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ドイツ国際平和村について、よく聞かれること。

こんにちは。

先日、鍋をしていて喉をやけどしました、風友乃です。

数日間喉が痛みました。

ただ、先月まで私が接していた子たちは、

比べ物にならないほどのやけどを負っていて。

その傷跡と一生付き合っていかないといけない。

身体も心も、どんなに痛い思いをしたんだろう。

と、子どもたちのことをふと思い出しました。

さて、本題を始めます。

「ドイツ国際平和村」を端的にいうと、

「紛争や貧困により適切な治療を受けられない国の子どもたちのために、医療援助をする団体」

です。

(詳しくはこれまでの記事をお読みください)

前回の記事内容を人に伝えたり、誰かに平和村のことを話すと

だいたい同じ質問をされます。

「子どもたちはいわゆる難民なの?」

「家族は?」

「どんなケガや病気?」

「入院するの?」

「どうやってドイツに来ているの?」

「どこに住んでいるの?」

「言葉は?」

「資金は?」

など。

私も詳しく話を聞くまで、イメージすらつきませんでした。

今回は、そうした周りからの質問に答えていく形式で進めてみます!


Q そもそも、どの国の子どもたちが来るの?


A 一番多いのが中央アジアのアフガニスタン(地図でココ)。

次いで南西アフリカのアンゴラ(ココ)。

その他、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、ガンビア、カンボジア

から子どもがドイツに来ています。

2020年3月現在、169人の子どもを受け入れています。

(写真:普段の様子。寝食を共にし、毎日一緒に遊んでいれば、人種の違いを気にする子はいません。背景は、現在建設中の新しいリハビリ施設。)

Q どうやってドイツまでくるの?どういう流れでドイツに滞在するの?どうやって帰るの?


❶ドイツに来るまで

アフガニスタンおよびその周辺国、そしてアンゴラに、

毎年2回ずつ、合計4回飛行機をチャーターしています。

ラジオや口コミで平和村の存在を知った現地の人々が、ケガや病気を負った子どもを連れて現地パートナー団体の事務所に来ます。

(中には、紛争地域を避けて3日かけて首都にあるパートナー団体まで訪れる親子もいます。)

そしてスタッフと面談をして、以下の条件に当てはまる子をドイツに連れてきます。

渡独の条件は

・母国での治療が不可能である

・ドイツの医療でもって治る見込みがある

・帰国後の保護者がある

などが挙げられます。

こうして選ばれた子が渡独し、治療とリハビリを終えた子が母国へ帰ります。

(写真:ドイツ到着時の子ども。脚にケガを負っている彼女は、この後病院に運ばれました。ボランティアの医療スタッフを始め、無償で救急車も手配していただけます。本当にありがたいです。)

❷ドイツ滞在中

ドイツにつくと、国内各地の病院に入院(時には車で6時間かかる場所などにも!)し手術を受け、退院すると、平和村の施設でリハビリ生活を送ります。

もちろん入退院を繰り返す子や、通院する子もいます。

❸帰国

治療およびリハビリを終えた子は母国に帰ります。

援助飛行はアフガニスタン及びその周辺国に年2回、アンゴラに年2回あるので、子どもたちは年2回帰国のチャンスがあります。

(ですので滞在期間は最短で半年、長いと2年にも及びます)

子どもたちのビザには「治療目的の渡航」と記載されているため、絶対に帰国しないとなりません。

ですので、平和村の子どもたちはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が定義する「難民」

「他国に逃れなければならなかった人々」ではありません。

UNHCRによる難民の定義

紛争に巻き込まれたり、宗教や人種、政治的意見といった様々な理由で迫害を受けるなど、生命の安全を脅かされ、他国に逃れなければならなかった人々のことを「難民」といいます。

(写真:帰国の様子。「nach Hause(おうちに帰る!)」と声をあげながら進み、平和村の施設を去ってゆきます。ドイツに最初来た時には歩けなかった子が、自分の足で歩いて平和村を旅立つ姿は涙モノです。)

情勢が安定しない母国とはいえ帰国を待ち望んでいる子どもたちにとっては、家族のもとに帰れることは何よりの喜びです。

みんな嬉しそうに笑顔で帰っていきます。

(ただ、スタッフの私としては別れの寂しさも同じくらいありました…)

(写真:子どもたちが空港に向かって平和村を出発した直後。号泣でした。ネタ写。)

Q 子どもたちの家族は?


A 子どものみの渡独となるので、家族は母国で生活しています。

渡独前に、家族自身が共に渡独しないことを理解したうえで、子どもたちを送り出しています。

小さい子だと2歳のうちから半年~2年ほど親元を離れて、ドイツ人・日本人スタッフ、他国からの子どもと共同生活をします。

(写真:家族との一枚。渡独前に家族と一緒に、今後の飛行と渡独の流れや平和村での生活について、母国語にてしっかり説明を受けます。しかし渡独直後には、寂しさや不安から泣く子が絶えません。家族との連絡手段はないので、持参した家族の写真を悲しそうに見つめる姿を何度も目にしました。もらい泣きしそうになることも多々…。)

Q 平和村はどこにあるの?


A ドイツ北西部の街オーバーハウゼン(Oberhausen)市にあります。

子どもたちと、住み込みボランティアのスタッフは施設内に住んでいます。

(もちろん建物は別ですし、ボランティアではなく正規のスタッフは通っています。)

渡独した子どものうち、平和村に住んでいるのは

・退院しリハビリおよび通院の段階になった子

・入院待ちの子

です。

(ですので、毎日複数の子どもが入退院します。手術や検査を終えて帰ってくると、子どももスタッフも大喜びです。)

文字通り衣食住を共にし、日々リハビリを受けます。

空いた時間にはスポーツやおもちゃで遊んだり、スタッフとおしゃべりをしたり、学びの棟で学習したり(後述)。

(写真:食事風景。全員で手を繋いで「いただきます」をします。食事に限らず、大きい子は小さい子の手伝いをいつもします。)

(写真:リハビリの様子。ドイツ人および日本人の医師、看護師、作業療法士、理学療法士が治療とリハビリを行います。早く治療を終えて母国に帰りたいので、痛くても嫌がることはありません。)

Q リハビリ以外の過ごし方は?


A 3回の食事や担当制の掃除はもちろんのこと、お絵かきやおしゃべり、サッカー、バスケなどで遊んですごします。

(写真:kleine Kinder小さな子どもたち。この子は手術後、関節が再度つながるように安静にしなければならなかったので、当時歩くのを禁止されていました。私を見つけると、手の力を使って身体を押して一目散にやって来ます。お人形遊びやレゴが好きで、親友のアフガニスタン人の女の子といつも一緒に遊んでいます。私もお医者さんごっこではいつも注射とリハビリをされました。)

また、平和村の施設内には「学びの棟」があるので、工作や料理、裁縫、子どもたちの母語、簡単な算数なども学びます。

正規のスタッフやインターンボランティアとともに、定期的に地域のボランティアさんが教えにきてくださります。

例えば、アンゴラの母語はポルトガル語なので、ポルトガル出身の地域の方など。元教師の方も多くいますし、子育てが終わった子ども好きのおばちゃんなども長年活動に協力してくださっています。

(写真:母国で役に立つスキルを身に付けます。)

(写真:子どもたちの国の伝統料理も一緒に作ります。まさに国際交流!)

Q 何語を話すの?


A ドイツ語です。また、日本人スタッフもドイツ語で働きます。

10歳くらいにもなると子どもたち同士は母国語で会話しますが、小さな子は、母国語を忘れることも頻繁にあります。

子どもたちも、スタッフや違う国の子とは完全にドイツ語です。

新しく来た子はもちろんドイツ語を全く話せないので、他の子が通訳してくれたり、スタッフも身振り手振りを駆使します。

とはいえ、

子どもの言語習得のスピードといったらもう羨ましい限りです……。

2週間も過ごせば、言葉で意思疎通ができるようになりますし、半年間滞在すると問題なく会話ができます。

特に大きな子は、私よりも流暢にドイツ語を話すんじゃないかと思うほど(笑)

帰国前には立派にドイツ語で夢を語ってくれました。

Q どういうケガや病気が多いの?


A  1番多いのが骨髄炎、次いでやけど、泌尿器系の病気です。

ただしどのケガや病気にも共通していることは、

社会的情勢や貧困により

適切な治療が受けられないため、ドイツにきていること。

日本で当たり前に受けられる治療は

たかだか飛行機で数時間の距離に住む(なんなら日本⇔ドイツよりも近い)

アフガニスタンやアンゴラでは当たり前ではありません。。。

難しい情勢や貧困問題が山積みになっているのは理解できます。

が、強く思うのは。

どうして生まれた場所が違うだけでこんなにも境遇が違ってしまうのか。

自分だって、必要な治療が受けられない国に生まれて、健康さえも脅かされる可能性はあったのに。

(例えば、平和村からの帰国後には結婚しなければならない子もいます。臓器売買は身近な話だと子ども本人の口から聞きました。)

話がそれてしまいました。

子どもたちのケガや病気については以下の通りです。

骨髄炎:

骨折の際適切に処置されないことによって体内に入りこんだ細菌感染が重症化し、骨に膿が溜まり起こる、骨の炎症です。

(適切な治療を受ければあまりかからない病気なので、日本では馴染みが薄いかと思います。)

炎症により腐ってしまった骨を取り除いたあと、骨を伸ばすために創外固定器具を装着する子どもたちもたくさんいますし、

中には脚を切断する子どももいます。

(写真:固定器具が直接肌に入り込んでいるので、器具が何かに触れると、つまり着替えですらとても痛がります。)

やけど:

貧困や様々な情勢により、質の良いガスが買えないため、ガス爆発に巻き込まれやすいそうです。

その他、遊んでいるうちにかまどに顔や手足を突っ込んでしまい、大やけどを負う子どもが後を絶えません。

頭、顔、腕、手、脚など、個人差はあれ、やけどの範囲は全身におよびます。

(写真:顔にやけどをした子。とっても心優しい子で、いつもニコニコ笑顔で駆け寄ってきます。やけどを負った子に対して、見た目のことを言う他の子どもは、見たことがありません。一度もありません!!!

本当に一度もないんです。

Q 資金は?


A ほとんどが寄付金で賄われています。

他の団体からあるいは個人で定期的な寄付をしてくださる方もたくさんいらっしゃいます。(ご寄付についてはこちら。)

金銭的な支援だけではなく、ドイツ各地から服や、タオル、シーツ類、生活用品、文房具などもいただいています。

またドイツ全国各地の病院では、無償で治療および入院を受け入れてもらっています。

ですので、平和村に対して両親がお金を払うことはありません。

おわりに 


今回は、人によく質問されることをまとめてみました。

渡独について、子どものケガや病気の現状についは

カタログハウス社さんの雑誌「通販生活」にわかりやすく記述されています。

(ネット記事はこちら)

この話をすると、次によく聞かれることが「日本とのかかわりは?どうやったら平和村で働けるの?」

実は日本と平和村の関わりはとても深く、常に日本人スタッフがいます。

私の同期の日本人インターンボランティアは10人ほどいました。

年齢も様々です。

誰が教えたのかわかりませんが、子どもたち、日本語も話します!

(コンニチハ、アリガトウ、カワイイ、アシクサイ←誰が教えたん笑)

お読みいただきありがとうございました☆

写真提供:ドイツ国際平和村 無断転載禁止

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