男性性欲と女性性欲・動画説明版←冗談よ( ´艸`)

この記事の中で、次のやうに書きました。

セックスの行為を書いてしまふと、むしろ分からなくなるのが女性の性欲。
行為を描写するのは、見る目、つまり主体としての男の目。女性であっても、セックスの行為を目を開けて見て、描写するときは、男の目になってる。
見られる、客体としての肉体の中にあるものを肉体の持ち主が肉体の中から見るすべは無い。

女性の性欲は、男性性欲と質が異なる。
観念として記述出来ない。
だって肉体の性欲なのですから。

男性性欲は、見る性欲だといふことです。
そして、女性自体は見られて客体化してゐて、自分の性欲がどういふものかを知ることができない。
知る、のは主体だからです。

そんなことを図解( ´艸`)するのが、次の動画。
踊ってる日本人形ゾンビさん。
そして、それを見てゐるゲストたち。

ゲストたちは、みんな、スマホで日本人形さんを撮影してゐます。
これが男性性欲です。
日本人形さんの動きに合はせて、自分も手を動かしたりしてますが、そうしながらも歩きまはって飛び回るまでは出来ないので、ひたすら撮影を続けます。
見る、のです。見続ける。

一方、日本人形さんは、決してスマホを手にしません。
自分がどんな姿でどんなふうに踊ってゐるのかを日本人形さん本人は絶対に見ることはできないのです。
そのときの日本人形さん、踊ってゐる日本人形さんが女性性欲です。

日本人形さんが、見る人たちが撮影した動画を見るとき、日本人形さんも見る人となってしまひ、自分自身の女性性欲は、対象物となってをり、もう日本人形さんのからだとして親しく生きて動いてゐた女性性欲ではなくなってゐます。モノとしてもてあそばれる何かになってゐます。

モノにされた女性のからだ、それは、男性性欲が<見たもの>でしかないのです。

女性性欲は肉体にある。
肉体の存在をわたしたち人間は主体としての意識でしか認識できない。
したがって、女性性欲は女性当人にとっても「見えない領域」にあるのです。

日本人形さんは、女の子の子供を踊りに誘ひます。
この動画で、向かって正面(の右半分)に、
①ティムといふ熊の人形をかけた内気そうな女の子
②その隣りに、ハーフみたい派手に可愛い顔の女の子(最初はスマホで撮影を始める)
➂そのまた隣に白い大きなぬひぐるみを抱へた女の子
の三人が見えてゐて、
踊りの中盤から、日本人形さんがこの女の子たちを手招きで踊りに誘ひます。

スマホで撮影してゐた派手に可愛い顔の女子も日本人形さんの踊るスペース(線が引かれて見物するゲストはそこから中に入っていけない)に入ったときは、もうスマホを手にしてゐません。
見る主体から見れる客体にならなければ、踊ることはできないからです。
最初から撮影することなくひっそりと手を動かしてゐた内気そうな女の子は、二度目に日本人形さんから誘はれたときに、遂に、一歩、踊りのスペースの中に踏み込みます。
三人目の大きなぬひぐるみを抱いてゐた女の子はどうしたんだらうと思ってゐると、終盤、ぬいぐるみを持たずに踊ってゐる姿が見えました。

この踊る(踊る姿を見られる)こと、それが女性性欲です。
そして、その踊りを見たくて見たくてたまらないのが男性性欲です。

女性性欲は、本質的に、見られることを目指してゐます。
女の子は小さい時からお化粧に興味を持ちます。
女性が装ふのは、その肉体を見せるためです。それが女性のファッションです。
見られること、女性がそれを実現する一番簡単な方法は、裸になってその肉体を人目に晒すことですが、社会があるので、なかなかさうともいかず、スリットの入ったチャイナドレスからマイクロビキニ水着まで、さまざまな工夫が必要です。

舞踏は、さうした「見られる」ための工夫が洗練されて文化となったものだと思ひます。


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