芸術と肉体


今年の年明け、私は母が入所している施設を訪ねた。母はこの半年で、急速に記憶とオサラバしている。もう誰のこともきれいすっかり、自分が誰かもわかっていない。
今までだって、「ママ」って呼びかけたらキョトンとして「えーアンタ、私の娘? ほんまに?」なんてカラカラ笑ってはいたけれど。
でも今回は、薄茶になった瞳をキョロキョロさせて戸惑うだけ。私のことばが理解できず、表情が強ばっていく。
だからもう、二度とママと呼びかけない。二度と呼ぶまいと、ことばを飲んだ。

こんな母でも『瀬戸の花嫁』がフルコーラスで歌えるのだ。いきなり歌い始めるから、慌てて一緒に歌うと上機嫌になる。
歌いながら介助されてよたよた歩く後ろ姿を見て、ママでないママになった距離を感じた。
その刹那、異様に熱い涙が溢れそうになり、気づかれないよう顔を上げる。
だって私、思ってしまったんだから。

こんなになってまで、なんで生きてるんだろうって。嫌だ。ここまでして生きてたくない。
自分の親をそんなふうに思う日が来た。
その反面、機嫌良く楽しそうに生きてくれていることに感謝もしている。施設の職員さんの手厚い介護が嬉しくて、これからも母を見捨てないでほしいと拝み倒すように願ってしまう。

なんなんだ、このアンビバレントな感覚は。

老いがつきつけるのは、肉体と精神の問題です。

人間とは何なのか?
肉体なのか精神なのか?
或いは、その二元論を越えた何かなのか?
(たとへば、たましい、といったやうな)
老いて衰退してゆく肉体を前に、わたしたちは、この問ひから逃げることはできません。


わたしは自分の老いに直面してゐて、ついに自殺できないまま老いてゆくのかと絶望してゐます。
小学校の卒業記念の作文集に、「将来の夢」として「自殺すること」と書いて先生にとてもいやな顔をされました。
でも、わたしは生まれて来たのはどうしようもないけど、せめて死ぬのは自分の意志で死にたいと、その頃から思ってゐました。
同時に、死ぬのが幼い頃(自分で憶えてゐるかぎりでは四歳)から怖くて、突然襲ってくる死の恐怖で過呼吸の発作を起こしてそのまま死ぬのではないかと泣きじゃくることがよくあったくらゐです。
そんなわたしでしたから、自殺をどう敢行するか、自殺なんてとても出来そうにないけど、なんとか実現したいといふ、ほんとに、それがわたしが将来の可能性に託す、まだ少年だったわたしの夢だったのです。

浦沢直樹の『パイナップルARMY』といふ漫画は、軍事技能インストラクターで元傭兵の豪士が主人公です。その豪士の宿敵は、凄腕の傭兵で、謎の日本人フジヤマ。フジヤマの本名、素性は誰も知りません。誰も顔すらわからない人物として、豪士をつけねらひます。

そんな中で、ただ一人、フジヤマと共にリビアの(カダフィ大佐が作った)テロリスト養成のための秘密キャンプで軍事訓練を受けたといふ男が、豪士にフジヤマのことを語ります。

その男は、自分のことをフジヤマと名のっていた。

あの男は悪魔だった!

ある日、俺は奴に尋ねた。
「あんたは神を信じていないのか」と。

「神・・・・?
 信じているさ・・・・
 だから問題なんだ。
 俺は、
 俺にこんな退屈な人生をおしつけた神を許せるかどうか・・・・
 それを、悩んでいるんだ!

 この先も、
 虫ケラ共と一緒に、こんな退屈な人生を歩まされるなら・・・・
 俺はそんな寛大な気持ちには
 とてもなれないね・・・・」

まだ中学生でもなかったですが、わたしの気持ちは、このフジヤマと同じでした。

こんな退屈な人生
虫ケラ共と一緒に

日本人は成長経済を選んでから、生きる大義を失ひました。
求めるのはひたすら幸福です。

幸福追求の権利、などといふ言葉が造られたころは、まさか、今のやうな時代が来るとは夢にも思ってゐなかったのです。
電気ガス水道。
自動車と飛行機の交通網。
病院。
すべてが揃ってしまひました。

人間が自分たちを不幸だと思ふのは、食べるものに不自由し、天候に悩まされ、病気になれば祈祷しながら死ぬしかなかったからでした。

今、人間は、幸福なのです。

さうなると、誰も幸福を実感できなくなりました。
食べ物を必死で貯蔵しなくてはならない環境の中、飢えを満たしたときに、食べる悦びと満足があります。
不味いものなら食べない、余ったら捨てるといふ環境に置かれてしまへば、もう、あとは、美食追求の無間地獄で餓鬼になるだけです。

科学技術による都市化した環境では、個人にとって生きることは、必ず
こんな退屈な人生
となります。
それが証拠に、わたしたちは、自由時間、どんどん大きくなる余暇に、誰もがなんとか「自分は人生を楽しんでゐる」と思ふために、さまざまな活動をしてゐます。
まだ、人間が幸福では無い頃、幸福を追求できた頃は、労働の合間は、ただ休息だけの時間だったし、休息だけで満ち足りたのです。

虫ケラ共と一緒に

わたしたちが幸福でない頃、つまりは自然環境と戦って食糧や安全をなんとか確保しようとしてゐた頃は、自分ひとりではとてもそんな戦ひはできませんでしたから、他人たちと協力して、お互ひに依存することは当たり前のことでした。
他者は自分が生き延びるために存在してゐるし、自分も他者が生き延びるために存在してゐる。
幸福になってしまった今、一人、個人としてでもコンビニがあれば生きていける今、他者とは自分にとってなんなのか、考へ込んで決めなければならなくなりました。
それで、さかんに愛といふ言葉が舞ふやうになりました。
これは、他者に対してわたしたちはおおむね、
虫ケラ共と一緒に
と感じてゐる証拠です。
なんであんな奴らに頭をさげたり愛想笑ひをしなければならないのか。
SNSはさういふ怨嗟で満ちてゐます。
それらはもっぱら、会社への不満といふ、愚かな上司への怒り、自己を持たない同僚たちへの苛立ちなどの姿を借りてゐますが、政治家に対する罵倒と同じで、根本にあるのは、もはや、他人を必要とできなくなった人間の戸惑ひです。
別の言ひ方をすれば、ムラ的共同体の喪失です。
ムラを失って都会で生きる個人は、それぞれお互ひに、他者の至らなさや無用さや邪魔が目につくばかりでいらだってゐます。

こんな退屈な人生
虫ケラ共と一緒に
と、中学になる前のわたしが感じたことは、未来の、今の日本社会の状況を、教室の中の同級生たちを通して、先取りして感じたことでした。

十六歳のときに読んだ、三島由紀夫氏の『金閣寺』には、
生を耐えるには、狂気か死だ
それしかない

と書いてありました。

『金閣寺』の主人公は、それ以外に、認識によって現実を解釈して、気も狂はず自殺(や他殺)もしないで生きていけるはずだと反論してゐます。
そして、主人公の「私」は金閣寺を焼き、自殺のために要した薬瓶と短刀を谷底に向かって投げ捨てて、
「生きよう」
と思ひました。

『金閣寺』を書いて、戦後の日本を生きることにした三島由紀夫氏でしたが、十五年後には、偶然の好機を得て、それを逃さず、自殺しました。

三島由紀夫氏は、何を回避して自殺したのかといふと、

母はこの半年で、急速に記憶とオサラバしている。もう誰のこともきれいすっかり、自分が誰かもわかっていない。

今までだって、「ママ」って呼びかけたらキョトンとして「えーアンタ、私の娘? ほんまに?」なんてカラカラ笑ってはいたけれど。

でも今回は、薄茶になった瞳をキョロキョロさせて戸惑うだけ。私のことばが理解できず、表情が強ばっていく。


といふ状態、つまり、老いでした。

「肉体の衰退、私は、それを容認しない」
と、三島由紀夫氏は、自決前の三島由紀夫展の「肉体の河」といふ展示コースの説明文に書いてゐます。

三島由紀夫氏は、自決前、自衛隊市谷駐屯地のバルコニーで、集めた隊員たちの前で演説しました。
左手を腰に当て、右の拳をふりまはしながら。

この所作は、戯曲『癩王のテラス』の最終場面、肉体の王が、精神の王との対論において、勝利を宣言するときの身振りとして三島由紀夫氏が役者に演出したものださうです。

戯曲『癩王のテラス』では、らい病に犯されたカンボジアの王が、不滅のものを残そうと、アンコールワットの建設を決行する。

以下、引用。

王の声(苦し気に)バイヨン。・・・・私のバイヨン。・・・・私の・・・・

(バイヨン寺院、廻りはじめ、背後も同じやうな、林立する観音像をあらはす。道具納まらんとするとき、その頂きにもたれた王の姿がはじめて目に映る。黄金の下帯一つのかがやくばかりの美しい裸体で、若さとみづみづしさに溢れてゐる。すなはち、王の「肉体」である。輿の中の瀕死の王の声は「精神」である)

肉体 王よ。死にゆく王よ。俺の姿が見えるか。
精神 誰だ。そこから呼ぶのは? 寺の頂きの方角から私を呼ぶあの若々しい凛々しい声。あの声はたしかに聞きおぼえがある。誰だ? 私を呼ぶのは。
肉体 俺だよ。わかるか。俺の姿が見えるか。
精神 見えるわけもない。私の両眼は盲ひてゐる。
(中略)
肉体 ジャヤ・ヴァルマン王だよ。
精神 ばかな。それは私の名だ。
肉体 われわれは同じ名を領け持ってゐる。王よ。俺はおまへの肉体なのだ。
精神 それなら私は?
肉体 おまへは俺の精神だ。このバイヨンを建てようと企てた精神だ。それにすぎぬ。輿の中で滅んでいくのは王の肉体ではない。

(中略)

精神 私は死ぬ。・・・・声が、もう一言一言が、苦しい重荷だ。おお、私のバイヨン・・・・

肉体 死ぬがいい。滅びるがいい。

   毎朝のさはやかな息吹、ひろい胸に思ひ切り吸ひ込む朝風、
   その肉体の一日のはじまりは、水浴、戦ひ、疾走、恋、
   世界のありとあらゆる美酒に酔ひ、形の美しさを競ひ合ひ、
   ほめ合って、肌を接して眠る一日のをはりへとつづく。

   その一日を肉体の帆は、
   いっぱいにかぐはしい潮風を孕んで走るのだ。

   何かを企てる。それがおまへの病気だった。
   何かを作る。それがおまへの病気だった。

   俺の舳(みよし)のやうな胸は日にかがやき、
   水は青春の無慈悲な櫂でかきわけられ、
   どこへも到達せず、
   どこをも目ざさず、
   空中にとまる蜂雀のやうに、
   五彩の羽根をそよがせて、
   現在に羽搏いてゐる。

   俺を見習はなかったのが、おまへの病気だった。

精神 バイヨン・・・・私の、・・・・私の、バイヨン。
肉体 精神は滅ぶ、一つの王国のやうに。
精神 滅ぶのは肉体だ。・・・・精神は、・・・・不死だ。
肉体 おまへは死んでゆく。
精神 ・・・・バイヨン。
肉体 おまへは死んでゆく。
精神 おお・・・・バイ・・・・ヨ・・・・ン。
肉体 どうした?
精神 ・・・・。
肉体 どうした?答へがない。死んだのか?
精神 ・・・・。
肉体 死んだのだな。
   (鳥いっせいにさわぐ)
肉体 (ほこらしげに片手をあげる) 
   見ろ。精神は死んだ。 

   めくるめく青空よ。孔雀椰子よ。檳榔樹よ。美しい翼の鳥たちよ。
   これらに守られたバイヨンよ。
   俺はふたたびこの国を領(うしは)く。
   
   青春こそ不滅、肉体こそ不死なのだ。

   ・・・・俺は勝った。
   なぜなら俺こそがバイヨンだからだ。
                          ―幕―

三島由紀夫氏は、この戯曲の主題を明確に自分で解説してゐます。

自分の全存在を芸術作品に移譲して滅びてゆく芸術家の人生の比喩
(『癩王のテラス』について)
文芸評論家の田中美代子氏は、これを
倒立したプラトニズムの実現
と言ひ直してゐて、わたしもそのとほりだと思ひます。
つまり、三島由紀夫氏ほど、絶対を探求し、精神の持つ絶対病と対峙しながら、生きることの意味を諦めなかった人物はゐないといふことです。
三島由紀夫氏以外の小説家や芸術家は、自分がバイヨンを築いたときに、自分が一度も生きることもなく死んでいくはめになることにまったく気がつかないでゐます。
作家など、知的な人たちの老いた晩年の姿の醜さは、見るに堪えないものがあります。知性は人を醜く老いさせるものであるやうです。知性は人の心の純度を落とします。若いうちは、そのことは表面に出ませんが、肉体が衰えていくと、内面の醜さがカタチになってあらはれていきます。

逆に言ふと、肉体とは心の醜さを覆ひ隠すものとして人間に授けられてゐるのかもしれません。わたしは、AVなどで裸をさらす若い女性を見ると、そんなふうに思ってしまふことがあります。

日本で太宰治や夏目漱石が一番人気なのは、老年期になる前に死んだからです。




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