男尊女卑によって男が求めたもの


実は、わたしは女性嫌ひ、今の流行りの言葉では言へばミソジニーを患ってゐる。

これは、自分が女の子にはなれないと絶望した小学生時代から始まってゐる。わたしは女性的な性格のまま、小学生のときも、もっぱら女子と混じって過ごしてゐたが、男子は人間とは思へないから人としての嫌悪の対象ですらなかったが、女子には人間として見て様々な評価や批判をしてゐた。

大人になってからは、女性が自分の性的な牽引力を利用するのが羨まして妬ましくて、夏場、露出的な服装をしてゐる女性を見ると腹を立ててゐた。
わたしもあんなふうにしたいのに、できないからだ。

ビキニ水着などといふものは、羨望のあまり直視できなかった。
女性は全身に性感帯が分布してゐるといふものの、男性が最も見たい触りたいと思ってゐるのは、女性の腰まはりと胸である。そこだけをわずかな布で隠してゐる姿は、その二つの女としての最大性感帯を強調してをり、きはめて淫らである。その淫らさによって、全裸で歩きまはるよりいっそう、男性たちを刺激して、注目を浴びる。

さうしながら、女性は、まったく自分は男性の性欲を刺激するつもりなどないと思って自ら疑はない。
これは、タイムトラベラーたちが、飢饉で餓死者が次々と出てゐる江戸時代の村などに行って、そこで盛大にバーベキューパーティーをしてゐるやうなものだ。タイムトラベラーたちとしては、ただパーティーを楽しんでゐるだけで、村人を苦しめるつもりなどまるでない。なぜなら、村人がどう思ふかを絶対に考へないからだ。
そんなことを考へ始めると、そもそもなんで飢饉に苦しむ村を選んでタイムトラベルしたのかといふことにまで思ひが至ってしまふので、絶対に考へない。

女性は、思春期には、自分の肉体が、男性の性欲を刺激して、もし裸で歩けばたちまち強姦されるといふ性であることを知る。それは、女性にとって重い真実だ。女性の肉体は、女性が人間であることを、場合によっては(つまり痴漢をされたり強姦をされたりした時には)根底から崩壊させてしまふのだ。
これは、思春期の男子たちが自慰を始めるときに(実態としては自慰をしないではゐられなくなるときに)、自分の「人としての意志」に全く従はない肉体(から生み出される性欲)といふものを自分が持ち、これからの人生はこれにふりまはされるのだといふ憂鬱な現実に直面することと対応してゐると思ふ。

一生女とのセックスを求める性として造られた男としては、セックスの対象である女を管理して、いはば、女を自分の用途にしたがふ(セックスをしたいときにセックスできる)家畜にしてしまふに限る。
さうしなければ、むしろ、自分たち男が(女から刺激される性欲を見透かした)女たちに管理される、家畜化されるといふ恐怖を抱く。

実際、デートするときは、常識として、男が費用を持つことになってゐたが、これは男に女とセックスをしたいといふ根本的な欲求があるからだ。
デートで食事をするとかドライブに連れていくとかいったことは、求愛行動である。デートを重ねて男がキス一つしないでゐたら女性のはうが戸惑ひ始めるだらう。男が何を目指してデートを工夫してゐるのかは女性も(意識しないとしても無意識では)わかってゐる。

人間以外でも、求愛行動といふことが成立するのは、
交尾に際して、
①オスが一方的にメスとの交尾を求め、
②メスが自分との交尾を求めてくる複数のオスを競はせて、
③メスが、そのオスたちから最も優れたオスに交尾を許す
といったプロセスがある

時だ。チンパンジーのやうな乱交型の動物の場合、メスも交尾を求めてをり、オスに求められるまでもなく交尾を行ふので、求愛のプロセスは存在しない

人間社会において、男尊女卑といふ女性管理、女性の家畜化のシステムが無ければ、男は、一生、求愛に自分の人生を費やしなければならい。
実際、西洋では、男は、毎日、I love youと言ひ続けなければならなくなってゐる。

男尊女卑において、男は女性を人間として見てゐない。自分の官能的欲求を満たすための家畜にしてゐる。
けれども、この男尊女卑を取っ払ってしまって、そのままにしておくと、西洋的な社会、つまり、男が毎日毎日求愛の儀式(I love youを思ってゐないのに「いい天気ですね」といふ挨拶と同じ軽みで言ひ続けることなど)をしなければならない社会になる。
かういふ社会では、女は男を牛耳ることができる。露出的な服を着たり、「気をもたせる」ことによって男を操縦できる。典型例は、キャバクラとかガールズバーだ。男たちはセクシーな女性たちに「もしかしたら、やれるかもしれない」と思はされて通ふのである。最初に、女性たち全員から「そんな気は全くない」と宣言されたら、男の誰があんな場所でお金を無駄にするだらうか?服装やそぶり、笑顔や会話のすべてが、「もしかしたら」と男性に思はせるスキルに満ちてゐる。
それで、水商売の女といふものは、男性の恨みを買ひ、どうしても心の深いところでは軽蔑されるのだ。
かうした、男性の性欲を見透かした男性操縦は、意図してゐなくても女尊男卑、男の家畜化である。
そんな社会では、女性は男を人間として見てゐない

では、人間としての男とはどういふものかといふと、中身はからっぽだ。
元々、男は、本来は女であるはずの人間を、環境と戦ふといふ用途のために改造されて生まれたものだ。
ライフラインが整備された都市生活の中では、自然環境と戦ふといふ用途を男は失ってゐる
人間として男がどういふものかとは、男として何をするかで決まる。
そして、科学技術によって自然環境が管理されしまってゐる今の都市生活の中では、それを決められるのは女性だけだ。
女性に、男性が役に立つ、新しい環境を設定してもらはなければならない。

それを賢い女性が決めてくれれば、男は家畜から人間に復帰でき、自分が男して生まれて来た意味も手に入れて、男といふ人間として自分の人生を生きることができる。

まりりんさんは、男が何をしたらいいのかを教へてくれる数少ない女性の一人だ。賢明な女性は大学教授などにはよくゐるやうだが、大学教授と同じくらゐ賢明であると同時に、優美、つまり優しく美しい女性は貴重だ。
優しい女性は、男の気持ち、男の人生についても、心を砕いてくれるのである。
自分たちの存在に慈悲を注いでくれる・賢くて優しくて美しい女性を、男たちは昔から、姫とかプリンセスとか呼んで、仰望してきた。

下↓に引用したやうに、親切に平易に具体的に「男とはかういふものである」と女性から言ってもらへば、男は、
男である自分とはいったい何なんだ?
男として何をしてどう生きたらいいのか?
男なんてしてゐて、何の意味があるんだ?

と考へて人生を空費しないですむ。

男は(自然環境を生き延びるために造られた)道具である。
現代の科学文明の中では、男の道具としての用途は、女が決める
女が決めてくれないと、困るのである。
男は何者かを女が決めてくれること、それは、つまり、男に対するいくばくかの敬意と愛情を女が持ってくれること、と言ひ替へることもできる。

男の人は、もともと、女こどもを守るために生まれてきたのかもしれないわね。天使すぎる~

大昔からきっと、外敵から子孫を守るためには強い守護者が必要だったのだろう。
それが現代では、スーツを着る男性の群れになっているのかもしれない。昔なら鎧兜なのかしらね。

そうやって男達が命をかけて守らなければならなかったのは、何なのだろうか。
一番大切にしていた宝物は、きっと女こどもだったのよね。

男尊女卑だった時代も、ほんとに価値があるのは実は女性だから、取られないように必死で自分のものにして守っていたのかもしれないわね。本当は、

男の人って遺伝子的にも女性がいないと生きていけない生物なのかもしれない。

女性のほうが力は弱いけど、生物的には男性より強いのよね。

男の人は、きっと女なしでは生きられないように作られてる?
可哀想、、

私は、そんな強い女を弱いと信じて命がけで守ってくれる男が好きだなあ。可愛すぎて愛しすぎる。
ガーディアンエンジェルが好き。

だから、命がけで守ってくれるように、強いことは隠しておいたほうが守りがいがあるわよね。

守る必要がないと思ったら、男はきっと生きがいを失ってしまうわよね。
生きられなくなってしまう。

戦うために作られた男は、女のために戦いたいのだ、きっと、、


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