母の愛を見つける


たぶん、母の不器用な手が差しだした、おぼつかない愛情がまぶされていたから。

かういふ発見は大切ですね。
心理療法に、内観法といふのがあります。
浄土真宗の「身調べ」といふ哲学的な自己探求の修行法を心理療法に改良したものです。

親に、
してもらったこと
して返したこと
迷惑をかけたこと

の三つを、小さな個室の中で、さらに屏風に囲まれた狭い空間に座して、一日中、自分の内面に問ひかける。
それを、一週間泊まりがけでやる。

この内観法は、刑務所や少年院で効果を発揮してしまひ、精神科医や心理カウンセラーといったビジネス心理屋たちも、認知せざるを得なくなりましまた。
これをやらせると、リピーターのお客が激減するので、心理カウンセラーはあまり勧めません。
精神科クリニックでも、気休めの認知行動療法よりも内観法をしたはうがお客(大鬱病と分裂症でない人は患者ではなくお客です)のためになるので、やらせません。

人間心理の問題の多くが、母子の愛着障害に還元できることがだんだんわかってきてゐます。もちろん、何もかも全部ぢゃないけど、思ってゐたよりずっと多くのことが愛着の問題であることがバレつつある。ヤバいです。母親の役割なんて(近い将来は出産も含めて)誰でも出来るってことでないと、ヤバいから。

内観法が効果を発揮するのは、この療法に取り組んだ人が、親の愛を発見したときです。
それは、たった一つでもいいのです。
たった一つでもめっけもの、刑務所や少年院にゐるやうな人にとってはそんな場合が多いです。親が大嫌ひで中学生くらゐからグレちゃって、といふやうな人にとっては、親からもらった愛が一つでもあったことが、予想もしなかった発見、そして信じられないほどの喜びだらうと思ひます。


乳幼児期に死ななかった人は、母親から世話を受けてゐます。
仕方なく世話をしたとしても、それを自分からふりかへったときに、自分に与へてくれた母親の愛として捉へることはできます。
してもらったこと
一週間かけて探せば、これが見つかる。さうできたはうが、本人の為です。
母親も含めて親の愛を認めることは、本人の幸福につながります。
これが、たぶん、親孝行が生れた理由だと思ひます。

孔子のバカがそれを教条にしたので、親が子供を管理するための道徳となりました。
儒教のほど、日本の文化を汚染したイデオロギーはありません。
孔子学院は、精神的侵略の砦よ。

話が逸れちゃひました

親の愛を見つけませう。
新宗教の『生長の家』を創始した、初代教祖の谷口雅春大聖師は、

親に感謝せぬ者は、神のこころにかなはぬ

と喝破されました。

神様は、親にありがたうございますって思へない人には不満を感じる、冷たいかも、つらくあたるかもってことです。
ざけんなよタニグチ、ってなるけど、これも自分の為にはさう考へたはうが得って話です。

谷口雅春氏はとても興味深い。著書が面白い。そこそこの小説家になれたのに教祖になってしまった、惜しい人。といふのが、わたしのイメージ。
そんな感じで、いつかこの方をネタにした小説を書きたいです。


このあたりの親孝行とか親に感謝とかの話は、愛着理論を踏まえると理解できる。
人間の赤ん坊は、人間だから頭が大きくなる。ただ、胎児の段階でもそれ以上頭が大きくなると母親のお腹を割って出るしかなくなるほど大きくなるので、仕方なく、体外胎児として放り出されます。

それで、人間の赤ん坊は母親を胎盤とするべく、生後一年、母親に愛着信号を送り続けながらかじりつく。歩きだしても、それで自活できるわけでもないので、思春期に性欲といふ別の駆動力が出て来るまで、人間の子供は、母親に対する依存と愛着に溺れて生きてゐる。

出産から思春期まで、母親が依存と愛着を子供の要求(これは生物的ニードなので甘えとかではない)するとほりに満たしてくれない度合ひが、その子供の自己嫌悪の強さと連動します。

自己嫌悪のかたまりになって、犯罪を犯し、刑務所や少年院に入ってゐた人が、内観法によって、親の愛(してくれたこと)を知ると、自然に、親とのつながり(して返したこと、迷惑をかけたこと)があったことに気づく。

愛情を持つ親とのつながり。
これ無しに、人間の自我は成り立たない。
自我が歪めば、こころも曖昧になります。
こころのあやふやな人は、身体に対して、自分と自分の存在の手ごたへを求めます。
それが犯罪だったり、自傷行為だったり、さまざまな嗜癖だったり、・・・。
(あたしの場合は、何度も書いてるやうに、チョコレートのバカ喰ひ&セックス依存。セックス依存については何をやらかしたかを書くとポルノ小説として売れるかも( ´艸`)
ポルノ小説の詳しい定義は↓ここをどうぞ。

三島由紀夫氏にも別名で地下出版雑誌に投稿したホモでグロなポルノ作品があると聞いたことがあります。ほんとかな?
わたしの、この、まっくろくろな黒歴史。
わたしを高木先生なんて読んでくださる天使みたいな人に申し訳ないです。一部お話したら、妻様もさすがに呆れた。捨てないで、妻様。
わたしは、ほんとに<こころを病んで>と思ふ。「」って、そりゃあ、今もさうですけど、すごくマシになってます←本人はさう思ってる)

何にしても、求めてゐるのは、
無条件で自分の存在そのものを愛してくれる母親
です。
観念的なお話ではありません。
それが無いと、体外胎児は生存できないから、求めるのです。
まだ胎内から出たくないのに、無理やり生み出されて一年間、
無条件の愛を求めることは、生物として生き延びるための基本的要求なのです。


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