希望の時計

わたしは生きてゐるかぎりは、自分の意思がどうあれ、希望を持つと思ふ。
わたしが思ふに、時計が時を刻むやうに、人間は刻々と希望を抱くやうに歯車が組んである生物機械である。
絶望とは、よくよくその機械の奥を覗いてみると、希望といふ時計版の長針と短針を動かす歯車の、重なり、交叉、噛み合はせ、そこのどこかかから生まれる軋み音に過ぎないやうに思へる。
希望の針をまはす歯車がまだ動いてゐる証拠だ。

絶望の嘆きが消えるとき、希望の秒針をかちりかちりと規則正しく動かしてゐた一連の、大小の、無数の歯車も、すべて、停止するのだ。

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