育に関わるものを選んでいました。

(これについてはこの記事の最後の部分に書いています)


それなりに幸せ。でもどこか、心からは満足しない日々でした。


4   忘れもしない、大学3年の秋。



就活が目の前に迫り

「何をしたいのか」が見つからず悶々としつつも

「まあゆるーく就活して、働いて、幸せな家庭を築いて〜〜」なんて思っていた頃。

2年付き合っていた人にフラれる。

ショック。

でも、自分の今までの惰性を考えれば無理もない。

特に何かに励むこともなく、なあなあに過ごした日々。

反省。

溢れる涙を振り払い、周りのサポートを全力で感じながら、

楽しいことに身を任せてみる。

そして就活に向き合いました。


(ここから数ヶ月の行動劇はネタだらけなのですが割愛します。)


5 「ガラスを割る」


就活に取り組むも「これがしたい!!」が見つからない。

理由をつけて「私はこれがしたいんだ!」と、思い込ませることはできる。

けど、どこか腑に落ちない。


目標に向かってまっしぐら、大学受験の時のあの情熱が蘇らない。


そんな日々の中で、

「就職前にじっくりと将来を見据える時間が欲しい」

「平和村でそうした時間を過ごしたい」という気持ちが増してゆきました。


しかし。ドイツ語。


平和村では英語は使わず、ドイツ語のみ。


ドイツ語。。。。第2外国語を落とした私。


壁が高すぎる。無理。できない。やめよう。

でもやりたい気持ちもある。。。

モヤモヤが続くなかである日、転機が訪れました。


時は、2018年12月31日。NHK紅白歌合戦

欅坂46

ガラスを割れ!

(↑その時の動画。何度見てもかっこいい、、、)


彼女たちは叫ぶように歌う。

「今あるしあわせにどうしてしがみつくんだ」

「目の前のガラスを割れ!」

「やりたいことやってみせろよ、おまえはもっと自由でいい」

「夢見るなら愚かになれ」


同世代の可愛い子たちが歌って踊って頑張っている。

それに比べて、自分は?

何もしていない。情けない。ださっ。


ゴーーーーーーーーーン

除夜の鐘。


年が明け、2019年1月1日。私は気づく(今更すぎる事実に)。


私が平和村に行きたい気持ちを抑えている理由は、

「ドイツ語をもう勉強したくないから」


ん?

まって?????

「ドイツ語を、、、勉強、、、したく、、、、ない????」


私は勉強したいと思えばいくらでもできる。

世の中にはそうでない人もたくさんいる。

それなのに私は「自分はドイツ語をもう勉強したくない」。

そんな理由で

10年間密かに描いていたものを諦めるのか?


否。

パリーーーーン


(ガラスが割れる音)(いとも簡単に論破)

両親に「休学して平和村でインターンボランティアしてくる」と宣言。

それからドイツ語を勉強し直し、8月に渡独しました。


だから、私が平和村に行った直接的な理由は

「ケガや病気を抱えた子どもたちのために何かしたい」

というよりも、

「次の選択や将来を見つめ直したい」

「海外に住んでみたい」

という理由が大きかったです。

(結局そこかーーーーい)


5 ついにドイツ滞在!


ドイツに住んでいた7か月間(語学学校+平和村)

私の器なんかじゃあ収まりきらないほどの発見とワクワクに触れ、

子どもやスタッフと、喜び・悲しみを分かち合い、

それまでの「当たり前」壊され続け衝撃を受けまくり、何度涙が溢れたことか。

一生ものの仲間を手に入れました。


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(写真:全員学生。20代前半から30代が共同生活します。多くのメンバーがドイツ留学やワーホリ経験者です。宝。)


ドイツ人と日本人がひとつ屋根の下、共同生活をし

幅広い年齢層のドイツ人と仕事をし(年下から孫を持つおばあちゃんまで)

日本人は基本的に入国できないアフガニスタンや、中央アジアの子どもたち、

アフリカはアンゴラとガンビア子どもたちと日々過ごす。

寮に帰れば仲間と食卓を囲み、ドイツビールで乾杯。

その日の出来事でワイワイお喋り。

休暇にはヨーロッパ中を旅行。

誰かのインターンボランティアが終わると、お見送りパーティー。

(これが最高に盛り上がる!💃)


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(写真:例えば22歳の誕生日。面白い過ごし方をしたいなと思って、ブルガリアへの一人旅で迎えました。(ブルガリアの理由は宗教的に興味をそそられたのと、誕生日によく知らない国でぼっちで大量のヨーグルト食べるの面白くない?と思ったから))



ドイツ滞在中に、語りきれないほど濃い経験をさせてもらいました。

既にもう平和村での日々が恋しいです。


6 これから


帰国した今、就活に向き合っています。

自分の中で考えが変わったことは多方面にあるけれど

中でも環境問題への意識は帰国後、一気に高まりました。

ドイツで生活しているときとのギャップがすごいです。

今は出来る限りプラスチックを出さない、

ペットボトルを使わない生活をしています。


この数週間そんなことばかり言っていたので、

家族にはプラスチックを減らす意識が浸透しつつあります。

妹はマイボトルを買いました.!



自分の今の状況も、世の中の状況もイレギュラーだからか

(就活と新型コロナ)

自分のことばかり考えてしまうのにふと気がついて落ち込んだりもしていますが、

これからもドイツでの経験を、自分のため人のために還元していこうと思います。



さて。

ドイツ国際平和村について人に説明すると、よく聞かれるのが

「子どもたちは難民なの?」「資金は?」「どうやってドイツまで来るの?」

など。

少しでも平和村に興味をもってもらえたら嬉しいなと思い、

そういった質問をnoteに記しておこうと思います。

お付き合いいただければ嬉しいです。


お読みいただきありがとうございました☆






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