メンヘラの主張

わたしはnoteにアカウントを二つもってゐます。

高木鉦太朗
続☆高木鉦太朗

新しいアカウントでは、セクシュアリティ、ってカタカナで書くと、なんかかっこいいですが、要するに自分のエロでヘンタイな部分を思ひ切り書かうと思ってました。
しばらくして、ほんとに思ひ切り書いたら、とんでないことなるなとわかって、すぐにまた「思ひ切り」減速しました。

わたしはセックス依存症で、若いときから、といふより子供の時からセックスのことで頭がいっぱい、バカなこともたくさんしてきました。
基本的な欲望が「見られたい」です。そして、辱められたいと強く願ってる。しかも、オカマ。
そんなだから、若くて体が元気だと、何をやりだすか、もうめちゃくちゃ。

最近、インターネットポルノをまとめて一気に見てみましたが、わたしみたいな、ちょっと心の壊れてしまったおバカさんがたくさんゐるんだなと驚きました。
ほんとに呆れます。
でも、わたしがしてきたことと同じでした。
自分にも、ポルノの出演者にも呆れながら、少し、孤独感を癒されました。

ポルノ動画に出演する女性や「男の娘」さんたちは、この世のどこかでは快楽の成就が可能なのだといふ希望を「見る人」たちに与へる。

だから、「見る人」たち(の大半を占める男性たち)は一度インターネットポルノを見ると次もまた次もまたと希望を追ひ始めます。
出演する女性や「男の娘」さんたちは、撮影されて、それを不特定多数の人に見らることを通して、肉体こそが永遠であることを確信してゐます。一度撮影された肉体は永遠だ。肉体の持ち主であった女性や「男の娘」さんを離れて、永遠の肉体として、ポルノの中に生き続ける。時間の経過とともに老いて死んでいくあやふやな肉体だけが滅びて、撮影され、今後、無数の「見る人」の希望をつなぎとめるポルノの中にある肉体だけが、永遠に生きて、無限に「生きる悦び」「存在してゐる意味」を確認してエクスタシーに浸ってゐます。

そんな次第で、インターネットポルノに出てる女の人や男の娘さんたちは、なんだかんだと言ってても、好きでやってますね、あの人たちは。生き甲斐を感じてゐると思ふ。

わたしと同じ精神構造の(自分の一番恥ずかしい、人間として見せてはいけない見られてはいけない姿を、自ら晒すことで自分の存在感を確保しようとする)人たちがこんなにゐるなんてと喜んだわけですが、でも、わたしみたいな、あの人たちみたいな人間は、全部集めても、せいぜい何千人から何万人でせうね。
さうでないと社会はめちゃめちゃ。
はっきり言って、性行為を撮影されて平気なだけでも人間として終はってるのに、それが嬉しくて生き甲斐を感じて仕事にしてしまふって、頭がオカシイ。メンヘラです。

お金がすべての世の中では、AV女優や男優でもそこそこの収入がある仕事であるかぎり、社会が受け入れます。
でも、あんな人たちをテレビのコメンテータにしてる社会って、どうなの?セックスに寛容です、性道徳に縛られてません、ってみんな、そんな顔をしたいんでせう?
妾や売春婦、さういった社会規範におけるマイノリティの人たちへの「差別と偏見」を、私は俺は、ぜーんぜん、持ってませーん。って、みんなで、そんな演技をする社会。

職業に貴賤はあります。
詐欺師や殺し屋は、いくらお金を儲けて、どんなに身ぎれいにしてても、清掃業みたいな尊い仕事ではない。蔑んでいいと思ふ。
詐欺師は報酬がいいから人を騙す、殺し屋は大金が手に入るから人を殺す。

ゴルゴ13が一人殺すごとに十円しかもらへないとしたら、すごくかっこわるい。たった十円で人を殺すとしたら、百円のアンパンをコンビニで万引きするはうがまだかっこいい。
ゴルゴ13があんな顔して済ましてられるのは、貧乏ぢゃないからです。実入りのいい仕事をしてゐるから。
社会がセレブとするのは、その人たちが手にするお金の額がいいからです。
お金があらゆることの価値判断の基準になってるのが、今の社会だとわたしは思ひます。

産地偽装を平気でして収入を伸ばす生産者や経営者は人としてオカシイ、ヒトとしての心を病んでる、ヒトとしての心が壊れてる、つまりメンヘラでなければならないやうに、人間が道徳として持つ性行為に対する廉恥心を持たない、あるいは、それをあへて乗り越えることに喜びを感じる精神は、(人間が「社会」といふ群れを頼り生きる限り)社会的には異物的な存在である・メンヘラ、と称して差別するべきだと思ひます。

メンヘラのわたしが言ふんだから、少なくとも、わたしに関しては、真実です。

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